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「……いない?」
「私はこの子が心配で駆け付けたに過ぎません。何分、うちのが倒れてしまったので軍としては世界王の側を離れる訳にはいかないのです。今こちらにお邪魔しているのは、私とそこの」スティンズは入口の傍らに立つ若い男を示した。「モーリッツ以外は東方軍の連中です。少し前にうちの文官も来たようですがフィーアスさんと一緒に議事堂の方へ向かったそうですから」
 フィーアス一行の中に居た文官らしき男のことだろう。アリシュアは難色を示す。
「現場指揮官がいないのは困ります。これから学校側とも細かく調整していかなければなりませんので誰か選出して下さい」
 勿論聞こえていたのだろう、スティンズとモーリッツとの間で視線のやり取りが成される。それをワゼスリータが不安そうに見上げていた。
 ロアさん、とそっと袖を引いた。
「私は大丈夫です、ルシータさんも付いてくれてますし……。だからロアさんは気にしないでお仕事してきて下さい」
 スティンズは情けなく太い眉を下げる。そこまで言われてしまっては仕方がないとしょんぼりと肩を落とした。
 アリシュアはスティンズとファレスや校長とを引き合わせ、再びワゼスリータの元に舞い戻る。目的は現場指揮官ではない。
 既に話を通しておいた女医が赤毛の女を呼ぶ。女は僅かに首を傾けて長い髪の間からこちらを見た。
 アリシュアは女に向かって外務庁職員だと名乗ると人差し指で自分の耳を軽く叩く。ぼんやりとそれを見ていた女は、突然息を吹き返したようにがばりと身を起こした。
「!? ルシータさん? 大丈夫ですか?」
「………………」
 女はワゼスリータの呼びかけにも気づいていない。眼球が零れ落ちそうな程目を見開いてアリシュアを凝視していたが、いくらも経たずに再びソファに倒れ込む。
「…………分かりました。全てお渡しします」
「有難うございます」
 そのやり取りを確認した女医がモーリッツを呼ぶ。彼は突き刺さんばかりの敵意と視線をアリシュアに向けながらやって来た。その腰には鍔のない細い剣がある。
「リュノー、城に連絡して。さっき解析に出したやつ、出来上がったら丸々コピーしてこちらの外務庁に提出」
「はあ?」
 赤毛の女が言うとモーリッツはぎろりとアリシュアを睨む。
「いいから、手配して」
 言われた方は渋々といった体で多目的室を出て行く。思い切り舌打ちされたアリシュアは苦笑してその背中を見送った。
「はい、お嬢さん」
 その間に女医がチョコレートをワゼスリータに差し出した。少女は女の手からそっと小さな包みを受け取り、じっと見つめる。
「……これ、ヴィンセントさんの……」
「そう。クレイが提供してくれたの。――全部出しちゃったから、あなたたちの餌付け分は暫くナシだそうよ」
 ワゼスリータは小さく笑う。チョコレートの包みを握り締めるとじわじわと泣き始めた。アリシュアは空いた隣に座って毛布越しに小さな背中を擦り、胸に抱き入れた。しゃくり上げ始めた頭を撫でる。
 視線を感じて顔を上げると、ワゼスリータの奥に座っている赤毛の女が物珍しげにこちらを見ている。文句あるのかと視線に含ませると、女の唇が僅かに動いた。
 発声するのも億劫なほど疲弊しているのか周囲に配慮してか、アリシュアはその無音の言葉を追う。
『ディレル』『別人格発現』『ヴァンパイア化』『ワージィの血液摂取』『内部拒絶』『紅隆』『首』『切断』『ディレル体内から因子分離』『心肺停止』『血酔いした父から』『殺されかける』
「ルシータ、栄養剤打つから腕出して」
 女医が女の白い腕を取る。されるがままになる女はそこで口を閉ざした。
 ほんの僅かな時間に子供たちが体験した恐怖を知り、アリシュアは声も出ない。
 けれどこのタイミングで猛然と声を上げた者がいた。





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