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∞陰陽道探究∞
陰陽師が用いた呪法(術4

《呪殺/じゅさつ》

記録には残されてない
禁断の秘儀、左道、邪法
晴明伝説のなかには
阿倍晴明が積極的に呪殺
の祈祷をおこなったと
いう話は記されてない。


晴明がおこなう呪殺は
もっぱら防衛と反撃に
限られてました。

それも、そのはず呪殺は
陰陽道のなかにあっては
禁断の左道(邪道)と
見なされておりまして
正義の守り手をたてまえ
とする、陰陽寮の高官が
むやみにそれを濫用する
わけには、いかなかった

だが…晴明伝のなかで
「すこしばかり力を入れ
ればいつでも殺せる」
と晴明、みずからが
語っているように、
晴明は、不届きな敵に
たいしては、つねに
『活殺自在』の態勢に
あったとされます。

平安時代は藤原氏の
支配による国家安泰の
陰で、政治的な謀殺が
日々たくまられていた
時代です。

もし呪咀や呪殺に伝説ど
おりの効力があったならば
これは現代においてこそ
究極の凶器になります、
なにしろ現代の刑法には
呪咀と死亡のあいだの
因果関係を認める技術も
また、条項はありません

その点、呪咀を重大犯罪
と認める平安京の世に
おいては、呪咀の痕跡は
殺人計画の決定的な
物的証拠とされました。


《蠱毒/こどく》

もとは大陸伝来の巫蠱術
平安の世での最強の呪咀。
毒蛇、百足、蜘蛛、ガマ
などを壷のなかに入れて
共食いをさせて

最後に生き残った一匹を
黒焼きにしてすり
つぶした粉が蠱毒です。

この黒い粉には色々な
使い方があり、
それを呪咀する相手の
家宅の下や通り道に
撒いたり、呪文を唱えて
直接相手に振り掛ける
また食事に入れたりと

多岐にわたる
使い道をしました。
そのいずれの方法に
よっても、怨敵は原因が
不明の悪病にとりつかれ
急死するとされていた。


しかし呪咀の祈祷に
たいしては調伏祈祷が
あるように、この蠱毒も
秘密の対処法がありました
陰陽道の相剋の思想は
ここで応用されていて

相剋の関係で…
毒を以て毒を制する…
解毒作用をもたらす
秘密の対処方法があり
ました。

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あきゅろす。
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