そうだ、お月見をしようと、綺麗な人が言った。 「十五夜はもうとっくに過ぎているぞ、ハル」 たまにとんでもなくズレたことを言い出すこの人に、オレは事実を間違いなく伝えたつもりだ。 ところが、満月じゃなくたってどんな形でも月は月だ。それとも、タイシは俺と月を見るのは嫌なのか? と、頬を膨らませて抗議されてしまった。 嫌だなんて、滅相もない。 オレはブンブンと、力強く首を横に振る。 明日に提出期限の迫った課題がチラリと脳裡を掠めたが、この可愛らしい人がベッドに入ってから始めても、朝までには間に合うだろう。 こんな風に拗ねられたら、この人の機嫌が直るまでは傍から離れられない。 そうか、それなら最初から「する」と、答えれば良かったのか。 オレはハルのように、中秋の名月以外の日に月見をするという柔軟な発想もできなければ、彼に喜んで貰えるような、気の利いた返事さえすることができない。 自分自身つまらない男だと思うオレが、いつハルに呆れられ愛想を尽かされるか、そればかりが気掛かりだった。 リビングの灯りを消し、ふたり並んで庭に面した縁側に座る。 中天高く上がった月はかなり欠けていたが、それでもまだ充分明るく、オレの隣に座るハルの横顔を照らしていた。 月明かりの下、綺麗だね、虫も鳴いてるねと、ハルが満足気に呟く。 こんなことでいいのなら毎晩月見をしたって構わないが、実際にはこの数ヵ月、仕事が忙しく帰宅がいつも明け方になるハルは、先日の満月を見ることは勿論、こうして家でゆっくり過ごすことも、なかなかできないでいる。 始発電車で高校に通うオレとも、朝の挨拶を交わすだけの生活が続いていた。 それでもあの日は帰ってきてから、朝飯がまだだと言って、オレが用意しておいた月見団子を食べてくれた。残り物で時間がたって、固くなってしまっていたというのに。 そうやってハルがオレに向けてくれる、何気ない気遣いや優しさに触れる度、この嬉しさをどう伝えたらいいのか分からなくて、切ない気持ちになる。 今、オレの隣で月を見ているこの人に、月よりもあなたの方が綺麗だとか、一緒にいてくれてありがとうだとか、そんなことを言えばもっと喜んで貰えるのだろうか。 歯の浮くような台詞がなかなか言えずに悶々と月を見上げていると、不意に月明かりが翳りオレの目の前が暗くなった。 と同時に、柔らかく温かいものが唇に触れる。 そうか、こうすれば良かったのか。 あなたが好きだとはなかなか言い出せないけれど、言葉にしなくても伝える方法はあるのだと、またこの人に教わった気がする。 オレは、短いキスを終えて離れていこうとする綺麗な人の肩を掴むと、自分にできる精一杯の感謝と愛しているの気持ちを込めて、強く抱きしめた。 ハルの肩越しに見る今宵の月は、とても美しかった。 2011.09.19 |