命ーミコトー
7
「ここは…」
辺りは段々薄暗くなっていた。私はいつのまにかあの岩の前にいた。
風によってザワザワと揺れる葉の音が、不気味に感じる。
ゾワッ
肌に纏わりつくような嫌な気配がした。
生暖かく、闇のように深く、血のようにドロリとした…。吐き気がする。
ここにいてはいけない
そう思ったが、体が動かない。足はまるで地面にくっついてしまったかのように、その場から動くことが出来ない。
「やっと来たか、ミコトの巫女。いや、榊命。」
先ほど頭に響いた、美しい男の人の声がした。
その声の方に頭を動かす。その姿が目に入った瞬間、心が波打った。
「あ…。」
一人の男。
腰まである少し癖のある黒髪、服装からして現代の人間ではない。
肌は青白く、だが薄暗い森の中で光っているように見えた。
冷たい印象を受けるような整いすぎた顔で、目がじっと私を見据えている。
私と同じ、赤い瞳…。
「あ、あなたがここに封印されていた人?」
恐ろしさで声が震えるが、私は美しいその人に聞いた。男は何も答えず、ただフッと笑った。
この人じゃない。あの時の声と違う。だけど、何だか、この人も嫌な感じがする…。何か…。
「ミコトも哀れな。命を削って封印した者を、まさかその魂を持つお前に解かれるとは…。いや、運命だったのかもしれないな。」
男は目を私の目からそらさずに話した。目をそらしたいのに、そらすことが出来ない。
「あの順応な狛たちを捨て、また自分自身を捨ててまで、私を守ったのだ。もう一度私と会うため。」
「何を…?」
「私もミコトに会いたい。もう一度。」
その目は私を見ているのか、私の奥の誰かを見ているのか。
「お前は覚えてないのだな。まだ魂が十分ではないのか。」
私は男が言っていることが全く分からなかった。
「ならば、思い出させてやろう。その魂を完全なものとさせるために。」
男は一歩私に近づいた。
「お前は私と愛し合っていたのだ。」
突然そう言われ、私は頭が真っ白になった。
「あ、あなたとミコトの巫女が…?」
「そうだ。全てを捨てるほど。」
男はまた一歩私に近づき、私の肩に手をかけた。その手は冷たく、生気がなかった。
「嘘!」
私は肩に乗せられた手を振り払って叫んだ。
「嘘…だと?」
男の声は震えている。怒りのためか、赤い瞳の色は濃くなり、本当に血の色のようだった。
「そう!嘘に決まっている!だってあなたは…」
「人間ではないからか?」
男がフッと笑った。瞳が悲しげにゆれる。
「ああ、本当に何も覚えていないのだな。お前なら、転生しても、私のことは忘れないとばかり思っていたが…。」
私は黙って男から顔をそらした。
だが、男はそれを許さず、私の顔を両手で挟み、無理やり再び自分の方へ向けた。
「ああ、こうして近くで見ても、やっぱり似ている。」
私はキッと男を睨んだ。
「そういう気の強そうなところもそっくりだ。お前を……のが惜しくなる。」
「え?何?」
男の声はどんどん小さくなる。
「まあ、良い。少しずつ思い出させればいいのだ。再びお前を手にいれるまで…ミコト。」
ドクン、と胸がはねた。
でも、これはきっと私『榊 命』を呼んでいるのではない。『ミコトの巫女』のことを呼んでいるのだろう。多分、私の中にある…
「聞いているのだろう?お前が覚えていなくても、お前の魂は覚えているはず。」
男は私に手を伸ばし、視界を手のひらで覆った。
途端にだんだん意識が遠のいていき、足元も崩れていく。力が入らない。
「もう決して逃げられない。私の名前は…」
真っ暗な闇に落ちていく。その狭間で聞いた美しい男の声。
「夜琴(ヤコト)だ。」
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