出勤しようとしていたままの格好で、通勤に使っていたバッグを一つ持って朝の通勤路を歩く。 周りの人も皆仕事に行くのだろう、私の姿は違和感なくその朝の風景に溶け込んでいた。 ただ、一つの点を除いて。 「香夜ちゃん、歩くの遅いね。足短いから仕方ないのかな?」 私の手を引きながら歩くアニスの姿は、日本人とは思えない髪の色や容姿。 王子様と言うだけあって、黙っていれば確かにイイ男に見える。 そんなアニスに手を引かれる私はとても釣り合いが取れるとは思えない。 まして明らかに年下の男に見えるアニス、周りから注がれる好奇の目が痛い。 アニスに嫌味を言われてもそれに対して反撃する事すらはばかられるくらい。 「どうしたの?」 静かにしている私を不思議に思ったのか、アニスは窺うようにして顔だけ後ろに向け私を見た。 「……どこ行くつもりなの?」 「どこって、僕の家」 家……、王子様が住まうと言えばお城しかない。 初めてお城なるものを見ると思えば、少しだけ興味を持ってしまう。 思い描くは西洋風のお城で、綺麗な湖が近くにあって……。 ……駄目だ駄目だ、アニスに私の妄想を覚られたら何を言われるか。 アニスのペースに持っていかれたら、また私一人がオロオロするだけだろうし、それだけは避けたい。 「バスに乗ってすぐだよ、隣町だから」 「隣町!?」 こんな街中に、お城はあまりにも不自然。 第一、隣町にお城があるなんて見た事も聞いた事もない。 隣町にお城があればちょっとした町おこし並のお祭り騒ぎがあっても良さそうなのに。 通勤する人達に紛れ、アニスに手を引かれてバスに乗る。 正体不明な輩に捕まってしまい、今更逃げる気なんて更々ないのに 朝からこんな恥さらし、どんな羞恥プレイだと言わんばかり。 「さっきから大人しいね、お腹でも痛いの?」 「ストレスで胃に穴が空きそうです」 「そうなの?じゃあ僕があとで診察してあげる、ちゃんと白衣を着て見てあげるからね。大丈夫、香夜ちゃんは診察台に寝てるだけで良いよ、すぐ済むからね」 「丁重にお断りさせてもらいます」 繋がれていない手でつり革に掴まり、不意に襲いくるバスの揺れに備えながらアニスとする会話。 明らかに普通じゃない。傍から聞いていれば、コスプレ……それこそお医者さんゴッコを楽しもうとする変態カップルに見える。 恥ずかしい、今すぐにでも離れて他人のふりをしたい。 これからどうしよう。 アニスによって仕事は勝手に辞めさせられ、強引に連れ出され……。 それに、奴隷とか。それも死ぬまでとか! 有り得ないよ、本当に有り得ない。 いくら王子様だとしても、そんな横暴がまかり通るのはおかしい。 でも、人間離れした技の数々。 私の声色を完璧に真似をし、なにより昨日見た空を飛ぶ二人の姿。 「はぁ……」 疲れと共に重いため息が私を益々暗くさせる。 私は……、普通の恋愛を楽しめないまま奴隷となってしまうのだろうか。 足掻きたいけど、本当に疲れてしまって口を開くのも億劫だ。 「次で降りるよ。……何ボーッとしてるの?ねぇ香夜ちゃん、聞いてる?」 昨日の疲れもあってか、バスに揺られて益々疲労感で一杯の身体がだるい。 だからアニスに声をかけられても、顔を覗き込まれても何の反応を示さず、今にも閉じてしまいそうな瞼の重さばかりを気にしていた。 「……家に着いたら、香夜ちゃんにはどんな服装でいてもらおうかなぁ。メイド服はありきたりだけど結構好きなんだよね、制服……って歳じゃないからアレは無理か。そうだ、ビザールにしようか。拘束具をつけてボールギャグで呻き声しか出せないようにして、玄関にでも飾って」 「ヒイッ、やめッ!アニス何喋ってるの、黙って!」 焦った私の叫びにアニスはピタリと黙り、そして満面の笑みを私に向けた。 「なぁに?どうしたの?」 「何ベラベラと変な事喋ってるんですか!」 小声でアニスを怒りながら目だけをせわしなく左右に動かし、周りの乗客に目を配る。 奇異の目で見る人、興味津々な顔で私達を見ている人、私と目が合った途端視線を逸らして、聞いてない振りをして聞き耳を立ててるような人。 様々な乗客からの視線に耐えられず、私は顔を熱くしながら下を向いた。 「香夜ちゃん寝てるのかと思って独り言を言ってただけだよ、聞こえてた?」 屈託なく笑うアニスは繋いだ手を指を絡めるようにして繋ぎなおした。 ……アニスを無視したら恐ろしい目に合う。 私は身を持って知った。 |