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∞陰陽道探究∞
天文学的浪費の平安遷都
平安遷都(せんと)…

天文学的浪費だった
平安遷都(せんと)の理由
『この国は山河襟帯
(さんがきんたい)
にして自然と城をなせり
この形勝によりて新号を
さだむべし。

よろしく山背国を
改めて山城国となすべし』
延暦一三年(794)に
桓武天皇は、平安遷都の
詔(みことのり)を発した

「山河襟帯」は山が襟
(えり)のように囲み
川が帯のようにめぐって
自然の要害をなしている
さまをあらわします。


平安京の地は陰陽道の
風水思想にもとづいて
選定されました。

陰陽道では青龍、朱雀
白虎、玄武の四神が
それぞれ東南西北に
配されてます


これを風水思想に当て
はめると
「東」の青龍は川
「南」の朱雀は池、
「西」の白虎は大道、
「北」の玄武は高山と
なる。

すなわち…東に川、南に
池、西に大道、北に高山
を配した地こそが
理想の地相となるわけです
これを、四神相応の地と
いいます。

平安京でいえば
東の鴨川が青龍
南の巨椋池(おぐら池)
が朱雀、西の山陰道
が白虎で、北の船岡山が
玄武ということになります
平安京は、まさしく
四神相応の地に築城
されました…

風水への信仰は今の世も
ありますが…

王朝の都は平安遷都以前
にも…藤原京→平城京
から→長岡京というふうに
遷/うつされてきましたが
それらの遷都においても
つねに風水が重んじられ
てきました。

それだけを考えれば…!

山城国(京都)への遷都
も陰陽道を重視した
古代天皇の伝統の一環に
なりますが…。

ですが平安京への遷都
には明らかに尋常では
ない点があります。

桓武天皇がおこなった
長岡遷都は
延暦三年(784)で

平安遷都は延暦一三年
(794)ですが

つまり、桓武天皇は
膨大な予算と人員を
つぎこんで築いた都を

たったの十年で捨てて
しまったわけです。

これはどう考えても
尋常ではない……
たった十年で都を
再移転するというのは

一個の会社が社屋を
再移転するのとはワケが
ちがいます。

まさに天文学的な大浪費
なんです。

はたして平安遷都の
真実の裏には?
何が隠されていたの
だろうか?

じつは平安遷都には
過去の遷都にはない
奇々怪々な『理由…』が
秘められてました。

その「理由」に
よって……平安京は
大路小路のいたるところに
魑魅魍魎つまり
モノノケが出没して
うろつく魔都としての
運命がはじまります。


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あきゅろす。
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