@ 【02:梅花皮稲荷】 昔から、変なものが見えた。 両親や兄や妹、祖父母には見えないらしいそれらは、物心付いた頃から日常の中に紛れ込んでいた。至極当然、といった顔をして。 人間の服を着た狸や狐や、一体何の生き物なのかも判らない。そういったもの達。 『銀牙、怪異を恐れるな』 唯一、それらを見て、聞く事も出来たらしい曾祖父が幼い俺に言った。曾祖父の顔すらも朧気ではっきりと覚えていない癖に、何故だかその声と、言葉だけが浮き立つように鮮明だった。 『鉦継と、鍔鬼がお前を守る』 曾祖父…椿欽十朗に纏わる記憶はこれだけだ。他には何もない。 そして、曾祖父が亡くなって何年かしてから、正月に家宝の刀を一族が揃う大広間まで運ぶ父の姿を見て、気付いた。 ああ、父の後ろをしずしずと歩くあの少女が、鍔鬼なのだ、と。 「……」 だから、その日も学校の帰り道で見掛けたそれを、何事もなかったかのように振る舞って、通り過ぎる事など出来なかったのだ。 「…バレた」 真夜中、倉に飛び込んでくるなり、引きつった表情の鉦継が言った。 言われた側の鍔鬼と丘山からしてみれば、さっぱり訳がわからない。 「何が」 気を利かせて、丘山が先を促す。 「銀牙に」 あら、と鍔鬼が口を挟む。 「銀牙なら、産まれた時から既に見えていた筈よ」 聞こえはしないみたいだけれど、と続けた鍔鬼の言葉はもう、鉦継の耳には届いていなかった。 珍しくも言葉をなくしているらしい。 「それで、目だけが優れた君の弟が入り口に立っているんだけど…話を聞かなくて良いのかい?」 「うおっ!」 「ああ、やっぱり鉦継の知り合いだったんだ」 ごく自然に話し掛けてくる銀牙の態度に、鉦継の方が付いて行けない。 自分んちの倉に変なのが二人も居るんだからまずはそこに突っ込めよと言いたい。 「…聞いた事がある。そっちが鍔鬼で、そっちが管狐」 「あら、欽十朗も一応説明はしていたのね」 「クダと呼ばれるのは心外だな」 以前、丘山が鉦継に対し根気良く、且つ熱心に説明していた。 狐狸の類に取って、人間に使役されるのは屈辱の極み。一度人間に隷属したとなっては、終生に渡って蔑みの対象となるのだという。だが、狐狸…特に狐は甘言を弄して契約を結び、人間を食い物にするのを常としている部分がある故に、契約だけならばそう珍しいものでもないのだという。しかし、クダ、即ち管狐は違う。前提として契約があるのは同じだが、管狐は家畜に近い存在で、繁殖までも術によって管理され、障害に渡って利用され続ける。見返りはない。使い捨てるようにして犬死にするだけだ。 丘山の場合、曾祖父ちゃんと対等な契約をしているからただの眷属で、本当は管狐じゃない。…らしい。象牙細工の筒は簡単に言えば長期睡眠用のカプセルみたいなもので、オレみたいに見える・聞こえる・触れると三拍子揃った正統後継者が長く出てこない間、無駄に力を使わないようにする為だと言っていた。 要はやっぱり管狐だけど、本人はどうしても否定したいって事だ。 「これ、鉦継の言う事聞くの?」 淡々と話を進める銀牙は丘山を指して言う。何故だかそれに鉦継は苛立ちを隠せない。 「待てよ銀牙。お前、何で黙ってたんだよ」 「別に。鉦継だってそうだろ」 思わず肩を掴んだ手を、銀牙は鬱陶しい、と言わんばかりに払いのける。 「オ、オレはついこないだ見えるようになったばっかなんだよ!」 「黙ってたんだから、同じだろ。それより、頼みがあるんだけど」 生意気な態度を取る銀牙の口から、頼み事という単語が飛び出してきて、鉦継は益々意味が分からない、と混乱する。 「稲荷神社、あるだろ?昨日、あそこを通り掛かった時に、暴走族が大勢居て、ペンキで社を汚してた」 「ああ、母ちゃんがメシん時言ってたな」 朝食の席で話題に登ったのは、梅花皮町唯一の神社が不良の手によって落書きをされたというものだ。父親の鉦唯が恐ろしく不機嫌そうだったのでよく覚えている。 梅花皮町には寺がないが、小さな神社ならある。五穀豊穣を願う稲荷神社だ。名前を、土地の名をそのまま取って、梅花皮稲荷と言う。 何でも、戦前に土地を提供したのが曾祖父の欽十朗だったそうで、椿家とは深い繋がりがある。梅花皮稲荷が建ってからは、結婚式や七五三などは全てそこで行ってきた。両親もそこから宮司を呼んで結婚式をやったそうだから、不快感を覚えるのは当然だろう。 「お前、見てたのか」 「うん。それで、見ていたら何か、黒い影みたいなものが本殿の中から飛び出してきた」 「…で、お前それどうしたんだよ」 「近付いたらいけないものだと分かったから、そのまま帰った」 「妥当な判断ね。仮にも神を名乗るものから怒りを買わない方が良い」 と、鍔鬼が口角を上げて銀牙の判断を褒めるのが面白くなくて、鉦継はムッと眉間に皺を寄せた。 「近寄らない方が良い」 それだけ言うと、銀牙はさっさと出ていってしまった。忠告のつもりだろうか。 …――弟の癖に。 鉦継は昔から、銀牙の事が気に食わなかった。何をさせても出来が良く、大人びていて人当たりも悪くない。 しょっちゅう両親と衝突する鉦継と違って、滅多に周囲の大人と揉めたりはしない。性格も頭の出来もまるっきり違う。顔が似ていないから、本当に兄弟なんだろうかと思う。実際に兄弟なのかと聞かれるのは何時もの事で。残念ながら、文句なしに美形と呼べる弟が叔父に似ていると知っている。 「今日にでも、片付けに行きましょう」 鍔鬼が淀みなく言った。もやもやとした暗く重い空気を払う。 「鉦継、今回はその狐を連れて行きなさい。どうしようもないようなら、私の所まで誘導して連れて来て頂戴」 「えー…丘山とかよ?」 「ええ、不満なのは分かるわ。でも我慢して、鉦継。今回ばかりはあの狐も役に立つ筈よ」 「…君達、何時の間にそんなに仲良くなったんだい?」 鉦継と鍔鬼がすっかり打ち解けている様子に、丘山は苦し紛れに疑問を投げ掛けるが、答えは聞かなくとも分かり切っている。血だ。確実に椿の血だ。 「おめーが牛乳瓶で怠けてる間にだよ」 「全く、眷属として失格だわ。そろそろ寿命かしらね…」 丘山青はこの時漸く、自分が余り良くない巡り合わせの下に居るのだと悟った。悪戯に世代を重ねたせいか、鉦継の方が彼の曾祖父よりも遥かに当たりがきつい。 [次へ#] |