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調べものと各種手続きを整えてアリシュアが車に戻ると、外の空気を思う存分吸い込んでいた男たちはぴたりと動きを止めた。
文部科学省職員たちの目配せに頷き、ファレスがにこやかにアリシュアの前に立ち塞がる。
「先輩、今度は俺が運転しますよ。ほらやっぱりこういうのは後輩の勤めってやつですからね」
勿論これは却下した。
行きと同じように喉が嗄れるほど絶叫した彼らは、問題の小学校に到着すると震えながら車を降りる。これから世界王が暴れているという現場に向かうためだけの震えではないのは明らかだ。
「かかかか帰りは俺がうん、運転しますからね!」
「そんな状態のやつに運転なんてさせられる訳ないでしょ。大丈夫よ、帰りは安全運転で行くから」
五人で来客用入口から校内に入ると、丁度出て行くところだったらしい一団とはち会った。フィーアスと、明らかにゴルデワ人と分かる男が三人。
「……アリシュア……」
こちらに気付いたフィーアスが呟く。
「どうしたの、それ」
一体何があったのか、彼女の衣服は大いに乱れていた。
全身べっとりと、何か橙色か薄茶色のもので汚れているし、シャツはボタンの上半分が明らかに飛んでおりネクタイピンで襟元を止めている。スカートには皺が寄り、袖から覗く手首にはくっきりと指の跡が付いているし口紅も剥げている。更によく見ると首筋に赤い小さな痣が二つ見えた。
ただ事ではない姿だが彼女は焦った様子も見せない。
「いいの」
ぽつりとそれだけ呟いた。
そのフィーアスに寄り添うように立つのは、外務庁員には見覚えのある衣装を着た美しい男だ。高い身長、僅かに肩にかかる輝く銀髪、長い睫の中には深緑の瞳、白い肌。アリシュアはその男の襟元に素早く目を走らせた。
青。
男の後ろには護衛二名に文官らしい男が一人。
「フィーアス、申し送りできる?」
彼女はどこかぼんやりとしており、その様相も相まって声を掛けにくい。周りもそれを分かっていたのだろう、銀髪の男が代わりに説明した。
「うちの世界王二名は城へ搬送しました。子供たちは近くの多目的室へ移してうちの医師が診ています」
「生徒に怪我人が出たのですか?」
「擦り傷が数名、ただそれよりも精神的ショックの方が大きいでしょう。我々が到着した時点で教室は血だらけでしたから――。医者と作業員を数人ずつ残してありますので、申し訳ありませんが詳細はそちらにお願いします」
一団を見送ると門外漢が首を傾げた。
「彼らは何だ?」
さすがのファレスも呆れたのか、疲れた声で今のは世界王だと教えてやった。銀髪の男が着ていたのと同じ銀色の装飾の付いた黒いコートの様な衣装を紅隆も着てきたことがある。
「あれは東殿だな」
「え、よく分かりますね」
「見れば判るだろ。――あの顔……、ナット・クラリネリロか……、確か財務担当……だったかな」
「え? 何です?」
「何でもない、行くぞ」
先ず職員室に出向き挨拶をすると校長が一行を出迎えた。さすがに顔が蒼い。
文部科学省の三人とそこで別れ、アリシュアとファレスは職員室にいた教師の案内で事件があった教室へ向かう。
「? ここですか?」
先程の世界王の話では血の海だったというが、案内された教室はまるで何事も無かったかのように至って普通だ。生徒がいないのは移動教室のためだと言われれば納得してしまいそうだった。
「……私たちにも、何が何だかさっぱり……」
生徒を出した途端、汚れや破損が吸い込まれるように消えていったと言うのだ。案内してくれた女性教師は不安そうだ。
「…………生徒はここに居たんですか?」
「はい、全員……」
「全員?」
紅隆は恐らく授業中に乱入した筈だ。それだけでも生徒の避難に価する一大事だ。ファレスと二人顔を見合わせていると、後ろから声を掛けられた。
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