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magi「うたかたの夢」
暫定解答
部屋に戻ってすぐ、走り書きで短く書き置きを残す。布団にくるまったままの彼等に向けたその文面は、未だに慣れない文字のせいで多分にぎこちなく綴られていた。目立つ様に何もないサイドテーブルの上へ、中央に文がひとつ鎮座する紙片だけを乗せて、そっとをその場を後にする。必要もないのに忍ばせた足音は、やはり彼等にとっては意味などなさなかったらしいと、目の前に立つ鮮やかな色彩に思い知らされた。
「やあ、早いな。もう出るのかい」
先ほどの話など毛ほども気にしていないような素振りでそう言ってのけるシンドバッドさんの笑顔が、今はただただ恐ろしい。後ろにいる二人も聞いていただろうに、何も言わずに控えている。下手を打ったと怯える私をくだらないと明るく笑い飛ばしてしまいそうな彼に、何の疑いも挟まない信頼を抱けたら、それはどれほど楽なことだろう。一国の主が一点の曇りも無ければその国が持つわけがないと訴える理性に強引に蓋をして、これまで見てきた多くはない、けれど決して少なくもない、この世界の総てを彼の背を通して眺めることが出来たなら。魅了されて同じ目線をその身のうちに持ってしまえば。そこにある意思が私のものでないことにすら気付かずにいることが、ただひたすらに怖かった。周囲に流されることが当たり前だった日々が無性に懐かしかった。
「はい。二人はまだ眠っているので、後はよろしくお願いします」
「ああ、勿論だとも。少しだけ申し訳ないがそろそろ彼等にも仕度をしてもらおうと思ってな。……だが君は本当に行動が早いな」
二度目になるお願いに、けれど彼は嫌な顔ひとつせずに頷いてくれる。二次被害が酷くなるといけませんからと口に出したのは完全なる建前で、本音を言えば私は彼等から少しでも離れたかったのだ。眼前を塞ぐ王と、背後の壁越しに眠る少年から。
そうして視線から逃れるように軽く会釈した私の頭に、ぽすんと優しく何かが落とされる感触があった。見上げたそこには、苦労してきただろう人特有の、ざらざらと手の平がある。ああ、けれどこの人はきっと、それを過大に誇ることはしないのだろう。感謝の言葉を吐いた私に屈託なく向けられた笑みの向こう、吹聴するより遥かに秘められた自信と野心と、そしてそれを裏打ちし後押しする実績。憧れるものは多く、気を抜けばすぐに飲み込まれてしまう、圧倒的なまでの存在感。何かあったらすぐに言ってくれ、そう言って細められた瞳は何故だか私を泣きたいような気分にさせた。
「……それじゃあ、私はそろそろ出るので」
彼の台詞は聞かなかったことにして、意識的に選んだ口調は砕けた言葉遣いに反して硬く、逆に突き放したいという意図を孕んで聞こえる筈だった。優しく静かに撫でられた頭が妙に心を掻き乱す。けれど、直後後ろで頭を抑えるジャーファルさんが呻くような声をあげながら「ああ…またシンの悪い癖が…」なんて呟いているのが聞こえてきて、思わずふっと噴き出してしまった。
「ん?どうした?」
頭に置いた手はそのまま、顔を覗き込む彼は素でこれをやってのけるのだろうか。場違いなくらい明るく淀みのない声音に、らしくもなく落ち込んでいた気持ちがすうっと軽くなっているのを感じる。何の解決策も見つかってはいないのだとしても、これから探して行けば良いのだと上向いた思考が表層に浮上しているのに気づいて、シンドバッドさんには分からないように小さく口の端を緩めた。引き際を心得た物言いをする彼の優しさが例え計算によるものであったとしても、少なくも今はまだ、整理の着いていない心中にこれ以上土足で踏み込むことはしそうにない。もしそこに一片でも気遣いが有るのなら、少しくらい信用しても良いだろうと生来の楽観的な私が顔を覗かせる。やはり深刻に考え続けることには向かないらしい。
「いえ、なにも」
視線を下げたままゆるりとかぶりをふった後、ありがとうという言葉は意外にもするりと自然に登って。それに対して目の前の三人がほんの一瞬見せた驚きの表情は至極間抜けだった。きっとこれは一生忘れられないだろうな、なんて考える暢気な自分を見つけて、今度はしっかりと彼等を見据えた。
「ああ、気をつけて」
乱雑にかき混ぜられた髪はぐしゃぐしゃになってしまい、思わず眉を潜めた先に見えた笑顔は存外に優しくて、それが何より眩しかった。向かう先に何があるのかをほんの一時だけ忘れさせたままになされるやり取りは穏やかで、いつの日かの日常を取り戻したかのような錯覚まで起こさせる。
沸き上がる郷愁には気付かない振りをして、今感じるままの感情だけを乗せた笑みは不謹慎にも思えたけれど、きっと確かなものに見えていた筈だ。
「行ってきます」
起き出してきただろう人達のざわめきが増えていくなかで、その言葉はいつもより大きく響いて聞こえた気がした。



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あきゅろす。
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