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magi「うたかたの夢」
月見る夜は
「さつきも……」
「昨日ぶりだね」
「ああ…お前の言ってたツレってこいつらだったんだな」
「うん」
アリババ君は部屋に落ちた沈黙に耐えきれず、乾いた笑みとともに口を動かしていた。しかしアラジン君との会話は気まずさで、私とのそれは続ける気のない返しによって、数十秒程で終わってしまう。当たり障りのない言葉は何ら意味がないものと思われがちで、けれどその実場の空気を変えるには十二分の力を持っている。目の前で見ようによってはいっそ酷薄にすら見える笑顔を張り付けた彼も、恐らく経験としてそれを知っているのだろう。ツメが甘いとすれば通例が罷り通らない事態は多々あって、たとえばそれは不機嫌も露に隣へ立つ少女による今現在もそうであるということであったりして。
本題に入ってください、と淡々とたしなめるモルジアナさんに、彼はふいと顔を背けた。
「うるせーな…覚悟決めてきたのに。今、お前が急かすから、また話す気なくなってきたし…」
完全に開き直って拗ねてしまった少年に、場に居合わせた年長者として少しは取り成すべきかと考えてちらりと横を仰ぎ見、即座にその案は却下された。理由は至極明白で、隣の少女――モルジアナさんがぐっと眉を潜めたからだった。第一印象の愛想のなさからは想像もつかないほど、彼女は情が深い。下手に手を出しては噛み付かれてしまう。
(これは根が深そう……)
思わず下を向いたまま押し黙る少年に同情してしまいそうになるが、そんな考えは直後に霧散した。
「話してください。笑い事ではありません。あなたの『霧の団』のせいで今、この国で何が起きているか知っていますか?内乱で交易は止まり、政府が市民を見放し、逃げ出した罪なき貧しい人達が……国境で奴隷狩りされているんですよ!?」
それは、糾弾の声だった。
「こんなことにあなたが加担しているなんて……あなたはチーシャンで私たち奴隷を、私財を投げうって解放してくれた人ではありませんか!とても感謝していたのに!!」
八つ当たりのようなところもあるのだろう。彼女の思い入れは深すぎて、拙い距離感を狂わせている。
けれど、それは正真正銘、紛れもない彼女の心からの叫びで。
「こんな、他人のことを考えない人だとは思いませんでした!!」
ああ、なんて痛い。向けられた言葉が孕んだ棘は彼だけでなく、私の身にまで降りかかる。純粋であることは難しく、成し得た者は気付かない。諦めを知り線引きを覚えることを大人になったのだと言い換えて蓋をする者に、それは何よりの痛みを与えうる。開き直ることが出来る程、大人には為りきれていないと痛感させられる。
図星を差された人間の反応にバリエーションが少ないというのはどんな世界でもあまり変わらないらしく、少年はムスリと憤りを隠すことなくだんまりを決め込んだ。そうして言いたいことは言い切ったと、少女は少女で拗ねたように頬を膨らませていた。これでは話に進みようがない。
ここで流す程に整理がついていないのなら、彼はまだ、彼女と同じ側にいるというのに。
彼がそれに気付くのは一体いつになるのだろう。
「まあまあモルさん…」
いつもと変わらぬ柔らかい表情で、アラジン君が朗らかに声をあげた。モルジアナさんが珍しくわかりやすい様子で狼狽した視線をついとアラジン君の方へ向ける。
「モルさんも色々あって怒るのもわかるけどさ、せっかく三人で久しぶりに会えたんだし、さつきおねえさんだって知り合いみたいだし、そういえば良い月夜だし…みんなでもっと楽しい話をしようよ!」
今ここにいる中で彼が一番子供で、同時に一番の大人だった。彼の前では重ねた年齢の違いなどなきに等しく、ひたすら純粋に見つめる視線は全てを見透かすように思えて、その言葉は時折ひやりと背筋を撫でる。高々10日やそこらで何を、と鼻で笑ってしまえれば良かったのに。他意があるのかすら見分けがつかないから尚更、やりにくいことこの上なかった。
おう、とどもりながら返事をするアリババ君と呆気に取られて黙ったままのモルジアナさんが酷く幼く思える。いや、そんなことを言っては私の立つ瀬が無くなるのだけれど。
若干の気まずさを携えながらも話始めた少年二人に、さて私は何故ここにいるのかと根本的な疑問が首をもたげる。人探しを手伝いつつ落ち着くのを待つはずが、いつの間にか救援の手伝いに首を突っ込み、探し人は当初考えていたより数段速く見つかってしまった。これ以上彼の王様の世話になれば後々厄介事を抱えることにもなるだろうし、可能な収入は限られている。損を覚悟で幾らか金品を手放すべきか。眼前の全てをそっちのけにしてこれから先の皮算用を始めた思考を遮ったのは私の名を呼ぶ平坦な声だった。
「さつきさんは、昨夜アリババさんと会ったんですよね」
「ん?ああ、うん、そうだよ。出掛けた先でね。書き置き残したのはその件だったんだ。まさかと思ったから一応だったんだけど、ほんとにそうだなんてちょっとびっくりしたよ。それに結局あなたの方が早かったからね」
意味は無かったかも、なんて少し意識して目もとを弛めてみれば、優しい彼女はいいえと静かにかぶりをふった。
話しながら盗み見た、並んで部屋の隅に立つ横の、その視線。まばゆいものを見るような僅かばかり細められたそれに向けられた少年達は気付くことなく、ぎこちなさを次第に薄れさせながら冒険譚に興じている。
本当に、私はここに立っていて良いのだろうか。
考えるほどに自身が場違いであるようにしか思えない。彼ら3人と私との間にはどうしようもなく埋めようのない溝が、或いは越えようのない壁が横たわっていた。それを挟んだ向かい同士で話すことは容易でも、同じ地に足を付けて手を取り合うことは決してできない。鮮やかな色彩を蝋燭の焔に躍らせる彼の内面を暴こうと言うその場に、半端者が居て良い訳がない。覚悟ひとつ決められていないこの身に、彼女は、そして彼は、一体何を望もうというのか。そっと目蓋を臥せて扉へ後ずさろうとした足は、しかし結局それを果たすことは無かった。
「あなたも居てください」
「……書き置きの件はもう終わったよ?これ以上は無関係で、私にはもう踏み込む気はないの。出来れば引き際をわきまえたひとでいさせて欲しいな」
小さな音に反応したのは腕を掴んだモルジアナさんだけでなく、ぴたりと話を止めた伺うような2対の目もこちらを向いていた。いつの間にやら肩へ移っていたグラーシャは作り物のようにも見える瞳をただ艶やかに光らせるばかりで、それは好きにすれば良いといったいつかの彼女を思い出させた。出来るだけ平坦な音色を心がけたはずなのに安っぽくて薄っぺらいばかりの響きだけが口に登った。
「そんなのはただの言い訳です。貴女はもう無関係なんかじゃない」
対して突き付けられた言葉は決して大きくはないはずなのにひどくまっすぐに、避けようもなく私へ向けて突き刺さる。
これだから。これだから私は彼女達が眩しくて眩しくて、それから言いようがないくらい苦手で仕方ないのだ。まっすぐな言葉の前では詭弁はすぐにつまらない戯言へと成り果てるから。妥協を知らず信じた方だけを見続けるのは子供の特権とも言うべきものだから。とうの昔に棄てた権利を今更目の前に突き付けられたからといって素直に飛び付くには自尊心が高過ぎて、けれどやはりそれと同じ理由で退くことだって出来なかった。
そうして、私はいつだって中庸の振りをして甘えるのだ。
反らされることない眼差しと、外されることのない手のひらに。そして何より、私を許す、私以外の誰かの言葉に。
「……さつきおねえさん。おねえさんがどう思ってるかは分からないんだけどさ、僕はおねえさんに聞いていて欲しいと思うんだ。それはきっとモルさんも同じだよ。ね?」
こくんと一寸の躊躇いもなく頷く気配に息が止まるような錯覚を起こす。ふんわりと弛められた表情のまま、彼はまた自身の友人へと視線を戻した。
「アリババ君だって、おねえさんたちが無関係だなんて思ってないでしょう?」
「え?!…あ、ああ……」
知り合ったのも何かの縁だしな、と小さく溢されたのを聞いた彼は、至極嬉しそうな、優しい笑顔をこちらへ寄越した。頭の片隅で鳴り続けていた警鐘はいつしか消えていて、けれど警戒を解く気にはなれなかった。不気味なほどに静まり返った世界の中で、彼の声だけが不思議なくらいよく通っている。やめてくれ、と嘆願する代わりにぎゅっと拳を握った。
「ほら、二人ともこう言ってるよ。それとも、おねえさんはここに居たくない?だったら僕には止められないけれど…」
――だって僕はおねえさんのことが好きだからね――吐息ひとつ分の沈黙の後にそう続いて動くアラジン君の唇と、ひゅうっと音をたてた己の喉に、これ以上の抵抗は無意味だと知る。
「……分かった」
肩をすくめて見せることは出来なくて、代わりに小さくホールド・アップ。言えることなんて何ひとつない、完全なる降参だった。
腹を決めてしまえば、後は彼らを待つだけだ。
「話、止めちゃってごめん。私も、ちゃんと聞く」
積み上げたプライドは感謝の言葉を紡げるほどに安くはなくて、せめてもと持ち上げた唇だって、きっと歪に違いない。
隣に輝く一対の瞳はいつしか伏せられていて、私がその色を知ることは終ぞ叶わなかった。

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