花集ウ 14

「あの、あの……」
「文化祭には俺と井上、二人で出ようと思うんだけど」
 なかなか話を切り出せない井上に業を煮やした渡辺が、続きを引き継ぐ。
「小笠原アイツ、何様のつもりだよ。晴にボーッとなってるのは、アイツの方なんじゃないの? あんな風に言われたら、正直やる気が失せるよ。井上なんてビビっちゃって、歌えないし」
「そう…… そうよね」
 先程の井上の様子から大体察しがついていた高遠は、それほどの驚きもなく渡辺に相槌を打つ。
「それにアイツ、へんな噂があるし。俺同じクラスの奴に、小笠原とは付き合わない方がいいって、言われてんだよね」
「噂って、どんな?」
「まあ、いろいろだけど。ウリをやってるとか、先生を強姦したとか……」
「あら、まあ」
 高遠が大きな目をぎょろつかせて女の子らしく大袈裟に驚いてみせると、残りの言葉は渡辺の口の中にもごもごと消えていった。
「高遠君みたいな優等生といつも一緒にいるんだから、そんなことないって、僕は言ったんだけどね」
 と、これは井上。
「それに高一であんなにドラムの上手い奴って、他にいないじゃん。高遠のキーボードも、相当のモンだけど」
 慌ててフォローにまわる渡辺に、アンタ達とは練習量が圧倒的に違うのよ、と高遠は心の中で言う。
 倉庫の隅をドラムの練習に使わせてくれと、高遠の父親に直談判しにやって来た小笠原は、まだ中学一年生だった。
 あの日から今日まで、小笠原がドラムスティックを握らなかった日は、一日も無いのではないか。
 そして高遠も、わざわざ渡辺達に言う程のことでもないので黙ってはいるが、ピアノとエレクトーン両方の講師の免許を持っている。
 結局、この目の前にいる二人だけではなく、入ってきては抜けていった今までのメンバーとも、小笠原の言う通り『目指すところが違う』のだ。
 彼らはちょこっとギターが弾けて、カラオケに一緒に行った友達よりも、ちょこっと歌が上手ければ、自慢にもなるしそれで満足なのだ。
 学校の文化祭で普段は上がることのない体育館の舞台に立ち、クラスメイトから、
「渡辺くん、井上くん。二人共、上手だったよ」
 と褒めてもらえれば、高校生活の良き思い出にはなる。
「小笠原は俺達とはもう演らないだろうから、高遠だけでもどう?」
 という、渡辺の間の抜けたお誘いを、
「ありがとう。でも、止めておくわ」
 やんわりと断って、高遠は二人にさよならを言った。


****


 渡辺と井上が帰った後の、誰もいなくなった倉庫の中で、高遠はさっきまで晴が座っていた事務机に形良く腰掛けていた。
 机の上に置きっぱなしの小笠原の煙草が目に入ったので、気が向いて一本頂いてみることにする。
「あら、案外美味しいじゃないの」
 初めて煙を吸った高遠は、小笠原がいつも不味そうにふかしているのを思い出し、フフッとひとり笑う。
 アイツらに、小笠原の両手を見せてやればよかっただろうか。
 ドラムスティックが当たって皮が剥けた、マメとタコだらけの手のひらを。
 確かに小笠原は、平凡な学生生活を共に送る友人として付き合うには、不向きな人間かもしれない。
 それに、放課後に小笠原のしていることが学校側に知れたら、停学処分では済まされないだろう。
 小笠原の嫌味な発言や私生活の乱れ振りは、決して褒められるようなものではない。
 高遠だってこの数年の間に、彼とはもう一緒にやってはいけないと、何度思ったことか。
 しかしその一方で、誰が褒めてくれるわけでもないのに、手のマメが潰れるまでドラムスティックを握り続ける姿や、双子の弟妹や晴の面倒をみている時の、優しく垂れたまなじりを知ってしまった今では、高遠はどうしても小笠原を憎むことができないでいるのだった。
 そして小笠原は今、深い深い穴の底でもがき苦しんでいる。
「こうなったら、義光にとことん付き合ってやろうじゃないの」
 煙草の火を消しながら、高遠が呟いた時だった。
「あのう、ごめんくださーい」
 開け放してあった倉庫の入り口に、小さな黒い人影が立った。




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あきゅろす。
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