106 その日の出来事は原因不明の集団幻覚としてちょっとした騒ぎになったらしい。らしいというのは当事者たちがその現象を実害と認識していなかったからだ。勿論、呆けすぎて転んだりぶつけたりの軽傷が多数あったが。 フィーアスもその例に洩れず、知らないうちに足や腰や腕に痣が出来ていた。 あの日現場にいた者は宮殿内にも何人かおり、彼らには丸二日の自宅療養を命じられた。原因不明、しかも本人たちはぼうっとするばかりで使い物にならないとなれば当然の判断だろう。 その二日の間にカーマが訪ねて来たらしいが、フィーアスはそれさえも認識していなかった。ただ後から夫に原因不明だと口裏を合わせるよう要請された。 「……分かってるな?」 休みを開けて出勤すると上司に不気味なほど爽やかな笑顔で釘を刺され、冷や汗を感じながら頷いた。厚生労働省第一執務局ではフィーアス以外にも二人、同様の症状で休んでおり、彼らの分の仕事が周囲の重荷になったのだ。 中間管理職のフィーアスだけはそういう訳にもいかずに溜まっている。さっさと片付けろと言う訳だ。 そんな訳でカーマについての考察を開始できた時には事件から十六日が経過していた。 世間的には未だに原因不明のままだがカーマが関係しているのは間違いない。でなければ普段極力顔を合わせないようにしている夫がわざわざフィーアスに会いに来て口裏合わせをさせる筈がないのだ。 改めて凹んでしまったが無理矢理思考を戻す。 ゴルデワ側から彼についての情報を得るのはまず無理だろう。ならばカーマの関係者らしいアリシュアか弟子の彼女のイリッシュに確認を取るしかないが、アリシュアに会う勇気は未だに無い。 書類提出にかこつけて財務省へ向かったフィーアスだったが、執務局へ入った途端タイミングの悪さに逃げ腰になる。イリッシュの傍らにアリシュアがいたのだ。 しかもアリシュアは直ぐにフィーアスを見つけたようで手を振ってくる。無視する訳にもいかずそろそろと近づいたが何をどう話せばいいのか分からない。 フィーアス同様休んでいたイリッシュの机は未だに凄いことになっており、カーマの話どころではなさそうだ。軽く挨拶をし書類を提出してそそくさと立ち去った。公路へ入ったところで声を掛けられ一瞬身を竦めたが、フィーアスを呼びとめたのはタインだった。 丁度別れたところだったようで、財務省副長官の背中が遠ざかって行く。 「体はもういいのか?」 並んで歩きながら尋ねてくる。フィーアスは問題ないと答えた。 「西殿も心配しただろう」 「うん、まあ」 ただし夫が心配したのはカーマの関与の発覚の方だ。フィーアスの体の心配ではない。 ふいにカーマが「職場への出入り」と言っていたのを思い出した。彼が出入りすると言っていたのはタインの職場である。 「ねえ、今時間ある?」 「今? 今はちょっと……。何? 急ぎか?」 考えてみればフィーアスも決して暇ではない。聞きたいことがあるのだと答えて空いている日時を連絡してくれるよう頼んだ。 [*前へ][次へ#] [戻る] |