A 彼は日々の暮らしに不満はなかった。 近年では供物が以前よりも減った位で、静かに、悠々自適に暮らしていた。人間が時々願い事を持って鈴を鳴らす位で、静かにな生活は続く。屋根も壁もあるから風雨に晒される心配もない。食事以外は日がな一日、丸くなって眠っている。一年に何度かある祭りの時には煩いが、それも一日かそこらで終わる。 「っ、はははは!おま、ペンキまで用意してんのかよ!」 「うっわ、やっぱ赤かよ〜。お前赤好きだなー」 「うっせぇーよ!いいからやろうぜ!」 小一時間は続く馬鹿騒ぎに閉口して、戸を僅かに開けてみる。外では何やら、珍妙な色をした髪の、若い人間の男がたむろしている。少しだが女も居る。煙草と、嗅ぎ慣れない酒の臭いがした。 ビチャッ! 鼻が歪むような不愉快な臭いが立ち上ってきた。白木の柱が床が、毒々しいまでに真っ赤に染まる。 顔に、赤く汚れが散った。 「バッカ、缶投げんなよ〜」 「散っただろうがよぉ!」 毛皮が汚れる。牙が剥き出しになって、顔中に皺が寄る。 俺の巣を荒らすな。 「…おい」 「何だい?」 「イヤホン取れよ」 隣を歩きながらずっと何かを聞いている丘山の耳から伸びるコードを引っ張って、イヤホンを片方引っこ抜く。いかにも値段の張りそうなメタリックブルーで、何時もながらどこにそんな金があるんだと文句を付けたい。 オレもよく親父からヘッドホン外せって言われるけど、たった今その気持ちがよーくわかった。何かムカつく。イラッとする。 「ああ、済まないね」 しれっと澄まし顔を作る丘山は、相変わらず良い服を着ている。今日は何だかダボッとした蛍光色の青と黒のボーダーの下にタンクトップを着て、下は先日とはまた違ったダメージジーンズと無駄に高そうなサンダルだ。髪型も髪型で毛先を跳ねさせている上、水色のエクステなんてしてるから、どっかのビジュアル系の兄ちゃんに見える。 それに引き換え、オレは大分色落ちした迷彩柄のズボンに適当なビーサン、黒地になんかよくわかんねー赤いロゴの入ったTシャツだけで、後は斜め掛けのでかい鞄だけだ。 意味わかんねーよ。なんでオレの手下な筈の狐がオレより良い服着てんだよ。いや、本人曰わく化けてるだけだから元手はゼロ円らしいけど。 「っつーか、さっきから何聴いてんだよ?」 「ん?ちょっと情報収集を、ね」 丘山がポケットから小型のラジオを取り出してみせる。おいちょっと待て。服は自前(?)だとしてもそれは買ってんだよな? 「いや、お前狐なら妖力とか使えよ」 「使わなくてもこれがあるなら同じ事さ」 時々(というか寧ろ頻繁に)オレはコイツが狐でも眷属でもなくて、ただの面白がりの頭がおかしい兄ちゃんなんじゃないかと思う。余りにも言動が人間臭い。 「ラジオによると、昼に派手な交通事故が起きたようだね。場所は駅北口前の交差点。バイクを走らせていた未成年者二人が重傷。隣町の病院に搬送されている」 道理で渋滞してる訳だ。地方都市の冴えないベッドタウンの昼間にしては、道が混み合い過ぎている。 「取り敢えず、事故の現場検証だのは警察に任せておいて、先に神社の方に行くのが得策ではないかな?」 「って、情報収集の意味ねーだろ、それ」 「君はもっと頭を使うべきだね。少なくとも、事故を起こせる程度の力を持った相手だと分かったじゃないか」 フン。鼻で笑われた。すげー殴りたいけど、ここで殴ったら負けのような気がしたから止めておく。 「事故を起こせるって…カミサマってそんな事まで出来んのかよ?」 「…鉦継、君、勘違いしているようだけれど、あの神社に居るのは神何て大それたものではないよ。ただの妖だ」 「はぁ?」 何で神社に妖怪が居んだよ。神様一体何してんだよ。ん?あれ、神無月って何月だっけ? 必死に記憶を掘り起こそうとしている鉦継に構わず、丘山が尚も説明を続ける。 「梅花皮町は事情が特殊でね。君の曾祖父の欽十朗より九代前…初代椿の欽一朗が、ある龍神と契約を結んだ。五十年に一度神を招いて、地を整えるという契約だ。僕も詳しくは知らないが…他にも幾つか契約があって、谷の調停は全て椿の当主に一任されている。まあ詳しくは君の守護に聞くんだね。だからこそ、梅花皮には寺社仏閣の類が一切ない」 「いや、だから梅花皮稲荷は一体何なんだよ」 「戦後間もなく人間達が作っただけのお飾りさ」 「テキトーかよ!」 「それはこっちの台詞だね。人間がする事は何時だって支離滅裂だ」 常になく毒のある丘山の態度に、鉦継は戸惑いを隠せない。 妙に突っかかってくるっつーか、なんつーか…もしかしたら、先祖の誰かがやらかした神絡みの事で痛い目見たのか?コイツならあり得る。一昨日もポーカーやってたらロイヤルストレートフラッシュ連発されて菓子全部巻き上げられたしな…カミサマに成敗された事の一度や二度はフツーにあるだろ、コイツ。 イロイロ考えてる内に、問題の梅花皮稲荷神社に着いた。それなりに古いけどボロくはない神社で、小さいながらもおみくじが引けたりお守りが売ってたりして、正月にはそれなりに活気がある場所だ。なんでも学校の先生(モチロン社会科のだ)いわく、稲荷なのに狐の像が本殿の前にないのは結構、珍しい。らしい。今もそれは同じで、よくある石の狐の代わりに、デカい灯籠が左右にあるだけだ。 「うわ、真っ赤だな」 「鼻が曲がりそうだよ。シンナー中毒になりそうだ」 耐えかねたのか、スゲー嫌そうな顔で丘山が自分の鼻を摘んだ。気持ちは分かる。大量にぶち撒けられたペンキがまだ臭う。 「……おい」 「何だい?」 「なんの異変もないんだけど」 「そのようだね」 「ハズレじゃねーかバカ狐!」 涼しい顔でしれっと言ったのがムカついたから、今度こそ頭を殴ってやる。「場」になんねーじゃん!ただの穏やかな昼下がりじゃねーか! 「相手は予想よりアクティブなようだね」 「英語使うな。ムカつく」 「He is not in here. I think he went to hospital.…英語は苦手なんだ」 「死ね!死ねお前!」 何発か蹴りを繰り出してみたけど、今度は全部かわされる。バカ狐はなんかヘラヘラ笑っててマジで殺したい。っつーかなんかコイツ今日無駄にテンション高くねぇ? で、何で純日本産妖怪の癖に英語知ってんだよ。よくわかんねーけど合ってる…と、思う。多分。しかもオレ、英語の成績2だよ!正直言ってスゲー悔しい! 「取り敢えず、君が英語の成績に思い悩む間にも次の犠牲者が出る可能性がある。病院に向かおう」 「…どうやってだよ」 「勿論、バスに決まってるじゃないか」 西洋かぶれの眷属に最早掛けるべき言葉も見つからず、鉦継は誘われるまますごすごと近くにあるバス停へと向かった。 [*前へ][次へ#] |