向日葵の君 面影2 女を屯所に連れ帰った土方は、近藤に事情を話し、怪我が落ち着くまでの間、屯所で女の身を預かることになった。 女の話がどこまで本当かはわからないのだが、実際に酷い怪我を負っていること、そして滅多にない土方の申し出に、近藤は快く異例の特別待遇を許した。 とりあえず空いていた簡素な一室に通されている女の元へ、土方は速足で向かった。 襖を開くと、顔を上げた女が包帯を巻いた足で急いで正座し、頭を下げた。 「落ち着いたか?」 「はい。あの……本当にありがとうございました」 「楽にしたらいい」 「あっ、はい。すみません」 女は素直に足を横に崩した。 屯所に着き血まみれだった足袋を脱がせると、女の足は何本も爪が剥がれ、皮は破け、右足首は捻ってしまったのか紫色に腫れ上がっていた。 足しか怪我はないと女は言ったので、さすがに全身くまなく調べるわけにもいかなかった。 だが実際は顔も殴られていたし、よくこんな状態で逃げてきたものだと心底驚いた。 もしあそこに自分がいなければ一体どうなっていたか。 さっきは駆け付けた近藤と二人、思わず顔を見合わせてしまったほどだった。 「名前…聞いてなかったな」 女の前に座った土方は、早速煙草に火をつける。 「茜です」 「茜か。いくつだ?」 「十九になります」 「そうか」 名前も年齢もさっき土方の前で近藤から聞かれ答えたはずなのに、聞いていなかったのか再び同じことを聞いてくる。 そのくせ答えてみても、特に何てことのない素っ気ない反応。 なんだか居心地の悪さを感じた茜は、逆に土方に名前を尋ねてみた。 「あの……、あなたのお名前を教えてください」 「土方十四郎。ここの副長だ」 土方は煙を吐き出し、低い声で答えた。 「お偉い方だったんですね」 それには反応せずに煙草を灰皿に押し付けると、「さっきの話だが……」と茜の顔を見た。 「さっきも話した通りです」 これも聞いてなかったの? 内心そう思いながら茜は再び同じ話を繰り返す。 もう何年も働いていた店。 家庭に恵まれなかった茜に、暖かく接してくれていた店の主人に従業員。 それがいつの頃からだろうか。店の経営状態が芳しくなくなり、給料は滞りがちになっていく。 一人、二人と従業員が辞めていく中、ついには茜一人となってしまったが、それでもお世話になっている主人のために働き続けてきた。 だが今日、店に出てみると店主の姿は見当たらず、代わりにいたのは見知らぬ男達だった。 お前は借金の形に売られたんだ、店主に売られたのだと話す彼等から、必死で逃れてきたのだった。 少し怪我はしたけれど、隙を見て逃げ出せたのは、本当に運が良かったの一言に尽きる。 「あの時土方さんがいてくれて本当に助かりました。土方さん、背が高いのできっとうまく隠れられたはずです」 「俺は隠れ身の術じゃねェぞ?」 物凄く非日常的な災難に遭ったというのに、どこか淡々としている茜に土方が呆れた顔を見せると、 「はい。本当にご迷惑おかけしました」 茜は笑いながら丁寧に頭を下げた。 「まぁ、お前の話はわかった。ただな、こっちも素性のはっきりしねェヤツを屯所内で自由にさせるわけにはいかねェんだ」 「……」 「お前の話に本当に嘘がねェか、少し調べさせてもらう。はっきりするまで見張りがつくけど、いいな?」 「はい…」 見張りと聞いた茜は、少し悲しげな表情を見せ俯いてしまった。 そりゃそうだろう。 悲惨な目に遭った上に不審者扱いなのだから。 「悪いようにはしねェよ。少なくともここにいれば売られるなんてことはねェから。安心しな」 立ち上がった土方は、まるで子供を相手にするように茜の頭に手を置き、そのまま真っ直ぐ部屋を出ようとした。 その途端、急に背中の側から茜の泣き声がし、思わず足を止め振り返った。 女と子供の涙が苦手な土方は、困った顔でため息をつく。 「見張りっつっても、んな窮屈なもんじゃねェよ。お前はここで怪我が治るまで大人しくしてたらいい」 「違うんです……。私、本当に怖くて……足も痛くって。安心したら一気に気が緩んじゃっただけで、大丈夫ですから行ってください」 茜は手で涙を拭い笑ってみせるが、その笑顔が心からの笑顔でないのは、誰の目から見ても明らかだ。 心が揺れる。 目の前で泣いている若い娘に、わざと冷たくする理由もない。 冷たくするくらいならば、初めから拾って帰ることもなかったのだから。 出会い方が特殊だったからだろうか。 どうにも茜には普段の調子が出ない土方は、ポケットからハンカチを取り出し茜に差し出した。 「無理して笑うこたねェよ」 「あっ、いえ。すいません」 「女の泣き笑い程、見ていて疲れるもんはねェからな」 実感のこもった台詞をサバサバと少し笑いながら口にする土方に、茜は濡れた目を丸くする。 何となく照れ臭くなった土方は、すぐに真顔に戻って言った。 「怪我が治ったらここにずっと置いておくわけにもいかねェ。この先どうするのかゆっくり考えておけ」 「はい…」 「泣くだけ泣いて、過ぎたことは早く忘れろ。じゃあな」 今度は振り向かずに部屋を出て行く土方を見送った茜は、無意識に握り締めていたハンカチの存在を思い出し、そっと手の平を開いた。 茜が皺を作ってしまったが、元は綺麗に折り畳まれていた紺色のハンカチを見ていると、何だか胸がいっぱいで、いつのまにやら涙は渇いてしまっていた。 * * * 「珍しいこともあるもんでさァ」 「あ?」 部屋を出た途端、土方は襖の裏にいた沖田に声をかけられ足を止めた。 「土方さんが野良猫を拾ってくるなんてどういった風の吹き回しで? それもいやに優しいじゃねェですかィ」 「どうもこうもねェよ。ただの成り行きだ」 「そうですかィ。俺ァあんな色気もクソもねぇガキが土方さんの好みなのかって驚いたんでね」 「……」 何も答えない土方を置き去りに、沖田は行ってしまった。 確かに珍しいこともあったもんだと自分でもそう思うが。 理屈じゃなく、どうしても放っておけない。 沖田とは反対方向に歩き出した土方は、胸の内に芽生える感情を、これではいけないと煙と一緒に吐き出す。 総悟に言えるわけもねェ……。 少し似ていると思ったからだけだ。 面影がちらついて、どうしても放っておけなかっただけだ。 [*前へ][次へ#] [戻る] |