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 子供たちはすぐ隣で行われているバルーンアートに夢中だ。細長い風船が動物や乗り物に変身する様を他の子供たちに交じって楽しそうに見ている。
 その歓声を横から聞きながらも、フィーアスの心境は嵐だった。
 参ったなあと言う割には全くそんな様子もないその男は、イリッシュが買ってきたドリンクのストローに口を付け、弟子とその彼女のじゃれ合いを眺めている。
 イリッシュの恋人は現在歌唱訓練中だといって、その歌の先生も併せて紹介された。
「何とびっくり、アリシュアのお兄さんなのよ〜」
 そんな紹介の元、フィーアスの目の前に現れたのは二十日程前に現れたカーマなる男だった。
 しかも彼が「初めまして」などというものだから、フィーアスもしどろもどろしながら頭を下げたのだ。よくよく思い返せば確かにあの夜のことは「内密」なのだから当然の対応なのだろうが、何ともやりにくい。
 加えて「アリシュアのお兄さん」という一言がフィーアスの混乱に拍車をかけていた。
 フィーアスの見立てでは彼はゴルデワ人だ。けれどアリシュアと兄妹なら、その見解は誤りである。
 しかし一介のサンテ人がゴルデワ語を習得し、あまつさえ世界王と面識を得ることなどあり得るのか。
 ベンチに並んで腰掛けても何をどう切り出せばいいのか分からないでいると、隣の方から「参ったなあ」と零し始めた。
 ややしてから咥えていただけのストローから口を放す。
「こんなことならちゃんと設定を考えれば良かった」
「え?」
 視線は相変わらずイリッシュたちに向けている。兄ではないのだとカーマは言った。
「兄だと名乗ったのはあくまで職場への出入りの口実との関係を勘繰られないための方便であって、血縁関係はありません。ただ他人だから知らない仲だと言う訳でもない」
 隣のカーマを見ながらフィーアスはパチパチと瞬きをする。それを見て聞きたそうにしていたのでと男は応えた。
「ご主人から何か聞きましたか?」
 いえ、と小さく呟く。そうでしょうねと返答があり、ならばそれで全てですとカーマは言う。
「人には領分というものがある。そう言うとまるで仲間外れのような聞こえ方をしますが、そんな次元の話じゃない。例えば」
 カーマは右手に見える子供の群れを見やる。
「女性の貴女は子を産めるが、男の私にはそれが出来ない。そんなふうに、人には出来る事出来ない事が厳然としてある訳です。ただ出来る出来ないの差は本人の能力差という一見不可視のもの。能力とは資格や権力、キャパシティ等です。これは性差のような判り易いものではありませんから、能力の低い者が出来る気でいる場合やその逆もある。しかしこの判断ミスは危険性の高いものなのです。
 貴女の場合は半分以上がご主人の過保護のようですがね。――先日お伺いした際、ご主人に貴女を巻き込むなときつく釘を刺されました」
 殺されるかと思ったと言いながらカーマは可笑しそうに笑う。フィーアスが何も言えず黙っていると、男はもうフィーアスの存在を忘れてしまったかのように視線を彼方へやった。
 すると何処からか流麗な歌声が聞こえ始め、その調べは瞬く間に公園中に広まった。
 誰も彼もがぽかんと聴き入り、手が止まる。フィーアスたちの横手にいたバルーンアーティストや子供たちの手から離れた色形とりどりの風船が青空に吸い込まれていくが、誰も気づいていない。
 皆が歌の出所を無意識に探した。真っ先に気付いたのは恐らく彼の弟子だろう。隣にいたフィーアスはイリッシュに次いで三番手。
 カーマの口から流れ出る甘く柔らかな、けれど何処か耳慣れない調べは視覚にまで影響を与え始め、噴水がある筈の前方に風に靡く薄野原が現れた。
 この日、フィーアスは自分がどうやって子供たちを連れて帰宅したのか覚えていなかった。





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