「こっちだった」 アニスは硬直する私を引っ張り、一番奥の部屋へと連れて行った。 一番奥と手前じゃ間違えようがない。 まして部屋は三つしかないのに、あれは絶対わざと間違えたんだ。 驚く私の顔が見たくてわざと間違えたんだ。 泣きそうになりながら通された部屋を恐る恐る覗き込んだ。 「あれ……、以外に普通」 先にあんな衝撃的な部屋を見せられたせいか、ホッとするような普通の部屋。 大きな窓が一枚あり、広々としたテラスがそこから見える。 生活に必要な家具は全て備え付けてあるし、清潔感のあるシンプルな部屋。 部屋に入ってすぐ左にはベッド、右奥には大きなクローゼットがあり、その隅にはテーブルが申し訳なさそうに置かれてある。 更には私の住んでいた部屋よりも若干広めな作りの部屋に、少し嬉しくなった。 「気に入ってもらえた?」 「……うん」 「この部屋は自由にして良いからね。あ、さっき見せた部屋も使いたかったら使って良いんだからね」 「必要ないです!」 焦りながらアニスの申し出を断り、持っていたバッグをベッドへと置いた。 そして大きな窓に行き、そこを開け放つと爽やかな風が勢いよく流れてきた。 テラスから見える風景も申し分なく、下の方へ視線をやれば小さな庭が見える。 結婚したあかつきにはこんな家で旦那様と暮らしてみたいと思わせるような、そんな理想的な家。 ……あの部屋は要らないけど。 「夢に浸るのは良いけど、下に行って家の中の事覚えてもらわないと困るんだけどー」 ウットリとしていると、夢心地を破るアニスの声。 「はいはい、わかりましたよ」 「早く行くよ」 と、そこでテラスから部屋を見れば、窓がもう一箇所。 私の部屋にと用意されていた所にあった窓は一箇所。 じゃあ、もう一つの窓はどの部屋の物? こっそりともう一つの窓を覗き込もうとすると。 「香夜ちゃんのエッチー」 「どうしてですか!?」 「そっちは僕の部屋だから、勝手に覗かないでよねー」 ……テラスはアニスの部屋と共有……? 「他に余ってる部屋はないんですか?」 「大丈夫、テラス使って香夜ちゃんの部屋に行こうなんて思ってないから」 どうして考えている事がすぐにバレる。 「そんなあからさまに嫌な顔されたらわかるよ。でもね」 そんな事を言いのけるアニスを前に乾いた笑いを見せていれば、アニスの声が急にトーンダウンする。 「香夜ちゃんは僕の奴隷だって事、忘れちゃ駄目だよ。僕以外の言葉は信じちゃいけないし、僕の言葉は絶対なんだって事、覚えておいてね。わからないなら、わかるまでじっくりと躾けてあげるけど」 どうする?と首を傾げるアニス。 さっきまであった緊迫感を一掃する、気の抜けるような仕草。 「第一、ご主人様である僕が呼んだら、香夜ちゃんは何があっても駆けつけなきゃ駄目なんだからね。だからたとえ一緒の家に住んでいようが、いまいがすぐにね。もし香夜ちゃんが呼び出しに応じないのであれば、罰を与えなきゃならないしさぁ…。僕面倒なの嫌いなんだよね」 そんな事を言いながらも、アニスの目はキラキラと輝いて。 罰を考えるのは楽しいと顔一杯に現していた。 確かに面倒は嫌いそうではあるけど、そんな面倒なら他人のを奪ってでもやってのけそうなほどの表情を前に、何も反論する気力を削がれた私は肩を落としながら部屋を後にした。 「元気がないねー?」なんて素っ頓狂な事を聞いてくるアニスに、更に疲れを増したのは言うまでもない。 「ここが主に香夜ちゃんの仕事場になるよ。掃除炊事洗濯、あとは僕が望む事全てをやってもらうから」 階下に行き、通されたリビングはとても広く、先ほど見た庭に面して大きな窓があり開放感に満ちていた。 奥にはカウンターがあり、そしてキッチンらしきスペースが見える。 奴隷と言うより、家政婦に近いような……。 「せっかく部屋を用意しておいてもらってなんだけど、私アパートがあるからそこから通うよ」 そして隙を見て職探しをしてアニスから逃れたい。 是が非でも! 「アパートも解約したよ。引越し業者に言って荷物も引き払ってもらえるよう手配済みだし」 「どうして!そんな突然解約出来るわけないでしょ!?」 「大家さんに事情を話して、家賃三か月分前払いしたら快くOK出してくれたよ」 事情ってどんな事情だ!私が聞きたいよ! 呆気にとられる私を前に、「世の中金だよね〜」とほざくアニス。 大人の汚い現実を垣間見てしまった私は、一つ大人になれたかもしれない。 |