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∞陰陽道探究∞
安倍晴明と式神(2)
《宇治拾遺物語‥》にも
晴明の式神にまつわる
物語が収録されています。
『あるとき、晴明は、
一羽のカラスが、参内
(宮廷に出勤する)に
向かう途中にて
カラスが蔵人の少将に
フンをかけるのを見た。


蔵人(くろうど/天皇に
側近する役職)

そのカラスが式神である
ことを見抜いた晴明は
少将に歩み寄って‥‥

「参内などしている場合
ではない。」

「今晩中に、あなたは
死んでしまいますぞ」

と危機を告げた。

少将は、恐れおののき、
色青ざめて晴明に救いを
求めた。

そこで、晴明は、少将の
家にいき、夜と撤して
護身の祈祷を行じた。


翌朝‥少将の家に
見知らぬ男が訪ねてきて
こう語った。

「わたしは、五位の蔵人
に雇われた陰陽師に
仕える者です。」

「五位の蔵人は、少将を
追い落とそうとして、
先生を雇われたのです」

「ほんとうに恐ろしい
ことをしました‥。」

「そのむくいで、先生は
今朝、自分が放った
式神に討たれて無残に
死んでしまいました。」


五位の蔵人に雇われた
陰陽師が放った式神は、

逆に晴明があやつる式神
となって敵を討ち
滅ぼしたのでした…』

俗説に彩られた晴明伝説
は意外な真実味をおびて
きます。

奈良時代末期から
平安時代にかけて、
都には呪咀や呪殺が
大流行しました。


蔵人の少将の呪咀計画が
たくらまれ、かつ
実行に移されたこと
だけはまちがいないです‥

平安朝では、官位の
ランクが厳重に定められ
ていて官位の上下による
身分と報酬の格差が歴然
としていました。

それだけに、官人たちは
他人の追い落としに
執念を燃やしたそうです。
それが、平安京を
呪殺の都にした何よりの
一つの理由でした。









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あきゅろす。
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