お話 原作寄り
うさ耳アラート〜僕の沢田綱吉がこんなに可愛いわけがry〜(ムクツナ)
 

「というわけで試し撃ちだ」
「へ?」

直後、額にズガンと一発。
綱吉にしてみれば最早お馴染みと言ってよい衝撃――もちろん好きで慣れたわけではない――に襲われた。
リアクションの一つも許されず、倒れゆく視界の端に、ただただキュートな赤ん坊の笑顔を捉える。他人が見たら天使のソレが、純真無垢なものでないことは分かり切っている。

「成果を見せてくれよ?」
「じっ……」


自分でやれーーーーーーッッ!!!


渾身のクレームは声にならず、無情にも視界は暗転した。



+++



「匿って下さい……」
「……は?」


週末の昼下がりである。

天気の良い休日に何をするかと問われれば、普段学業に制限された学生達は、こぞって『街へ遊びに』と答えるだろう。
しかし、黒曜ヘルシーランドの住人――六道骸一派にとっては、学生の身分など標的であるボンゴレ十代目を打ち据えるための仮初の立場にすぎない。
勉強など二の次三の次。エブリデイが日曜日。つまり週末において、彼等の朝が極めて遅くなるのも必然であった。

ブランチの時間にのったり起き出し、休日特番を眺めながら買い込んだピザやら菓子やらを広げダラダラしていたところへ、その来訪者は突然やってきた。

所在なさげに佇む少年。その頭を見下ろし、骸はパチパチと瞬きをして、もう一度。

「…………は?」
「だーかーらぁ……!!」

しおらしさを一瞬で引っ込めたのは、何を隠そう骸の宿敵、沢田綱吉である。
普段のビビりな態度はどこへやら、彼は切羽詰まった様子で骸に詰め寄った。

「頼むから匿ってほしい」
「はぁ」
「お礼はちゃんとするので」
「いや、」
「迷惑は……ちょっと、かかるかもしれないけど……埋め合わせはしっかりするから!」
「…………」
「お願いだから匿って下さい……何も聞かずに!」
「いや無理があるでしょう」

骸が呆れた顔で返せば、少年は打ち捨てられた子犬のような顔で骸を見上げた。その拍子に、ふわふわの髪から垂れた、ふわふわした何かがふるりと震える。
そう、そのナニか。それこそが綱吉をここに来させた原因でもあり、休日に降って湧いた厄介ごと。
見たままを言うならば――うさ耳。
どこからどう見ても立派なうさ耳が、くせっ毛の髪の間から、たらりん……と力なく垂れているのだった。

「…………」

沈黙し、髪色と同色のソレを見下ろす。
何も聞かずに、などと言っているが、誰がどう見ても一目瞭然の解答がそこにある。たしかに少年の髪は常日頃ふわふわほわほわしているが、だからといってこんなモノまで付随していた記憶はない。
今度は一体どんなトンチキに巻き込まれたのか。他人事ながら辟易する骸である。

「いい加減避けられるようになったらどうです?」
「オレだって出来るならそうしたいよ!?」

予測不可能、回避不可能。それが彼の家庭教師、歩く天災ことリボーン先生の無茶振りなのだった。ちなみに被害は局所的。もっと言えば綱吉オンリーだったりするが。

「それに今回はリボーンだけが原因じゃないし」
「と言いますと?」
「……ヴェルデ博士、協賛」
「……共謀の間違いでは?」
「そうとも言う」

綱吉の声に苦々しさが混ざるのも無理はなかった。
何せ件の博士には顔も知らない内から何度か命を狙われたし、アルコバレーノの試練では綱吉“の”実力を試すのではなく、綱吉“で”自分が開発した新型兵器の性能を試そうとしたのだ。
本人は『やることは一緒だ』と平然と宣っていたが、意味合いが全く違う。
頭脳のみでアルコバレーノに選別されただけあり、『いかれた』とか『変態』などの修飾語をほしいままにする彼が関わっているのなら、天災が天変地異に進化しても不思議ではなかった。

「昨今は?平和だから?ホワイトな組織運営に向けての資金繰りがどうのビジネスがどうので」
「ほお?」
「今年の干支にちなんだ新しい特殊弾を開発したらしく……」

それがコレ、と。

「その名も、うさ耳バレット〜うさちゃんなあの子とイチャイチャしよう〜」
「く、」

ッッッだらな―――。
骸は餌食になった綱吉へのわずかな憐れみにより声には出さなかったが、その顔には堂々と『しょうもな』の一言を浮かべた。
所詮は他人事の反応である。
綱吉が恨めしそうな顔で続ける。

「博士はここんちの管轄だろ、責任とってよ」
「お帰り下さい」
「あーーー待って待って!」

コンマ数秒で扉を引いた骸と、常に無い俊敏さでそれに追い縋った綱吉。ドアノブを引き合う力が拮抗し、ギチギチと嫌な音を立てる。

「確かに代理戦争ではバトラーになりましたが、それはあくまで互いの利益の一致による一時的な共闘です。プライベートで関わるのは御免です……!」
「そこをどうか……!」
「解毒剤を貰うなり奪うなりして自分で何とかなさい!」
「何とかならないから困ってるんだろー!?」

再び泣きの入った叫びに、骸は片眉を上げ、攻防の手を一旦緩めた。

「何とかならない、とは一体」
「……」

冷静な問いかけに、興奮により心なしか逆だっていた綱吉の髪が再びへたる。
苦虫を百匹は噛み潰した顔をして、訥々と語るに曰く。

「……オレだって、すぐにリボーンとヴェルデに詰め寄って何とかしてくれって頼んだけど、今回はお試し用のサンプルだから解毒用のバレットもないし、我慢するしかないって」
「……」

どうやらお得意の不幸体質は今日も絶好調らしい。

「効果は予測で一日だっていうから、それならなんとかなると思ったんだけど……この耳、けっこうリアルにうさぎの耳を再現してるらしくて」
「……」
「ウチの、生活音が、かなり響いて……」
「……ああ、」

骸はリボーンに呼びつけられ、何度か訪れた沢田家を思い起こした。
母親の声、料理の音、子供たちの遊ぶ賑やかな声……はまだいいのだが、そこから高確率で発生する何らかの爆発音、発射音、銃声、そして再びの爆発――。沢田家の生活音は実にバラエティに富んでいるのだった。

「しかもタイミングがいいんだか悪いんだか、獄寺君と山本がウチに遊びに来て」
「間違いなく悪いですよね」
「否定できない……じゃなくて!いや、獄寺君も山本もすごい驚いてたけど、心配してくれて、なんかよく分かんないけど、かわいい?から大丈夫って励ましてくれて」
「ほお?」

骸の柳眉がピクリと動いたが、綱吉は気づかずに続ける。

「それで獄寺君が静かにしろってランボを叱ってくれたんだけど、それがまた更に火をつけちゃって」
「……」
「最終的にダイナマイトと手榴弾の応酬になって……爆音の危険地帯から何とかこう、這いながら……」
「逃げ出したと」
「……ハイ」

力のない肯定に、骸は深々と息を吐き出した。

「何なんですか、君の所は。最後は爆発しなきゃいけないルールでもあるんですか」
「あってたまるかぁ!」

最早様式美である。
そして最近は、そのお約束に骸までもが組み込まれつつある。その事実にうんざりしながら、この機会に、七割の確率で骸にとってのトラブル原因である少年に釘を刺しておく。

「だいたい気安いんですよ君。代理戦争の時の僕の言葉を忘れましたか?」
「そ、それは、そうなんだけど……」
「ココへ来る前に、他にもっと行くべき場所があったでしょうに」

その時、唐突に少女の声が響いた。

「わ、私が連れてきたの……骸様」
「あ」
「おや」

綱吉の背後、誰もいない空間からからジワリと姿を現したのは、現在並盛で一人暮らしをしているクロームだ。
全く気配を感じさせなかった彼女に、骸はほんの少し目を見張った。

「気配を消すのが上手くなりましたね、クローム」
「えっと、鍛錬は怠らないように、してます」
「えらいですよ」
「は、はい」

面映ゆそうな顔で肩を竦めるクローム。骸はそんな彼女を殊更優し気な表情で見つめ、そのまま「で?」と続けた。

「何がどうしてココへ?」
「……」
「……」

少年少女がギクリと体を硬直させ、そろりと顔を見合わせる。
当たり前だが、そう簡単に『ハイどうぞ〜』と流されてはくれないらしい。
クロームは暫く視線を彷徨わせていたが、主の威圧的な笑顔が堪えたのか、やがて観念したように口を開いた。

ここに辿り着いた理由、それは偏に――。

「もう、ココしかなかったんです……」

絞り出すような声に、骸が訝し気な視線を返す。すると綱吉が、クロームが責められるようなことがあってはいけないと焦ったのか、両手をワタワタと動かして、すぐさま言葉を引き継いだ。

「ほ、本当は……一人になれそうな静かな場所には色々行ってみたんだ」
「ほお?」

並中、図書館、カラオケルーム、思い当たる所は帽子を被って一通り行ってみた綱吉である。しかし困ったことに、行く先々で意味不明な現象に襲われたのだ。

「オレにも何がなんだか分からないんだけど、やたら人から声をかけられるし、最終的には首輪とかリードとか持った人達に町中を追い回されて……」
「は?」
「偶然会った私が、保護しました」
「……」

おずおずと手を挙げる少女と、その時のことを思い出したのか、ひしゃげたように途方に暮れる少年。
骸は二人を交互に見て、その意味不明さに再び呻いた。

「はぁ?」
「だからオレにもよく分からないんだってばぁ!もうほんとどうなってんの〜〜」

綱吉は白目を剥いて頭を抱える。その全体像を改めて見れば、服装こそよく見かけるパーカーとジーンズだが、全体的にボロっとよれており、転んだような形跡もある。

「……」

恐れるべきはリボーンの思いつきか、それを叶えてしまう博士の技術力か。
うさちゃんなあの子とイチャイチャしようなどという、いかがわしい副題が付いた疑惑の弾丸である。効果も必然的にいかがわしいものであることが推測される。
おまけにサンプル段階ともなれば、その対象がどこまで限定されるのか、もしくは拡大されるのか、分かったものではない。
今のところ、骸自身には効果が無さそうだが。

あまりにも馬鹿らしい事態に、どうしたものかと思考の海に沈んでいると、視界の端で何かがモジりと動いた。
次いで「あの……」という控えめな声が聞こえる。
視線を向ければ、先ほどの勢いが消え、心なしか体を小さくさせた綱吉が、シュンと項垂れていた。

「……ごめん、悩ませて。他に静かな場所って言ったら、ここくらいしか思い浮かばなくて」
「ボ、ボス!違う、私が行こうって言ったの」
「ううん、結局お願いしたのはオレだから」
「ボス……」

どうやら黙り込んだ骸を見て、これ以上無理強いは出来ないと判断したようだ。
俯き気味だった顔をあげ、明るい声で告げる。

「オレ、帰るね。休日にごめんな、それじゃあ」

少年が踵を返そうとしたその時、ほわんという音と共に、世界が一瞬遠のいた。

「――え、」

綱吉が、大きな目を更に見開いて骸を見る。
骸は大層不本意そうな顔で、けれどどこか仕方なさそうに、その大きな瞳を見返した。

「聴覚に作用する幻覚です。無いよりはマシでしょう」
「骸……」

思いがけない手心に、綱吉の瞳がじんわりと潤む。
すると交わっていたはずの異色の瞳が、やや決まりが悪そうに横へと逸れた。

「骸?」
「骸様?」

何も分かっていなさそうな、きょとんとした瞳。
骸は代理戦争が終結した頃から、この無防備な視線に晒されると何故か押し負けそうになる現象に悩まされているのだった。

(百歩譲ってクロームならまだ分かるが……)

沢田綱吉が相手でも同じ現象が起こるのは心の底から意味不明だし、押し負けた後の謎の敗北感たるや筆舌に尽くしがたく――。

「……」

骸は一度瞼を閉じ、混迷しそうになる思考を散らした。

「骸?大丈夫?」
「……普段なら捨て置くところですが。何やら苦労したようですし、今日の僕は機嫌が良いので、特別に許可しましょう」
「……え!?」
「骸様!」

長閑な休日に感化された、ただの気まぐれである。それでも綱吉とクロームは、パッと表情を輝かせ、嬉しそうに顔を見合わせた。
特に綱吉の方ときたら、頬を紅くさせ、しょげていた耳をパタタと動かし、全身で嬉しさを表現しており……。
沈鬱な姿から一転、元気を取り戻した少年に、どことなく安堵の感情が沸きあがってイヤイヤ、イヤイヤイヤ、と骸は首を振った。
沢田綱吉がズタボロになっている姿に喜びこそすれ、それ以外の感情などあるわけが。

「ありがとう、骸!」
「へ?」

それは静止する間もない出来事だった。

寄せられる頬。そして感じる熱い感触。効果音にするとスリ、そしてペロ。
そんな感じの何かが、一瞬の内に起こる。

「……は?」
「じゃあ、お邪魔します」

硬直する骸の横を、まさしく小動物のような身のこなしで綱吉はスルリと抜けていった。
残るは、色違いの両目をカッと見開いた少年と、何故か玄人のような佇まいでうんうんと頷いている少女。

「こういう、わけでして」
「……いや、」

どういうわけだ――――!?

疑問は虚しくも空気に溶けて消えていった。


+++


部屋の中央に鎮座する大きなソファ。その足元に広がる白いラグの上で、カチカチとコントローラーの音が響く。響かせているのは黒曜きっての不良代表・城島犬と、骸の不詳の弟子、フランである。
そして何故かその真ん中に陣取るのは、うさ耳をくっつけた沢田綱吉少年だ。
彼は、犬の『何か距離近くね……?』という戸惑いの視線を物ともせず、グチグチとくだを巻いていた。

「城島さんはほら、ライオンチャンネルとかチーターチャンネルとかで身体強化するだろ。あの時はどうなの?」
「……ありゃ筋力だったり跳躍力だったりを戦闘用に強化しているだけらから過敏まではいかねーよ」
「そっかぁ……」

どうやらここまでの苦労を共有したかったようだが、犬のソレとは根本的に用途が違うのだった。
片や歴とした戦闘用、片やコスチュームプレイもどき。しかも怪しい効能付き。比べるべくもない。
体育座りをした綱吉は、瞳を伏せ 残念そうに肩を落とした。
その肩に、りんご頭がデロンとしなだれかかる。

「ボンゴレはお疲れのようなのでぇ〜、ミーの肩を貸してあげましょー」
「どう見ても逆……」

ぐいぐいと押しつけられるりんご頭に、肩を貸されるというよりは、むしろ貸している状況である。ジトリと見つめても子供はどこ吹く風でコントローラーをいじっているので、綱吉は潔く諦めたのか、つるりとしたフォルムに頬を寄せた。
そしてその感触が気に入ったようで、そのままグリグリと頭や耳を擦りつけている。

「んん〜〜」
「おーふわふわです〜」
「お前……」
「ん〜〜?なに?」

何の含みもない瞳に見つめられ、犬はグッと喉を詰まらせた。最年少のチビは全く気にせず戯れているが、色々とおかしい。距離感がバグっている。
犬は背後をチラリと振り返った。するとソファの後ろ、少し離れたテーブルから注がれる、同胞・柿本千種の視線とかち合う。合流した視線は、そのまま中央のソファに座る人物――主である六道骸へと向かった。

「……」
「……」
「……」

ソファに悠々と腰掛けた骸は、前後の部下達からの、もの言いたげな視線を黙殺する。が、もちろん彼らが何を言いたいのかは分かりすぎるほど分かっていた。
曰く、何ですかコレ、という話だ。

こっちが聞きたい。

骸は気づかれないように、足元に座るうさ耳頭を睨む。
母親の差し入れを持って、時折やってくる少年。最初はおせっかいと跳ね除けていたが、積み重なったソレに根負けし、今では「はあ、どーも」なんて言いながら受け取っている。そのうち、修行に嫌気が差したフランや、アパートから通ってくるクロームが少年の袖を引き、持ってきた差し入れを一緒に食べたり、リビングで少しの会話を繰り返すこと幾度。
今では、用があればたまに来て、茶を飲むくらいには馴染んでいた。

(おチビなんて、いの一番にゲームの対戦をせがんでましたっけ……)

何かにつけて雑にあしらわれることの多い黒曜チームの最年少である。いちいち真面目に反応を返してくれるボンゴレ十代目は、格好の餌……もとい、良い遊び相手だった。
しかし馴染んだとはいっても、別段、骸達の愛想が良くなったわけではないし、綱吉も相変わらず犬に脅かされてはヒーヒー言っている。ただ何となく、同じ空間を共有出来るようになっただけ。いつかその時が来るまでの、本質的な問題を棚上げした仮初の距離感……と、少なくとも骸は思っている。
だからおかしい、圧倒的におかしいのである。

――いつもの、どことなく遠慮がちでオドオドした沢田綱吉は一体どこへ!?

少年の注意が逸れているのをいいことに、骸はソファの端に座る己の半身とも言うべき少女へ、事の経緯を尋ねた。

「いつからこの様子で?」
「私が会った時には、もう」
「……」

気のせいではない頭痛を感じながら、視線のみで続きを促す。
詳しく聞いてみると、どうやらクロームは、追い掛けられた綱吉が盛大にすっ転んだ所に居合わせ、咄嗟に建物の影に引っ張り込んだらしい。

「何故かボスのことを追い回す人達が町の所々にいて、そういう人達に遭遇する度に、必死に逃げていたみたいです」
「それでこんなにボロボロだと」
「最初は何かの修行をさせられてるのかなと思ったんですけど、話を聞く限りそうでもなさそうで……」
「うさ耳が必要な修行があってたまりますか」

これで一体何が鍛えられると言うのか。
羞恥心に負けないココロとか?
馬鹿馬鹿しくて考えるのも億劫である。

「仮にこれが本当に修行だったとしても、気分によって修行と娯楽の割合が傾くのがあの赤ん坊の専売特許です」
「た、たしかに」

今回は誰がどう見ても娯楽十割。
というか利益十割だ。

「あとボス、本人は気づいてないみたいですけど、なんだかすごく、その」
「……うさぎ?」
「……はい、うさぎで」

主従は揃って、りんご頭とくっつく綱吉を見る。
一連の会話には全く頓着せず、マイペースにフランの頭へ頬を寄せている。

「ボスの耳、たぶんロップイヤーだと思うんですけど、物音が聞こえると片方だけ少し立ち上がって……可愛かったです」

綱吉と遭遇した時のことを思い出したのか、クロームは心配そうにしながらも、ほんの少し頬を緩めた。

「……クローム、さてはお前」
「あっ……いえあの、違くて」

主の訝し気な視線に、クロームが慌てたように言い募る。
もちろん純粋な善意もあったが、助けたあかつきには、あわよくばその耳をモフモフさせてくれないかな……などと思っていたのはクロームの小さな秘密である。
骸は誤魔化すように笑う少女に溜息を一つこぼし、改めて綱吉の様子を観察する。
普段からは考えられないほど親しげで、最早懐いていると言っても過言ではない態度。
骸の脳裏に『うさちゃんなあの子とイチャイチャしよう』という蛍光ピンクの文字が通り過ぎていく。

(いつものこの男ならば、絶対にするはずがない)

そう、頬に擦り寄って、そこを舌でペロリと舐めるなど。
先ほどの柔い感触を思い出し、頬がヒクリと引き攣る。

「本人が行動のおかしさや不自然さに全く気づかない仕様、か……」

千種が指で眼鏡を押さえながら、どこか物々しく呟く。
普段なら絶対にしないようなことを、平然と、そして当然のように行う様子。
それだけならば骸の契約も似たようなことが出来るが、戦闘や諜報のためではなく、ただ純然たるスキンシップでやられると、しかもそれが好意的なものだと、なんというか、こう。
口には出さないが、一応思春期真っ盛りの少年達には何となく浮かんでくるキーワードがあったりなかったり――。

「……」
「……」
「なんか、常識改変のエ」

……ロ本みたいれすね、という犬の言葉は、ドゲシッという音と共に毛足の長いラグの中へ消えた。

「骸様!?」
「ああ気にしなくていいですよ、クローム。ちょっと足りていないものを注入しました」

主にデリカシーとかそのへんを。
声には出さずニコリと笑うと、少女は腑に落ちなそうな顔で「そ、そうなんですか」と頷く。
その笑みを一層深くして犬へ向ければ、理不尽な蹴りに抗議していた口がピタリと閉じた。

「縫い付けられたいですか?」
「い、以後気をつけまーふ……」
「よろしい」

鳴く犬も黙る恐怖の笑みを消し去り、安堵の息を吐く。長閑な休日には刺激的過ぎる話題だ。
ところが、犬が言いかけた言葉を聞き逃してはいなかったのか、クロームが思案するように首を傾げた。

「……常識、改変とは?」
「ゲホッ、ゴフっ」
「だ、大丈夫ですか?」
「それってぇ、師匠お得意のマインドコントロールですか〜?」

突然咳き込んだ骸を心配そうに見つめるクロームと、テレビ画面に顔を向けたまま、純粋な疑問を呈しているフラン。
骸は錆び付きそうになる表情筋をなんとか笑顔の形に整え、当然の如く頷いた。

「ええ、合っていますよフラン。意識操作は敵を欺くために有効ですから」
「なるほどぉ」
「べ、勉強になります」

素直に感心する子供と少女。
その尊い純粋さに命拾いした少年達である。
そして議題は話題の人物へと戻る。

「……本当に無駄に高性能ですね」

相も変わらずりんご頭へ擦りつけられるうさ耳を見て、骸がポツリと呟いた。

「……高性能というより」
「変態性能びょん……」
「しかも被害を被るのは大体ボンゴレですよね〜」
「あ、あはは……」

フォローしたくても出来なかったクロームの乾いた笑いが、広い部屋に消えていく。
休日のゆったりとした空気も相まり、黒曜の面々はなんだか疲れたような、脱力する思いで肩の力を抜いた。
その時、綱吉がピタリと動きを止めた。

「……あ、あれ?オレ、今、何して」

擦り寄りに満足したのか、注目されて我に返ったのか、ぱちぱちと瞳を瞬く。

「オメー家庭教師選び直した方がいいんじゃね?」
「へ?」
「一生遊ばれると思う……」
「うえ!?な、なんですか急に」
「ボンゴレ可哀想です〜」
「な、なんか、勝手に憐れまれてる……!?」

口々に声をかけられ、目を白黒させる姿はやはりどこか危機感に欠ける。
何となく世話を焼いてやりたい気持ちになるのも、この特殊弾の性質なのだろうか。

(全く、忌々しい)

心の中で毒づきながら何とはなしに時計を見れば、15時近くになっていることに気づく。
骸は「さぁ」と部下達を促した。

「遊びも良いですがお前達、そろそろ15時ですよ」
「うおっ、もうそんな時間れすか?」
「行ってきます」

同じく時計を確認した犬と千種がすぐさま立ち上がり、エコバックやら財布やらを準備し始める。そのどこか見慣れた光景に、綱吉が「買い出し?」と首を傾げた。

「そうです〜。ミー達基本的に料理とかしないので」
「ああ、そっか、ここキッチンないもんね」
「しないので、じゃねーびょん。お前も早く準備しろ」
「ええ〜〜」

綱吉の横でダレていたフランが容赦なく引っ張られていく。これも黒曜ヘルシーランドでは馴染みの光景だ。彼等のやり取りを見つめる綱吉に、骸は付け足すように続ける。

「生憎その日暮らしなもので。その日の食料はその都度買いに行ってます」
「なるほど……でも毎回行くの面倒臭くないか?まとめ買いすればいいのに」
「冷蔵庫置いてませんから」
「うえ!?マジで?」
「正確には僕専用のものしか置いてない、です」
「お前なぁ……」

ジトっとした視線が突き刺さるが、骸は素知らぬ顔でソファに凭れる。金ならいくらでもあるが、特に必要性を感じないことには使わない主義だ。

「……まあたしかに、キッチンが無いから必要ないのかもだけど、せめて冷蔵庫とカセットコンロくらいあればさぁ」
「何です?」
「だからその、フライパン1つあればホットケーキ焼いたり、パスタ作ったり……ベーコンとか卵だって焼けるし、色々便利じゃん」
「……」

何ならご飯だって炊けるし、という綱吉の言葉に、室内が一瞬静まる。
少年達が顔を見合わせる。

「君、出来るんですか?」
「オレ?ま、まあ、何か焼くくらいなら……ランボ達が来てから、色々手伝わされるようになったし」
「ほお」

骸の相槌の後には、出掛ける準備をしていた犬と千種の「へぇ」とか「ふぅん」とか、興味があるのだか無いのだか、よく分からない返事が続く。そして最後に、珍しくフランが瞳を輝かせて「ホットケーキ……」と呟いた。
そしてまた、少しの沈黙が流れる。

「な、何?」
「では報酬はソレで」
「へ?」

骸の宣言に綱吉は目を丸くした。

「ほ、報酬?」
「今回の件に関してです。礼はちゃんとする、と言っていたじゃないですか」
「言ったけど……え、じゃあ、ココで何か作れってこと?」
「器具や材料はこちらで用意するので、また後日に」
「は、はあ……まあ、いいけど……」

腑に落ちていなさそうな返事である。
しかし、言い出したのは綱吉なのだから、文句を言われる筋合いはない。

(毎日の食事など、栄養さえ摂れていれば何を食べようが変わらないと思っていましたが……)

チラリと部下達を見れば、見えない所でコソコソとガッツポーズなどしている。
クロームは明るい表情で「私も手伝うね、ボス」と声を弾ませている。

(……まあ、悪くない案ではある)

少年が並べ立てた言葉が、思いの外琴線に触れた。それだけのことだ。

「とりあえず今日の買い出し行ってくるびょん」
「あ、犬、私も」
「オメーはいい、ソイツの相手してろ」
「クローム姉さんはボンゴレとゆっくりしてて下さい〜」
「行ってくる」

最後に犬が「お前ら骸さんに迷惑かけるんらねーぞ!」と捨て置き、少年達は意気揚々と出て行った。
賑やかな気配が遠ざかり、部屋は穏やかな静寂に満たされる。


骸はゆるく息を吐き、さて、とソファに凭れた。少しの間、暇を持て余すことになる。
いつもなら午睡をするところだが、今日は珍客がいるため少々憚られる。
この少年に限って、己が寝ている間に何かをすることはあまり考えられないが。
綱吉を見れば、あちらも眠いのか、目を何度か瞬かせ、小さくあくびなんぞをしている。
その際、両側に垂れ下がった耳が、のびのびと後ろへ流れる。

(……)

見るからにふわふわしていて、柔らかそうなソレ。先ほどフランにしていたように、あの羽毛に擦り寄られながら眠ればきっと心地よいだろう、と取り留めもなく思う。

そして無意識に、片手が伸び――かけたところで、我に返った。
心の中で頭を抱え、そして怨嗟の籠った声で呻く。

(……これだからアルコバレーノは!)

――人は理不尽な事態に見舞われた時、この言葉を口にする。
と、まるで悟りきった哲学者のような顔で呟いたのは、いつだったか夜通しの奇襲特訓で、並盛から黒曜ヘルシーランドまで吹っ飛ばされ、屋根に刺さりながら朝日を拝んでいた綱吉である。
早朝にその姿を発見した骸は『何を大げさな』と小言を言いながら救助したわけだが、今なら彼の気持ちが分かる気がした。

(この怪しい弾の能力に中てられて、うさ耳男を追い回す変人になるのは御免ですよ僕は……)

もう手を伸ばすまい、とソファの肘置きの上で固く拳を握ったところ、同じくソファに座るクロームが、少しためらいがちに口を開いた。

「ね、ねえボス」
「うん?」
「あの、もし嫌じゃなかったらなんだけど……その耳……さわらせてもらえない、かな?」
「え?」
「!」

唐突な申し出に驚いたのか、綱吉がビクリと肩を震わせる。
まさしく同じようなことを考えていた骸も微かに瞳を見開いた。
思い返せば、クロームは綱吉を連れてきた時から、彼のうさ耳を気に入っている様子だった。

(もしや、もう既に毒牙に掛かっているのか?)

悟られぬように様子を伺うが、動作や表情に不自然さはない。
むしろどこかワクワクしているような、心が逸っているような。強いて言うなら、笹川京子らと遊びに行く前日のような顔をしている。

(……単純な好奇心か)

可愛いものに心躍らせる。年頃の女子には往々にしてよくあることだ。

(そう、可愛いものに……)

かわいい……もの……に――!?

綱吉を見つめながら思考が渦を巻きそうになり、骸は振り払うように小さく頭を振った。
うさ耳をつけた男が可愛いわけがないのだ。
正気に戻るべく、あらん限りの想像力を総動員させ、顔見知りの男達にうさ耳を装着していく。

(……なし、これもナシ、こっちは……言語道断)

客観的に見て正気は既に遥か彼方だが、悲しいかなココには指摘できる人間はいなかった。

そんな苦行の最中、視界の端でうさ耳がぴょこりと動くのが見えた。
クロームからの申し出にしばらくウロウロと視線を彷徨わせていた綱吉が、両手で耳を庇うと、ソファから微妙に距離を取ったのだ。

「!」
「!」
「ええっと、その……」

主従二人は目を見張った。

眉を八の字にして、困ったような、ちょっと嫌そうな、何とも言えない表情と眼差し。
それが、どこか慎重な色を浮かべてクロームを見つめる。垂れていた耳も微かに持ち上がり、まるで本物のウサギのように周囲を警戒している。
普段は、大げさに拒否するか、そうでなければ戸惑いながらも「まあ、いいけど……」と了承する少年である。初めて目にするどこか遠慮がちな警戒に、骸は何故か今すぐ手を引いて揉みくちゃにしてやりたい気持ちが募る。
クロームもまた衝撃を受けたような顔で呆けていたが、すぐに我に返り、やや頬を染めながら慌てたように言い繕った。

「あ、あのっ、あのっ、ボス?あの、い、嫌なら……」
「いや、別に……嫌では、ないんだけど……」
「……けど?」
「この耳、触るとすっごい擽ったくて。自分で触るのも、躊躇うくらいで」
「そ、そうなんだ」

大変だね、とクロームがやんわり返すと、綱吉は恥ずかしそうに小さく頷き、口を閉ざした。

暫しの沈黙。

しかし幾許もしない内に、彼は何かを決意したように小さく深呼吸をし、でも、と続けた。
まん丸い茶色の瞳が、おずおずとクロームを見つめる。

「クロームならいいよ」
「え!?」
「助けてくれたし、変なことしないだろうし」
「あ、そ、それは、もちろん……」
「はい、どうぞ」
「あ……」

遠のいていた綱吉が、クロームの膝元へ近づき、その頭を差し出した。
それに後押しされるように、少女の手が恐る恐る伸ばされる。ゆっくり触れた指先が、柔らかい羽毛の上を滑る。
そのベルベットのような触り心地に、クロームの口からは「ふわぁ」という感嘆の声が零れた。

「ど、どう、ボス?くすぐったくない?」
「う……うん、なんか、意外と……平気かも」
「よ、よかった」

上から下へ、毛の流れに沿うように撫でおろす。特に嫌がらない綱吉の様子に、クロームはもう一歩踏み込み、指先を耳の根元に差し込み、マッサージするように揉み込む。

「これは大丈夫?」
「……うん、平気。自分で触った時はすごい擽ったかったんだけど、何でだろう……」

綱吉は心地よさそうに目を細め、クロームの手に擦り寄った。

「今はすっごく気持ちいい……」
「……!!」

まるで雷に打たれたかのように、クロームが小さく体を震わせた。
一連のやり取りを見ていた骸も同様である。むさ苦しいスライドショーが強制終了される。
うさ耳をつけた男が可愛いかって?
そりゃあ、そんなものは可愛くもなんともないが、うさ耳をつけた沢田綱吉は、もしかして、なんというか。
いやいや、そんなはずはない、そんなはずは……と一瞬視線を反らし、そろりと戻した先には、やっぱりふわふわしたメルヘンな光景。NOT幻覚。

「……」

それを、どこかぼんやりとした眼差しで見つめていると、ふいに己の名を呼ばれ、骸はパチリと一つ瞬く。

「骸?どうした?」
「…………」

きょとんとした顔が、すぐ近くまで伸ばされた指先を見つめている。その指先の元を辿れば、行き着く先は誰がどう見ても己である。
骸は完璧なポーカーフェイスの下で天を仰いだ。
信じ難いことだが、無意識に手を伸ばしていたらしい。

「……もしかして」

押し黙る骸を不思議そうに見ていた綱吉が、伺うようにそろりと呟く。

「骸も、触りたかった?」
「ぐッ」

言葉にされると更に悲惨さが増す。
咄嗟に否定も肯定もできず、しかしそんな骸の葛藤に、眼前の少年が気づくはずもなく。いまだとろけたような雰囲気のまま、コトリと首を傾げた。

「……いいよ」
「は?」
「匿ってくれたし」
「は、」

綱吉はそっと骸の手を取り、ただ嬉しそうに、ニコリと笑った。

「さわって?」
「!?」

引かれた手が、柔らかな羽毛に触れる。
手のひらを擽る優しい感触に、指先がピクリと跳ねる。その刺激がこそばゆかったのか、綱吉は一瞬首を竦めたが、特に拒絶するわけでもなく、骸の手を耳に押し当てたまま、目を瞑ってじっと動きを止めた。

「……ッ、うッ」

どこまでも無防備な、好きにしてくれと言わんばかりの態度に、胸の奥を鷲掴まれたような錯覚を覚える。

(お、落ち着け)

たったこれしきのことで、六道骸が心乱されるなどあってはならない。
あってはならないが……時には戦略的撤退も必要である。
スススと視線を逸らす。しかし逸らした先でバチンと視線がぶつかる。ソファ端のクロームである。
彼女は、何故か骸と綱吉を見つめながら、感極まったように小さく打ち震えていた。

「……」
「……」

クロームがコクリと頷く。
骸の視線は、再びもと来た道を戻っていった。
一体何をジェスチャーされたのか。全くもって分からないが、生憎問いただす猶予もない。何せ現在進行形で、体面とかプライドとか、宿敵としてのスタンスの危機である。

再び視界に少年を映して深呼吸。ビークール。
しかし、そんな骸を嘲笑うかのように綱吉が動いた。
停止したまま一向に動かない骸に焦れたのか、唇を少し尖らせ、押し当てられている手の平へ自ら擦り寄り――。

「……撫でないのか?」
「――――」

クール……は、込み上げる何らかの感情に、成すすべもなく押し流されていった。

「むくろ?」
「…………チッ」
「舌打ち!?」

ガーンと白目を剥く本体を捨て置き、骸はゆっくりと、耳の付け根へ指を潜り込ませたた。
先程クロームがしていたように、柔らかく揉み込みながら、髪と共に後ろへ撫でつける。無心でそれを何度も繰り返す。
すると、しょんぼりしていた少年の表情は徐々にとろけ、瞳が心地よさそうにまどろむ。

「……どうですか?」
「ん、うん」

俯きがちなまま目線だけを上げ、柔らかい色をした瞳が、骸を見つめてへにょりと笑った。

「きもちいい……骸、上手だね」
「……そうですか」

おそらく身近な人間にしか見せない、気の抜けた表情だった。別に見たいと思ったこともない。
しかし、いざ向けられて見ればそれは存外悪いものでもなく、それどころか、むしろ。


(もっと――)


「……」

脳裏を掠めた感情に、骸は諦めて肩の力を抜いた。

休日の晴れた昼下がり、そんな気が緩んだまったりタイムに強襲されたのが運の尽き。あれこれ考えた所で、この状況を作り出したのが怪しい特殊弾だというのなら、逆らうだけ体力と思考の無駄だ。

「……なんか、すごい、眠い、かも」
「おやおや、不用心ですねぇ」

終わりはいずれ来る。
この茶番にも、そしてこの関係性にも。
であるならば、今日この時、この瞬間だけは。

(……惑わされてやってもいい)

目下、どんどん頭を傾げ、とろけていく綱吉を見つめながら、骸の口元が小さく緩んだ。


その瞬間、カシャリという軽い音が室内に響いた。


『見ろ、リボーン。宣伝の画像にピッタリではないか?』
『そうか?オレは町の人間に追い掛けられながら盛大にすっ転んだ所の方がインパクトあると思うけどな』
『たしかにインパクトはあるが……その画を見て購入を決める客層に一抹の不安がある』
『何言ってんだ、そこがターゲットだろうが』

「……」

うんたらかんたら。
聞き覚えのありすぎる声が、入り口近くの壁から聞こえ――骸は、瞬時に口元を引き結んだ。

「クローム」
「はい、骸様」

主の一声で意図を察したクロームが、三叉槍を投げつける。
鋭い先端が瞬く間にコンクリートへ迫るが、侵入者を捕らえるにはコンマ五秒ほど遅かった。刃が壁を突き刺す直前、隠れ蓑にしていた布を残し、二つの影が『とう!!』とヒーローよろしく飛び上がる。
そのまま空中回転を披露しながら危なげなく着地してみせたのは、何を隠そう本日の諸悪の根源。

「ちゃおっス」
「やあ諸君」

ボルサリーノがトレードマークの黒衣の死神――リボーンと、マッドがつくサイエンティスト――ヴェルデ博士である。
何食わぬ顔でスチャッと片手を上げた赤ん坊二人に、骸は冷めた視線を向けた。

「堂々と不法侵入とは良い度胸ですね」
「なんだ、人聞きが悪ぃな」
「そうだぞ六道骸。我々は開発者の責務としてモニターの動向を追いかけていたにすぎない」

彼等は心外そうに言い返すが、しかしその口端は微妙に歪んでいる。愉悦の笑みを押し殺しているのは明らかだ。

「その心は?」
「「趣味と実益を兼ねた休日の暇潰し」」
「……」

訂正、特に隠すつもりもないようだ。
骸は深く深く、溜息を吐き出した。

「暇潰しは結構ですが、やるならそちらの保護圏内でやりなさい」
「……ボス、すごい大変そうだった」

クロームのどこか責めるような声色に、しかしリボーンは悪びれる様子はなく「まあそう邪険にすんな」と肩を竦めた。

「思いの外、ツナのイキが良かったから少しばかり予定が狂ってな」
「これが少しですか」
「我々とて責任感はある。だからこうして後を追って来たのだ」
「カメラ片手に?」
「おっと」

クロームの鋭い指摘に、ヴェルデが携えていた物を素早く背後に隠す。しかし、白を切るにはあまりにも遅すぎるというか、丸見えというか。
小さな背中から景気よく飛び出す一眼レフに、骸はフッと微笑み――数拍後、無表情で片手を突き出した。

「等価交換といきましょう」
「何と何の交換だ?」
「もちろん、そのカメラと、コレですよ」

コレ、と言いながら骸は自身の膝上を指す。

「敵地のド真ん中でこの体たらく……何かあっても文句は言えませんよ」
「敵地ってここか?」
「当たり前じゃないですか」

骸の不機嫌そうな返答に、赤ん坊二人は顔を見合わせる。
そしてもう一度骸を見つめると、そのまま視線を下げ、膝上のソレ――男の足元に座りながら頭を撫でられ、やがて男の膝に頬を預け寝落ちしたうさ耳少年――を一瞥する。
最期に再び、骸へと視線を戻して、一言。

「敵地ってここか?」
「……」

ニマニマと注がれる視線は腹立たしいことこの上ない。
骸は鼻を鳴らし、不承不承の体を崩さずに返した。

「倒すのならば、完全でなければ意味がない。ただそれだけのことです」
「卑怯千万、闇討ち上等がモットーのお前がか?」
「誉め言葉をどうも」

発言と現状に多少ギャップがあったことは認める。
しかし勘違いしてもらっては困るのだ。

「そこらの有象無象と未来のマフィアを背負って立つ若きドンを一緒に扱うほど、僕の目は曇ってはいないし、この男を侮ってもいない」

契約など容易い。
だが、初めて出会った時に抱えた大きな借りは、真正面からでなくては返せない。だからこれは、骸なりのフェアプレーなのだ。
フルパワーの男をフルパワーで打ち倒し、大手を振って世界大戦に王手をかけるその日まで。

「……せいぜい首を洗って待っていることです」

自身にだけ聞こえる声でポツリと呟く。

「何か言ったか?」
「いえ」

己の中の葛藤に暫しの猶予期間を設け、大人びた少年はどこか清々しく笑った。

「というわけで、僕が温情を掛けている内にカメラを置いて撤収するように」
「温情なぁ……」

何やら自己完結した様子の骸に、リボーンが物言いたげな視線を注ぐ。
対して横のヴェルデは、黒曜との付き合いの長さからか、特に躊躇する様子もなくケロリと口にした。

「それにしてはイチャイチャしているな」
「……してませんが?」
「手が動いているぞ」
「!?」

骸は驚愕に目を見開いて顔を下へ向ける。その拍子に膝が揺れたのか、綱吉が微かに身じろぐ。その頭の上を、緩やかに、そしてどこか優し気に、延々と撫で続けている己の手。
ヒクリと口元が引き攣った。

「い、いつから」
「……ご、ごめんなさい、骸様」

クロームが気まずそうに視線を逸らす。

「ボスが骸様の手に擦り寄った時、骸様……あの、すごく、嬉しそうに、あの、」
「……つまり、」

擦り寄られた時から今の今まで、絶えずこの爆発頭とうさ耳を撫で続けていたということである。

「なるほど、主人の幸福を邪魔しなかったわけか」
「できた部下じゃねーか」

なあ、骸?と、にこやかに声をかけるリボーン。片頬はあからさまにぷくりと膨らんでいる。どう見ても爆笑五秒前だ。

「……」

視線で人が殺せないものかと、信じてもいない神に問い合わせたい気分だった。そうすれば今すぐにでもこの不愉快な会話を切り上げ、悪魔共の人生に終止符を打ってやるというのに。
しかし当たり前のことながら、そんな素敵な能力に突然目覚めるはずもない。

「……ハッ」

骸は開き直り、特大の免罪符を大きく掲げた。

「だから何だと言うのです。それがこの特殊弾の効果なのでしょう?であれば、僕に落ち度などありませんよ」

この特殊弾にいかがわしい効果があることは確認済みだ。ついにその餌食になってしまったのだと考えれば、何も恥ずかしくなどないし、やましいこともない。無いったら無い。
こめかみに滲んだ汗を指先でさりげなく拭い、骸は完璧な理論を展開した。……つもりだった。

リボーンとヴェルデが、胡乱気な顔で骸を見つめる。

「オメー何の話してんだ?」
「はい?」
「これはうさ耳が生えて、行動がちょっとうさぎっぽくなるだけの特殊弾だ」
「……は?」

言われた言葉が理解できず、呆気に取られる。
まるで彫刻のように固まった主を見て、クロームが慌てたように言葉を繋ぐ。

「で、でも!あの……ボス、手錠とか首輪とかもった人に追い回されてたんですけど……」
「あれはオレ達の仕込みだ」
「……え?」
「どこまで行動がうさぎに近づくかを検証したかったのでな」
「え……そ、それじゃあ」

恐る恐る呟かれたクロームの言葉に、制作者たるヴェルデが大仰に頷いた。

「この特殊弾には人を惑わしたり、精神に干渉するような効果は付けていない」

はずなのだがな……?と、やや首を傾げ、骸を見つめながら不思議そうに呟く。

「……」
「……」
「……」
「……」

痛いほどの沈黙が、室内を満たした。
俯いている骸。それを恐々と見つめるクローム。赤ん坊二人も物言わず佇んでいたが、徐にヴェルデ博士が動いた。
博士は背後に隠していた一眼レフを手元に構えると、そのレンズをゆっくり骸へ向け――パシャリ。

瞬間、骸の額からブチッと音が響いた。

「ク、クフ、クフフフフフフ」
「む、骸様」
「クローム、分かっていると思いますが……」

不気味なほど明るい声でニコリと笑う。

「動いているものはアリの子一匹この部屋から出してはいけません、よ?」
「……!?」

最後の「よ?」と同時に、片手に三叉槍が出現し、石突が床を打ち鳴らした。するとその直後、前方で立ち上がった大きな火柱が、リボーンとヴェルデの体を一瞬にして飲み込んだ。

「むむむ骸さまーーーー!?!?」
「無かったことにしましょう、何もかも」

晴れやかな笑みである。
クロームはあわあわと口元を押さえながら火柱と骸を交互に見つめる。そしてふと、忙しない視線が、その中間で止まる。

「で、でも骸様……」
「何です?可愛いクローム」
「あ、いえ、あの……ボ、ボスもいるのですが」
「……」
「ひぇっ」

途端に死んだ主の眼に、小さな悲鳴が上がる。
火柱を見つめていた無感動な瞳が、静かに、そしてゆっくりとクロームへ向いた。

「……まあ、寝てますし」
「は、はい」
「……動いてないので」
「はぁ」
「……セーフで」
「……」
「……」
「……」
「…………くッ」
「む、骸様……」

苦悶の表情を浮かべる主にかける言葉が見つからず、少女が口籠る。
その気づかわしげな様子すら今は心に刺さる。本当は全然セーフじゃない。失望である。自分自身に。

(……)

しかし弁解もすでに手遅れなのだった。
だってうさ耳をつけた沢田綱吉は可愛いかったし、このふわふわした耳に触りたかったし……。

「ちょっとヴェルデさん、聞きました?ダメツナだけ特別扱いですって」
「依怙贔屓だな、六道骸」
「ほんと頼みますからおとなしく焼かれといてくれませんか」

火柱の中から、まるで見計らったかのような雑談がのんびり響く。
ノーダメージにも程がある。舌打ちして幻術を解除すれば、可愛らしい口元をニヤニヤと歪めたリボーンが訳知り顔で頷いていた。

「分かるぜ、骸。大義を取るか私情をとるか、悩ましいよナ」
「……」

流れるような読心に最早突っ込む気力もない。

「だが目的のためなら手段を問わないのがお前だろ。どちらか一方なんてケチくせーこと考えんな」
「は?」
「全部盛りでいけ。まあ、なるようになる」

そこでグースカ寝てる阿呆は、そんなんでも大空だからな。
そう言うと、リボーンはプククと笑って「そら」と顎をしゃくった。

「そろそろ時間だ」
「!」
「う……ん、」

綱吉の頭から垂れていたうさ耳が、細かな粒子となって消えいくところだった。
身じろぎ、むずがるように眉を寄せ、少年の瞼がゆっくりと上がる。

「……あ、れ?ごめん、オレ、寝てた?」
「……」

見慣れた双眸が、ぱちくりと骸を見上げる。
うさ耳はもうない。しかし――湧き上がる気持ちにも残念ながら大差はない。

「はぁ……」
「ていうか、え、え、え、膝!?ごめん、枕にしてた!?」

途端に騒ぎ始める茶髪頭。すぐに離れようとするので(さっきまでデロデロにとけていたくせに……)、癪な気持ちで頭をガシッと押さえつけ、少々乱暴に撫でつけてやる。
すると、やはり目を白黒させて「え、なに!?」と慌てる。
しかし、嫌がる様子はない。手も払い除けない。

「はあ……」
「な、何なんだよ、さっきか……イタァ!?」

行き場のない気持ちを平手に乗せて一発お見舞いしてやる。
このくらいの仕返しは許されてしかるべきだ。

「戻ってますよ、良かったですね」
「へ?戻って……て、まさか」

綱吉は両手でペタペタと頭を触り、羽毛の感触が影も形もないことを確認すると目を輝かせた。

「も、戻ってる〜〜〜!!」
「ご苦労だったな、ツナ」
「!?……そ、その声はぁ」

怒りからか、綱吉が若干声を震わせて背後を振り返る。
そこにいたのはもちろん、満足げな笑みを浮かべた極悪家庭教師とマッドサイエンティスト。瞬間、少年は「リーボぉーーン!!」と叫びながらいきり立った。

「なぁーにがご苦労だよ!オレ今日めっちゃくちゃ大変だったんだぞ!?」
「部屋に引きこもってひたすらゲームする一日よりゃマシだろ」
「だっ!?……だ、だとしても、いきなりすぎるんだよ!」

せめて事前説明は欲しい。できれば了解もとって欲しい。
当然と言えば当然の要求だが、先生はやれやれと首を振った。

「敵が事前説明をしてくれるか?お前の準備を待ってくれるか?いつどんな状況で奇襲されても対応できる瞬発力を鍛えるには、このやり方が一番なんだよ」
「……」
「……」
「……」

尤もらしい返答に、綱吉だけでなく後ろの骸とクロームも眼を据わらせる。

「ビジネスがどうとか言ってたくせに……」
「趣味って言ってたよ、ボス」
「休日の暇つぶしとも言ってましたね、たしか」
「……」
「……」

三者三様の胡乱気な視線が二人に突き刺さる。
リボーンとヴェルデは顔を見合わせ、示し合わせたように一つ頷いた。

「「とう!!」」
「あっ!?」

小さな体が高く跳躍する。
そして天井に近い採光の窓枠へ足をかけると、稀に見るイイ笑顔で片手を上げ――。

「実益も兼ねたから許せ」
「協力感謝する、諸君」
「んなぁっ」

……窓から爽快と身を翻したのだった。
捨て台詞なのか何なのか、『家に帰るまでが修行だからな〜』という声が遠ざかっていく。
残された三人はポカンと口を開け、窓を見上げた。

「……変わり身、はやい」
「……君子豹変す、とはこのことですね」
「くっそぉ〜〜」

呆れ半分、感心半分の骸達の前で、綱吉が力が抜けたように座り込む。遣る瀬なさが滲み出た背中だ。
彼はしばらく煩悶するようにうんうんと唸っていたが、やがて踏ん切りがついたのか、立ち上がって骸とクロームへ向き直った。

「迷惑かけて、ごめん」

ペコリと頭が下がる。
申し訳なさそうに縮こまる肩に、骸は鼻で笑って返す。

「何を今更。自分で堂々と迷惑をかけにきたと言っていたではないですか」
「そ、それは、はい……」
「礼をしてくれるんでしょう?」
「!」

大方、盛大に文句を言われるとでも思っていたのだろう。大きな瞳が、驚いたようにまじまじと骸を見つめる。業腹だが、肩を落としているよりはいくらかマシだ。

「期待してるので、せいぜいしっかりもてなすように」
「う、うん……あの、ありがとう、骸」
「だから今更だと、」
「いや、だから色々と……全部」
「……!」

今度は骸が目を見開く番だった。
綱吉がやや気まずそうに視線を逸らす。

「……」
「……」

黙り込んだ二人の顔を、クロームが交互に見つめる。

「ボスの耳、ふわふわで可愛かったね」

夢見心地なその声に、両者の体がビクゥ!と震えた。
骸の視線の先では、綱吉がより一層恥ずかしそうに唇を食んでいる。
そう、当たり前だが覚えている。
撫でたことはもちろん、撫でられたことも。

(……)

恨むべくは、魔性の弾丸か、それともその可能性をすっかり頭の外へ追いやり、一時のテンションに身を任せた男の性か。
だが後悔しているかと問われれば……答えは否だった。少なくとも骸は。
だから答えてやる。

「……ドウイタシマシテ」
「――、」

うろうろと彷徨っていた視線が骸を見つめ、微かに瞠目した。

「……何か?」
「い、いや……」

綱吉が、まるで珍しいものを見たかのように繁々と骸を見つめる。
腹の据わりが悪くなる視線だった。

「言いたいことがあるのなら、はっきり言ったらどうです」
「……えっと、その、」

一瞬、綱吉は口を開きかけた。
しかし咄嗟に言葉を呑み込み、緩く首を振る。

「な、なんでもない」
「……」
「ほ、ほんとに何でもないよ!……た、ただ、」
「ただ?」

片眉を上げ胡乱な表情で骸が見つめると、綱吉は緊張したような面持ちで、しかしどこか嬉し気に、骸の目をしっかりと見返した。

「……お礼、頑張るから。楽しみにしててくれ」

ニッと、不器用に口角が上がる。無理に格好をつけたようなぎこちない笑みだ。
うさ耳がついていた時とは違う、骸が沢田綱吉らしいと思えるソレ。

(……全く)

負けたような口惜しさと、不可解な充足感が綯交ぜになって込み上げる。
だが今はまだそれでいいのだ。決め打たなくていい。

「自らハードルを上げるとは、余程料理の腕に自信があると見える」
「えっ!?い、いや、だから!焼いたり茹でたり、そのくらい……だよな!?」

盛大に焦って「それ以上高度なことはやれって言われてもできないからな!?」と念押ししてくる姿が大変滑稽で良い。せいぜい意趣返しをされて、わーわー煩く騒いでいればいいのだ。

「犬達にもリクエストをしっかり聞かねばなりませんね」
「あ、あうあぇ……」
「ふふふ、私も手伝うね、ボス」
「……うう、うん、ありがとう……クローム。その、今日助けてくれたことも」
「気にしないで、ボス。ボスは大変だったかもしれないけど、その、私は、けっこう……」
「あ、そ、そう。それなら、良かったけど……」

うっすらと頬を染めるクロームに、綱吉がやや引き攣った笑いを返す。恐縮した様子は完全に取り払われている。うさ耳がついていた時の緩んだ顔も物珍しくはあったが、やはり見慣れているのはこの顔だ。

(――まあ)

あと少しの間、この冴えない顔を見ながら過ごすのも。


(悪くはない、か)


いずれ片付けるべき一切合切を未来へ先送りし、骸は傍目からは分からない程度に口元を緩めた。


+++


じゃあ城島さん達によろしく、とぎこちなく手を振り去っていった綱吉を見送り、骸とクロームは一仕事終えた気分でホッと息を吐き出した。

「リボーンに絶対謝らせてやると息巻いていましたが、フラグでは?」
「あはは……」

最早返り討ちに遭う未来しか想像できない。

「学習しませんね、アレは」
「……骸様」
「尻ぬぐいするこちらの身にもなってほしいですよ全く」
「……骸様、あの」
「やはり礼は盛大にしてもらわねば……」
「あ、あの!骸様」
「はい?何です?」

ぶつぶつと独り言を零していた骸は、少女の声で我に返る。
やや下にある大きな瞳を見返せば、クロームはどこか言いにくそうに視線を彷徨わせつつも、何かを決意してゴクリと唾を飲み込む。

「あの、骸様。つかぬことを伺いたいのですが」
「はあ、何です改まって」
「写真は、良かったのでしょうか……?」
「写真?写真、とは……」
「だ、だから、あの…」
「しゃ、しん……」
「……ハイ」
「…………」

辺りが静まり返る。長い長い沈黙だった。体感では永遠の気さえした。
しかしその実、主従の会話が途切れて三秒ジャストを数えた時。周囲の森から一斉に鳥が飛び立っていった。

「……ク、」
「む、むくろさ」
「クフフ、クフフフフフフ」
「ひいッ」

今度の骸の眼は死んではいなかった。死んではいなかったが、燃えていた。
復讐者も素足で逃げ出しそうな怒りの炎を燻らせ、きれいな顔が笑みをかたどる。

「では、ちょっと行ってきますね、クローム」
「え゙、い、行くって、それは」
「もちろん――あのオイタが過ぎる赤ん坊共の所へですよ」
「――!?」

その言葉をクロームが認識した時には、骸の姿は既になかった。遠くの方から微かに「おのれ……!」とか「クソアルコバレーノが……!」という暴言が風に乗って届く。

「む、骸様……」

それは、もしかしなくとも。

幸か不幸か、並盛へ爆走する骸の耳へは、部下の「フラグです……!!」という諫言は届かないのであった。





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