◆死灰屠り(完/連)
第十七話
◆◆
「まぁ、こんなもんやろ」
突然の衝撃に、咄嗟に目を閉じた俺の耳に四郎の声が聞こえた。
開いた視界には、何事もなかったかのように四郎がタバコをふかしている。
先程まで、周囲を囲んでいた煙のような靄も臭気も感じない。
そして、左京を襲っていた犬の形をした黒い影も、跡形もなく消えていた。
「……凄い」
あれ程の強い力を持ったヤツを、一瞬にして消してしまう程の圧倒的な力……流石は、右京と左京の元上司。
更には、元心霊班統括。
肩書きは名だけではなかったという事だ。
見た目は、ただの豪快な爺さんだが、能力は俺より遥かに強い。
背筋から来る何かに、俺は思わず身震いした。
「ほんじゃぁ、さっさっと逃げんで」
「は?」と俺の間抜けな声が出る前に、四郎はタバコをくわえたまま、さっさっと踵を返し元来た道を戻り始める。
「えっ!?ちょっと、逃げるって……」
戸惑う俺の脇に、いつの間にか右京と左京が立っていた。
左京の手には、先程掘り起こした木箱が抱えられている。
「時間がなさそうねぇ」
左京同様、洞穴を見ていた右京が頷く。
「あぁ、走った方がいいな」
右京は、俺の背後に視線をやったまま「急ぐぞ」と、俺と春日の背中を押した。
俺は、押されるまま走り出しながらも、右京の視線を辿り、振り返る。
そこには洞穴の前で、黒い影が徐々に膨れ大きなっていくのが見えた。
「あれって、もしかして……」
影は見る見る、見覚えのある形に戻っていく。
「要君、よそ見していると危ないわよー」
「さ、左京さん、さっきのヤツ、四郎さんが消したんじゃなかったんですか!?」
俺は木箱を抱えながら隣を走る左京を見上げる。
だが、俺の問いに答えたのは、先頭を走る四郎だった。
「あほう。あんなヤツ消せる訳がねーだろうが!アレを消せるのは術者本人だけや!」
――術者本人?
「それって、どういう事なんですか?」
俺の少し先を走っていた春日が、真っ直ぐ行く先を見据えたまま、ほんのり赤く色づく唇を動かした。
「……犬神(いぬがみ)」
「犬神って……」
まさかと言いたかったが、右京の淡々とした声がそれを遮る。
「恐らくな。その木箱の中身を確認しなくては断言できないが……」
右京はチラリと左京の持つ木箱を見た。
木箱は、土に埋まっていた所為か、水分を含み、黒に近い茶色をしている。
もし、あの黒い影が犬神なのだとすれば、この木箱には……
「とりあえず、今のこの状況じゃ調べられないからねぇ〜、早くあの大きな犬さん、諦めてくれるといいんだけど……」
左京はため息混じりにそう言った時「おいおい、後ろ来とんで!」と、四郎の慌てた声が辺りに響いた。
背後を振り返れば、黒い影と俺達の間は五メートル程しか離れていない。
「なっ!?」
「……早いな」
向こうは実体を持たない存在だ。
俺達とは違い、行く手を遮る木々や草の妨害は皆無。
明らかにこれは――追いつかれる。
その時、進み行く方向とは真逆に駆け抜ける影が視界を掠めた。
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