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magi「うたかたの夢」
星見る夜は
日が地平線下へ姿を消してからも明るいままの時間というのは意外に短い。
とうに暗くなってしまった道と、壁で仕切られた家々を見上げて疲れ切ったままの頭でフワフワとそんなことを考える。
広場に仮設されたテントに元からいた怪我人は先刻で総て片付いたが、瓦礫撤去の方の進捗は思わしくないらしく、今日は引き上げるものの明日からもまた作業を続けるようだった。そういった作業には手の平や足など小さな怪我が付き物で、こちらの衛生環境の悪さから考えれば傷口は清潔にしておくに越したことはない。看護に当たっていた者は明日からは出来れば瓦礫の方へ行くようにと言われたが、小さな傷から病気を貰わないとも言い切れなかった。出来うる限り清潔な布地に水、加えて度数の高いアルコールを用意して近くで待機する――最後まで残って指示を出していた医者にそう旨を伝えると、私もそのつもりだよ、と返された。まだ腐りきっていない者もいるのかと関心する一方で、その傲慢な身の内に吐き気がした。
他に何か足すべきものがあったかな、と頭を巡らせながら、薄いパンに干し肉を挟んだだけの携行食を口に放り込んで咀嚼する。歩きながら食べるのは行儀の悪いことだが、止める気にはなれなかった。皮袋の水はとうに温くなっている。昼食にと持ち込んだ筈のそれらを胃に流し込みながらホテルへの道をゆっくりと歩いていると、不意に後ろから知った声がかけられた。
「さつきさん、今良いですか?」
振り向いた先には思った通りの赤い髪が揺れている。手にしたパンの残りはちょうど2つ。これから夕食だと言うのなら少しばかり食べ過ぎかもしれなかった。
「モルジアナさんの頼みなら勿論。後はホテルに戻るだけだしね。ただその前に、これひとついらない?お昼の残りで悪いんだけど邪魔になっちゃうから」
鞄に入れるのもひとつの選択肢としてあったけれど、食料品を他と一緒にするのには抵抗がある。無意識に寄せていただろう眉根は思った通り困ったように下げられ、ぽかんと不思議そうに開いていた口へ好機とばかりに押しつければ、思いっきり怪訝な顔をされた。毒なんて入っていないのだけれど。
そう言って自身も最後の一つを手に取って口へ入れると、今度は何故か溜め息をつかれてしまった。水がいるのかと問えばいらないと言う。さて、何が問題なのだろう。
とりあえず、目の前で静かに口を動かす彼女からは第一声のような緊張は感じられなかった。見上げてくるジト目が若干呆れているように見えるのはきっと気のせいに違いない。
十数秒の沈黙の後、口火を切ったのはモルジアナさんだった。
「私は今からアリババさんを迎えに行きます」
決して大きくはない、けれど芯の通った声。場所はわかるのかと聞こうとして止めにする。彼女が言い切るからには見つける自信があるのだろう。朝のような揺らぎがもうないのなら私が気にすることは何もなくて、後は彼らの問題だ。真っ直ぐに此方を見据える瞳は街灯の火を受けてちろちろと赤く煌めいていた。
「着いていっても良い?」
わざわざ伺いを立ててくれるモルジアナさんに感謝してそう言えば、失礼しますという言葉が背後から聞こえる。何が、と聞く間もなくふわりと持ち上げられて、私たちは文字通り、夜の空へと跳び出していた。

ジェットコースターもかくやと言わんばかりのスピードで、屋根から屋根へ跳びうつる中では、下手に喋れば下を噛みそうで何も言えない。しかし、普通なら不安定で仕方ない筈のところが逆に頼もしく感じられたりするのは、なんともらしいとしか言いようがなかった。
「少し待っていてください」
下ろされたのは何処かの建物の屋根の上で、モルジアナさんはそう一言告げると、とんと軽く地を蹴って降りていってしまった。きっとこの下に彼がいるのだろう。他より幾分か高い場所から下を見渡しても見えるのはちらほらとした小さな灯りが殆どだった。遠くには煌々と松明を燃やしているだろう貴族街が見える。中でも一際目立つ大きな建築物が王城だった。そういえばグラーシャは何をしているんだろう、とそんなことを考えながら足元に腰を下ろす。先程は仕舞う時間が無かったが、ここから二人運ぶなら例え彼女だといえ邪魔になる。細長い袋が明らかに合わないサイズの小さな鞄に収められる様は何度見てもやはりおかしかった。
そのままぼんやりと星を眺めてどれくらいたったのか。生憎と取り立てて星座に造詣が深いわけでもない私には綺麗だということ以外の意味を持たなかったけれど、一人静かに考え事をするには最適だった。
音に気付いて目線を下げれば先程と同じように赤が揺れていて、違いはと言えばその腕に少年を抱えていることだろうか。見開いた目とパクパクと動く口でわかりやすく驚きを顕にしている少年を無視して彼女は私に話しかけてきた。
「お待たせしました」
「全然待ってないよ。思ったより早かったくらい」
「ええ、まあ。面倒になって問答無用で連れてきましたから」
さらりと面倒呼ばわりされた彼に挨拶すべきかと旬順している間にくるりと背を向けられ、貴方は背中に捕まってください、と告げられる。
「……二人は流石に重いと思うよ?」
「5人くらいなら平気です」
「……そっか」
にこりともせずに淡々という彼女に従ってその背に身を預けて、とりあえずはこんばんは、アリババ君、と声をかけてみた。数瞬の後モルジアナさんを挟んで反対側から困惑した声が上がる。けれど、彼女はまたしてもそれを華麗に無視して、重力などまるでないのだと言うようにまた空を駆けた。
抱えられた少年の叫びに耳を塞ごうにも両腕は首に回していて、当たり前だが不可能だった。思わず顔をしかめてしまったのはしょうがないと言わせて欲しい。ご近所迷惑になるよ、なんて金の髪を靡かせて絶叫する彼に軽口を叩くことも出来ず、振り落とされないよう必死で背中にしがみつく。ここから落ちたら、等というぞっとしない想像はしたくなかった。
屋根から眺めていた時にはかなり遠くに思えた町並みも、彼女にかかればほんの数分にすぎないらしい。徐々に近くなる目的地に、寄り道をしなくてもこんなに早くは戻れなかったのではないかと何の気なしに巡った思考に、本当に規格外の子なのだと思い知らされる。
背中越しに見えてきた私たちの泊まっている部屋の窓から誰かの影が覗いていた。視界の隅を過った黒い影が後ろから着いてくる気配を感じていると、ふいにこれまでただ抱えられていたアリババ君がすっとごくごく軽い動作で放り投げられる。あっという間さえなく、それは実に正確にアラジン君の横を抜け、鈍い音と共に部屋の壁へと突っ込んだ。
(すごく痛そうだなぁ)
他人事のように考えていると、気付けば私たちもまた部屋に降り立っていた。
「ありがとう、モルジアナさん」
「いいえ、こちらこそ。いきなりのお願いに答えていただいてありがとうございます」
「それこそお礼なんていらないんだけどな…」
言いながら差し出した左腕に音もなく一羽の鳥が降りる。おかえり、という言葉に返ってきたのはホゥという一声だけで、彼女は話す気はないようだった。口をつぐんだままの彼女らに習って私も口を閉ざすと奇妙な沈黙の帳が降りる。
それを破ったのは逆さに転がったままの彼だった。
「……よ、よぉ…夜中に悪ィな…」
アラジン、と呼びかけるアリババ君の掠れた声を最後に、室内にはまたしん、と静寂が横たわる。ふと見上げた窓から見える空にはいつしか星も霞むくらい見事な月が顔を出していた。


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