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夜明けの疑心


 一連の騒動によって、香坂本部は創立史上最も騒がしい夜を迎えていた。廊下にはひっきりなしに足音がこだまし、怒声にも似た声があちこちから飛び交う。

 まずは監視塔の負傷者の治療を急いだ。両腕を折られた職員はすぐさま医務室へ担ぎ込まれ、発熱や今後起こりうる症状への備えが進む。
 打撲や捻挫で済んだ連中は、派遣されてきたメランコリーによる軽い治療を受けた。打ち身や内出血は治癒術でも特別治りにくい。死者こそ出なかったものの、白衣集団は揃って苦々しい顔をしていた。

 ただし、本当に一滴の血も流れていない。負傷者は皆骨を折られたり、腎臓に重い一打を食らって気を失っていたり。侵入者はどちらも刃物を所持していたのに、切り傷を負わされたケースはただのひとつもなかった。

 それから、元帥への報告。参謀部隊のとある幹部が、敵と遭遇した兵たちの話をまとめて提出した。外部での仕事で本部を空けていた五十嵐は、ところが明け方に帰還するなり粗方の事情を把握すると、まるで全て知っていたかのように静かに頷くだけであった。









 窓から差し込む朝日に目を細め、高崎は立ち上がって遮光カーテンを閉めた。淡い月光ならまだしも、徹夜明けの目に陽光は眩しすぎる。


 二人の侵入者を退けたあと、高崎はその足で朝倉の病室に向かった。腕の中で目を閉じる朝倉は相変わらずで、瞼ひとつ震わせない。これで脳にも神経にも何も異常がないというのだからおかしな話だ。異常がないことが異常である――と、いつだったか別件で頭を悩ませていた園崎の姿を思い出す。

 想像していたよりもずっと軽く冷たい身体を抱え、すっかり温もりを失った元のベッドに寝かせてから、高崎は一度も部屋を離れていない。軍服のまま外套も脱がず、難しい顔でソファに座り腕組みをしている。存外長い睫毛を伏せたかと思うと、黄金の目を朝倉に向けてはじっと見つめた。

 時刻はまもなく午前七時。日の出だ。騒動に関する事後処理はようやく落ち着き、代わりに情報部隊がまた忙殺されることだろう。

 高崎は、今日は午前中に仕事はないので時間はある。せめて日中の病棟が稼働を始める時間まではここにいるつもりだった。メランコリーのスタッフはほとんどが戦闘の心得を持たないので、顔を合わせると怯えられるのはわかっていたから。

 つまり少なくともそれまでは、腰を落ち着けてゆっくり考える時間がある。すると脳裏をよぎるのは、やはりあの赤髪の男だ。

 朝倉にひどく馴れ馴れしい様子だった。高崎は香坂に来る前の朝倉のことは何も知らない。が、彼もまた香坂に入る以前の、国軍でのことは誰にも話していないのでお互い様だ。きっとこれから打ち明けることもないだろう。周りが聞いても決して気持ちのいい話ではないから。
 過去の詮索は厳禁。そういう意識が強いものが深夜には集まっている。それはわかっているのだが。


 誰も聞いていないのをいいことに大きなため息をついた高崎は、背もたれに預けていた体を起こし、前のめりで両膝に肘をつくと、額の前に指を組んだ。

 そして息を殺す。すると自分のものではない規則的で静かな寝息が聞こえてきた。穏やかな呼吸だ。眠っているようにしか――否、実際眠っているだけのはず。



「…………」



 しばらくそうしていると、部屋の外からかすかに足音が聞こえた。絨毯がほとんど吸収しているものの、耳のいい高崎にははっきりわかる。
 まだ病棟の巡回の時間には早い。そもそもこの部屋はメランコリーの一般職員ですら立ち入りが制限されているのだから、やってくる人物はかなり限られていた。

 一人分の気配が部屋の前で止まる。入ることをためらうような微妙な間があり、やがてするすると扉が開いた。



「……よう」
「…………」



 予想通りの人物の登場に、高崎はちらと視線を送るのを挨拶代わりとした。

 後ろ手に静かに扉を閉めた園崎は、ベッドに横たわる朝倉を見て眉を少しだけ動かした。……それは心配というより、訝しんでいるようで――高崎はやや違和感を抱く。

 それに気づき、園崎は「いや」とごまかすように間を繋いだ。何事もなかったかのように面会者用の丸椅子を引っ張り出し、朝倉のベッドのそばを陣取るとそこに乱暴に腰掛ける。

 がたん。その音を最後に、再びしんとした時間が流れ始める。壁に掛けられた時計は無音のまま淡々と針を回しており、今この瞬間も時が流れていることを知れる唯一の術だった。
 細長い針がゆるゆると頂点に至り、またのんびりと一から数字を刻んでいく。それを三回ほど繰り返したころ、朝倉の顔を眺めていた園崎がようやく話を切り出した。



「……一騒ぎあったんだってな」
「ああ」



 言いかたからして、渦中の時間に園崎は近くにいなかったらしい。しかし肝心なときに空けていた事実に罪悪感があるかと問われれば、園崎は首を左右に振るつもりでいた。



「俺は……ちょっと野暮用で病棟を離れてた。聞いた話じゃ、監視塔を突破していったそうじゃねえか」
「らしいな」



 それに関しては高崎も軽く説明を受けただけだったので断言はしない。監視塔職員は、元は第一線で活躍していた手練ればかりだ。並大抵の戦闘員では倒すのは難しく、敵が――おそらく高崎と九十九が対峙したあの二人が強者だったか、不意をつかれた可能性もある。

 高崎は自分の目で見なければ完全に信じることはしない。どれだけ近しい信用に足る者にもたらされた情報でも、いくらかは必ず疑惑の付け入る隙を残しているのだ。裏を返せば、その隙間を狙って唆されても動じないという意味でもあるのだが。



「そんなら俺がいたところで意味はなかった」



 言いながら、身を乗り出して朝倉の額に手を伸ばす。白衣を纏った腕が冷えた柵を通り越し、



「――っ」



 滑らかな皮膚に指をのせようとした瞬間、園崎は何かに弾かれたように手を引っ込めた。

 静電気に触れたのと同じ反射的な動作だったが、指にその類の痛みはない。まだ朝倉の体に触れてすらいなかった。
 代わりに、全身がびりびりと圧に苛まれていた。動きには何も支障はなく、どこかが痺れはじめたわけでもなければ、呼吸も楽にできる。
 ただ、それが許されなかっただけで。



「…………」



 原因は一つ、もとい一人しかいない。

 殺意とはまた違うようだが、園崎の行動に対して明らかな批判と乱暴すぎる静止を含んだ圧力だ。ほんの少しだけ首と目を動かして高崎のほうを見るが、彼は相変わらず前傾姿勢で手を組み、こちらには一切の興味を示していない。そのくせ、牽制の姿勢を解く気配もまたなかった。

 はあ、とため息を吐きながら、園崎は手を完全に引き、またもとの椅子に収まる。すると全身の不快感は波が引くようになくなっていった。
 側から見ると、単純に園崎が朝倉に手を伸ばし、自ら中断したように見える。高崎は一歩も動いていなければ言葉も発していなかった。



「……そう警戒すんなと言いてえところだが、今日のところは従ってやる。ただ、これだけはわかっとけ。こいつはお前の所有物じゃねえ」
「…………」



 先ほどの高崎と五家城とのやり取りを園崎は聞いていないはずだが、それでもなおこういう警告をしなければならないほど、今の高崎は傲慢だった。
 それを理解していること、そしてそのうえで敢えて態度を改めないこと――二重の意味を含め、高崎はまたしても沈黙を返す。

 焦りだろうかと園崎は思った。あの高崎が焦燥に駆られるなど滅多に起こることではない。物珍しさより先に困惑してしまう。



「……ンなこと言いにわざわざ来たのか」
「いいや。……ちょっと気になることがあってな」



 園崎は芝居がかった仕草で深く考え込んでみせる。頬に指を一定のリズムで柔らかく叩きつけ、目を閉じる。果たしてこの質問を今の高崎にしてもいいものか。それを迷っていた。

 気になること。それは殻無の雪山で無残な仕打ちを受けた朝倉の傷を治療した、園崎にだけ解決するチャンスが与えられていた。様子からして高崎も気付いていない、とある重大な事実。

 園崎ですら、勘違いかもしれないという思いを未だに捨てきれない。けれど放置するにはあまりに不安要素の強すぎる事柄だ。虎穴に入らずんば虎子を得ず。はっきりさせるためには多少のリスクを背負わねばならない。



「連中は朝倉を狙って来たんだな?」
「ああ」



 園崎の葛藤を馬鹿にするように、いざ聞いてみると答えはあっさり返ってくる。それ自体は望むところだったが――内容はあまりよろしくない。



「一応聞くが、理由は」
「知るかよ」
「だろうな」



 苦笑して、園崎は立ち上がる。椅子を足で隅の方に寄せて、眠る朝倉の顔を注視した。

 顔色はやや青白いが、彼は元々こんなものだったように思う。眠りっぱなしだが失禁は見られず、点滴も入れていないのに栄養状態は変わらず。
 心電図は今は外されているが、きっとそれにも異常はないのだろう。自分でそう考えておきながら、少しの不快感に苛まれた。



「……九時にはメランコリーうちのスタッフがバイタルチェックに入る。それまでには引っ込んどけよ」
「……ああ」



 先ほどとは違い、唸るような返事だった。本当にわかっているのかと聞き返したくなるが、そうしたところでまた空返事を突き返されるだけだ。園崎は諦めて踵を返し、入ってきたときと同じように、扉をするりと滑らせて病室を後にした。



「…………」



 完全に閉まるのを見届けてから、無人の廊下を歩き出す。白み始めた空は光をもたらすが、時としてそれは邪魔にもなる。園崎は窓にちらりと視線をやると、恨めしそうに太陽を睨みつけた。

 やはり、高崎がいては思うように動けない。

 自然に手を伸ばしたつもりなのだが、彼の本能に引っかかってしまったようだ。
 つくづく、相手に回すといいことがない。まあ高崎は任務が詰まっているだろうから、機会はそれこそいくらでもある。咳払いをし、気を取り直して小さく声を出した。



「……さて」



 高崎がきちんと部屋に戻るとして、きっと九時ぎりぎりになることだろう。彼の姿を見るとスタッフが萎縮してしまう。高崎も魔力のコントロールは万全だろうが、それを抜きにしても今の殺気立った高崎は凡人には刺激が強すぎる。
 今日のバイタルチェックの担当者には、少し遅めに向かうよう助言しなければ。

 が、その前に。

 首から下げたPHSを手に取り、手早く操作した。
 廊下を歩きながら耳に当て、どうせ周りに人はいないだろうが少し声を潜める。足音を敏感に察知する高崎でも、これだけ離れた場所での小さな話し声までは聞き取れまい。



「……ああ、俺だ。お疲れさん。ちょっと頼めるか? ……悪いな」



 比較的明るい声で話すその目には、静かに燃える何かがあった。心配ではなく、医師としての責務でもなく、ましてや愛情なんてものとは程遠い。どちらかというと暗く、冷たい何か。

――疑心だ。



「朝倉世良のカルテ、一つ残らず出しておいてくれ。入隊からこっち全部だ……ああ、それと、今からいう資料を集めてきてくれ。できるだけ早くな、頼む」


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