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独占欲の衝突


 香坂にたった四人しかいない大将の一角。魔力に愛されて生まれた、果てしない年月を今もまだ歩き続ける男。

 五十嵐の秘書も大量の魔力をその身に秘めているが、九十九は彼よりも更に上をゆく。『大人の体』に至るまでにも並の人間の一生にあたる時間を使い果たし、とうの昔に歳を数えるのをやめた。力と引き換えに鈍磨した時間感覚に取り憑かれてしまったが、しかし不死ではあらず。人生に飽きたらば途中でやめることもできた。
 それでも死を選ばないのには彼なりの理由があるらしいが、それを知る者はまだいない。

 名乗りを上げた九十九は無造作に肩まで伸ばされた髪を乱暴に掻きあげると、やれやれといった表情で追い払うように手を振っている。



「さて、そしたらさっさと引き上げてくれや。尾行なんかせんからよ」
「その言葉を鵜呑みにするとは思っていまい」
「まぁ、な……ほんでもまあ、尾行つけへんのはほんまや。そんなんせんでも、うちのノーティスがいくらでも後から割り出してくれよるからな」
「……好きにしろ。俺たちは所詮雇われ。所属が露呈したところで縁を切るだけだ」



 なるほど、と九十九は腕を組む。
 雇われということは、すぐに思いつく理由は二つだ。

 まず単純に黒幕のほうが、香坂を襲撃するのに十分な能力を持つ人員を有していなかった。そしてもう一つ、正規の部隊で主犯組織が露わになるのを避けたかった。
 諸々のリスクのある外部戦力を雇い入れるのは、大体がこのどちらかだ。そしていくら外部戦力に頼ろうとも、状況を鑑みると主犯の候補は容易に浮かび上がってくる。

 とはいえ、それは本当に後でいい。彼らが九十九の前にこうして顔を晒している以上、その顔の特徴は九十九が覚える。ノーティスにはそういった容姿の特徴から似顔絵を起こすのに長けた人物が数人おり、整形でもしない限り人相の情報はまず間違いなく固められる。


――ま、それ以前にこの刀野郎。どっかで見たことあるな思たけど……名前聞いてぴんときたわ。なるほど、雇われなあ。


 大ヰ町に関しては、九十九はその正体を見抜いていた。過去の生存戦争を生き延びた者なら知っていてもおかしくはない。特徴的な服装と武器、それから容姿に名前。当時から名を馳せていたにも関わらず、そのどれも変えることなく堂々と立っていた。

 大ヰ町つぐみ。
 かの生存戦争で、魔物の討伐もさることながら、それよりも人間の淘汰・・・・・においてその存在を知らしめた死神だ。感染性の重篤な病に罹った者。混乱に乗じて政権に介入しようとした者。魔物に肩入れし、人間側の要人を暗殺しようとした者。
 彼は政府に雇われ、そういった連中の首を手際よく落として回ったのだ。

 偽名すら使っていないのは、隠す必要がないと本人が判断したからか。確かに生存戦争の時点ですでに傭兵を生業にしていたようだったし、追われたのではなく進んで姿を消したのだから、こそこそする必要はない。

 終結後はしばらく行方知れずだったが、いつのまに、なんのために活動を再開したのかは甚だ疑問である。一生遊んで暮らせるほどの報酬を政府から受け取ったと聞いていたが。


 問題は、もう一人の――大ヰ町の向こうに立つ赤髪のほうだ。大ヰ町は任務だからと割り切っている感じがあるが、赤髪は朝倉に固執しすぎている。ただの標的とするにはあまりにも。

 そもそも最大の疑問は、この二人がなぜ朝倉を連れ去ろうとしたのかにある。朝倉がなにか特別な力を有している? しかし香坂の綿密な身体検査でもそんな兆候は一切ない。少なくとも公式に登録されている限りの情報ではそうだ。特筆するとすれば、比較的希少な属性を有していることくらい。

 何かあるのならむしろその兄貴分、結鶴折葉のほうだ。普段から意味深な発言が多い電波的な男で、九十九も度々振り回された記憶がある。
 結鶴の情報を引き出すために、最も近しい朝倉を拐かそうとしたのだろうか。



「……行くぞ、五家城」
「…………」



 黙りこくった九十九をじっと見つめたかと思うと、大ヰ町はそれきりすっと目をそらして歩き出した。本来なら朝倉を連れて通るはずだった脱出経路を。
 そこを通るためには九十九の脇を通り抜ける必要があるが、互いにもう手出しはしないとわかっていた。

 五家城はというと、ちっと舌打ちをひとつして、大ヰ町同様にゆっくりと歩き出す。


 彼には下心があった。
 ここまで追い詰められ、朝倉を抱えて去るのは難しいと断定しながら、心の底ではしつこくもまだ諦めていなかった。静かにタイミングを見計らっている。

 好機はそう、九十九が大ヰ町とすれ違うとき。その一瞬で朝倉を確保する――よりは、九十九を攻撃したほうがいいかと二つの選択肢で悩んでいた。

 それはほぼ不可能な抵抗なのだと、察してはいたが。

 足先を前方以外に逸らした時点で攻撃されるだろうし、仮に九十九への奇襲が成功しても、与えられるのはかすり傷がいいところ。そも、香坂の大将なら腕の一本や二本弾け飛んだところで眉ひとつ動かさないのだろう。

 それでも、このまま帰ろうという気にはどうしてもなれなかった。それはひとえに彼の執念の賜物であり、または一対一なら九十九にも渡りあえるという可能性があったからこそだ。



「ああ、若いってのはええなあ」



 ふと、九十九が静かに呟いた。

 五家城は、真意を悟られまいと足元に落としていた視線をゆっくりと持ち上げる。そこには憎たらしい笑みを浮かべる九十九の姿があった。それは五家城をじっと見つめては、どこからともなく光を集めてぎらりと光ってみせた。

 まさか見透かされたのかと思いながらも、五家城は表情を崩さない。あからさまな素振りは見せていないはずだと自身の行動を瞬時に顧みようとしたとき、九十九の視線がふっと逸れた。


――なんだ?


 それは五家城よりももっと後ろに伸びている。その先にあるのは横たわる朝倉と、本部の建物か――


 そのどれでもないと気づくのは簡単だった。



「なあ、高崎」



 五家城は振り向かない。

 その代わりに、どんなに鈍感な人間でも確実にその強さを痛感できるような、強烈な存在感を感じて口元をかすかに歪めるのだ。









 扉を開く音もなかった。気配だってそうだ。五家城は九十九に気を取られながらも、周囲にもきっちり探りを入れていたつもりだった。増援を呼ばれ、拘束されるか尾行される可能性を確実に潰すために。
 それでも、事前にその存在を察知するのは不可能だった。



「…………」



 高崎は朝倉の側にいた。片膝をつき、彼の上体を起こしてやったかと思うと、紙切れでも拾い上げるかのようにふわりと抱き上げる。くすんだ銀の髪から、土や草がはらはらと音もなく落ちてゆく。
 
 ほんの少し。……撫でるくらいの小さな風が吹いて、湿った土の匂いが鼻をつく。砂利を踏みしめる音がして、襲撃者たちは示し合わせたように同時に振り向いた。大ヰ町は苦々しい顔で。五家城は微笑みながら。

 両腕に朝倉を抱き、こちらに背を向けて立つ大きな背中。禍々しいほどに巨大な剣をそこに掲げ、地を這う声はまずこう言った。



「……九十九か」



 思いのほか冷静な様子に内心は驚きながらも、しかし九十九は思い出す。同じ大将のよしみもあって高崎のことはまあ知っているが、そのうちの一つにこういうものがあった。

 本気で怒ったとき、高崎は異常なほど静かになる。

 やや乱暴な口調はそのままに、声を荒げることは絶対にないのだ。自分を御するために。

 高崎は自身の力を客観的に理解しており、暴発させるとどうなるか知っている。だから感情に任せて全力を放つことはまずない。
 強固な精神力の為せるセルフストッパーだが、それすら壊してしまうほどの怒りに触れたとき、果たしてどうなってしまうのか。残念ながら想像する気にはなれない。

 だから九十九も含め、周囲はとにかく慎重に立ち回ってきた。堅苦しいように見えて冗談は通じる男だから、そこの線引きだけは誤らないように。

 けれど、それは香坂の中での話。

 九十九は、五家城がずっと笑っているので嫌な予感がしていた。その不安は残念ながら杞憂とはならず、五家城は意気揚々と高崎の背中に語りかけた。



「へえ、あんたが高崎か。はじめまして」
「こいつを連れ出したのは手前ェか」
「隠す必要もないから答えるとイエスだ。けど、なにもかも世良のためさ」
「…………」



 あまりに無遠慮な発言のせいか、あるいは『世良』という馴れ馴れしい呼びかたのせいか、その部分だけ見せつけるように強調されていたせいか。高崎のこめかみの辺りで、黄金の火花がばちりと弾ける。五家城を振り返った高崎の髪はわずかに焼き切れ、焦げ臭さが漂っていた。

 九十九はさすがにどうしたものかと首を傾げる。しかし生来の行き当たりばったりな性格から、まあどうにかなるだろうと無理にでも止めることをしなかった。大ヰ町も面倒はごめんだと身を引いている。
 ならば五家城の勢いは止まらない。



「勘違いしてるようだから言っておくよ。悪いけど、世良は俺のものだ」
「……あ?」
「もう何年も前からね」



 どすの利いた声を浴びても五家城はおかまいなしで、むしろ楽しそうに口角を上げた。九十九と対峙していたときのほうが幾分も緊張感があったようにみえる。

 乾いた笑いと煽り文句は、高崎に対してマウントを取っていると確信していることに由来していた。つまり、高崎が朝倉に対して特別な感情を持っていることをわかっている。
 それもずっと前から知っていたような口ぶりだ。大ヰ町は本当に雇われただけだとしても、朝倉への執着然り、この男は一筋縄ではいきそうになかった。背後にあるものが計り知れない。



「あんたは世良のことをなんにもわかっちゃいない。俺がこうして迎えに来た理由も見当つかないだろ」



 五家城は完全に高崎に向き直り、両手を広げ、民衆に神の存在を説く信仰者のように高らかに謳いあげる。それを黙って聞いていてやるほど今の高崎は落ち着いていない。



「どんな思い込みしてやがるか知らねえが……こいつは俺のモンだ。髪の一本たりとも手前ェの取り分はねえ」



 そのやりとりを遠巻きに見ていた九十九は、こっそりと小さく口笛を吹く。

 高崎が朝倉を気に入っているのは周知だが、こうしてはっきりと独占欲を見せたのは初めてだったのだ。付き合いの長い九十九でさえ。あるいは、人前では露骨な発言を避けていただけかもしれないが。
 朝倉をただの部下という思いで接していたなら、きっとこんな言葉は出てこない。からかうように口笛を鳴らしはしたものの、難儀なものだと頭を掻いた。



「……ああ、今のうちにそうして満たしておくといいよ」



 互いに退かない膠着状態の中、五家城は口元に弧を描いたまま目を閉じた。冷えた空気を肺に詰め、一拍置いてから、



「じきに世良はあんたの元を離れることになる。断言してやるよ」
「その首焼き切ってやりてェところだが、今日限りは見逃してやる。性懲りもなくこいつに手出そうってンなら、そんときゃ容赦しねえ」



 複雑に絡み合う事情がなければ、この場で殺し合いが始まってもおかしくはなかった。今回は幸いにして、五家城は大ヰ町とともに森の奥へ姿を消し、高崎は朝倉を守り抜いた。

 殻無研究所での一件よりわずか一晩で、香坂の前に立ちはだかる壁がまたひとつ増えてしまった。


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