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倉庫
幸せな記憶(BASARA:チカナリ)
「人間など」

そう憎々しげに吐き捨てたあいつは、その後どんな言葉を続けようとしたのだろうか。
今はもうはっきりと覚えてはいないけれど、あいつの透き通るような色素の薄いその瞳は何も映し出していなかったように思う。

あいつの周りに「人間」はどれほど居るだろうか。
自分はその中の一人で居られているのだろうか。
あいつ自身はまだ「人間」なのだろうか。

考えるたび息苦しくなった。
助けになってやりたかったが、どの問いも答えが返ってくるのが怖かった。
おそらくあいつは最愛のアニが死んだ時既に人間として生きることを捨ててしまったのだろう。
父も母も兄も亡くしたあいつの周りに、人間なんて一人も居なかった。
俺があいつの中でどのような位置にいたかを確かめる術はもうないのだから、今更考えても仕方のないことかもしれない。

だが、俺は逃げた。

自分より少し年上で面倒見が良くて、俺のことをまるで弟か何かのように扱ってくれた幼馴染が、急に居なくなってしまうのが怖かったのだ。

(そう俺はいつだって逃げてばかりだ)

俺はあいつのことを避けるようになったし、あいつの方から俺に会うことも段々と少なくなっていった。
薄々は勘付いていたのだ。
家督を継ぐというのはどういうことか。
俺たちは敵同士になるしかない。
けれどあいつならそんなことを気にせずに傍に居てくれるんじゃないかと思っていた。

(だって俺たちは幼馴染なのだ)

実際はそんな淡い期待は無残にも崩れ落ちてしまったのだ、けれど。

それが曖昧な予感というものからはっきりとした確信へと変わったのは、ある暑い夏の日のことだった。



「…弥三郎」

聞き慣れた少し高めのあの声に、俺は顔を上げた。
それからすぐにしまった、と思った。
俺のことを名前で呼んだりするのはその当時親父を除けばあいつだけで、俺がその時居たのは中国の外れであったのだから少し考えれば分かることではあった。
その声の主と顔を合わせてはならない、と。

けれど俺は愚かにも(本当に愚かとしか言いようが無いが)その懐かしい声にふと顔を上げてしまった。
結局、俺達はお互い見つめあうような格好で再会を果たしたのだ。

(…やつれた)

一番最初に感じたのはソレだった。
あいつは男にしては細身だったが芯のある凛とした覇気を持っていて、俺にはそれが酷く心地よかった。
だがたった今目の前にいるあいつには、その覇気が無かった。
体調が悪そうだ、とか頬がこけた、とか、そういう話じゃない。
見た目は以前会ったあいつとまったく変わらなかった。

でも 違った。

覇気がない。

そして、今までと違うどこか身構えるような空気があって、それは俺の目にとても頼りなさそうに映った。


「    」


居たたまれなくなって、俺はあいつの名を呼ぼうと口を開いた。けれど。

…あいつのことを、なんと呼べばいい?

松寿丸という名前はあいつの兄と一緒に居なくなってしまって、あいつは今毛利元就だなんて大層で聞いたこともないような名前になっているはずだった。
だけど、俺は毛利元就なんて男は知らない。
俺が知っているのは松寿丸だった。

「貴様、何故此処にいる?」

俺が迷っているのに痺れを切らしたのか、向こうが再び言葉を発した。
抑揚の無い、淡々とした口調。
どう考えても久しぶりに会う幼馴染に会った時の口調ではなかった。
少なくとも、俺が今まで聞いたあいつの声の中で一番冷たく聞こえる声だった。
怒っているのではない。
まるで感情の感じられない声だった。

「松、寿…?」

名前を呼ぼうと思って呼んだわけじゃない。
ただ、気付いたらあいつの名前が口から零れ落ちていた。
否、名前を呼んだらあの優しい幼馴染が帰って来るかもしれないと期待でもしたのだろうか。
とにかく俺は無意識にあいつの名前を呼んでいた。
おそらく小さな小さな望みを託して。

「…もう一度聞く、弥三郎。何故ここにいる?
此処は毛利が領地。まさか然様なことを知らぬわけでもあるまい?」

案に反して、あいつはかつての自分の名前など聞こえなかったかのように、そしてまるで物分りの悪い子供に物を教えるかのようにゆっくりと言葉を続けた。

どうして今更?
今までは此処に何度も遊びに来ていたじゃないか。
そんな言葉が浮かんで消えた。

…こんなはずじゃない。

頭の中でその言葉だけが響く。
どこかで警告が聞こえたような気がした。

こんなはずじゃない。

周りの景色が妙に鮮明に見える。

(こんなはずじゃない)

もう一度口の中で呟いてみた。
あいつが俺にこんなことを言うはずがない。
あいつは俺の幼馴染じゃないか。
今までだってこれからだってそうだ。
…そんな言葉は全て音になる前に消えてしまった。
変わりに口から出たのは
「…笑ってみて」


あれはあいつにとってなかなかに笑える光景だったことだろう。
何しろ久しぶりに会った幼馴染は自分をみて茫然自失としていて、なんと声を掛けようか散々迷っているのを待った挙句、出てきた言葉は「笑ってみて」なのだ。
それでもあいつは俺を見下し眉一つ動かさずに
「…下らぬ」と溢した。

もしもあいつが俺のことを怒ったり嘲笑したりしたら、幾分か俺の気持ちは楽になっただろう。
だがあいつはただ俺の方を見下ろしているだけでおよそ人間らしい表情なんて浮かべなかった。
だから、俺は心配になってもう一度うわ言のように呟くのだ。

「ねえ、笑ってよ。前はもっと笑ってたじゃない。
今の松寿、おかしいよ」
「・・・・・・・・・・・・」

あいつは微かに驚いたような顔をして、そしてその顔が今にも泣き出しそうに歪んだ。

「貴様に、何が分かる」

…あいつは俺に自分のことを分かって貰おうとしてその台詞を言ったのではないだろう。
あいつはいつだって、お前の気持ちは分かる、という類の言葉を嫌悪していた。

「然様な愚かなことを申すか。恥を知れ」

そう返されたのも随分と昔のことのような気がする。
だからあいつの口から出たあいつにはおよそ似つかわしくないその言葉に、俺はまた黙るしかなかった。
多分目の前にいるこの男は松寿ではないのだ。
そう思った。だけど。

今思えばあの時あいつはまだ松寿丸だったのだ。
お互いが国主となり、そして初めて真っ向から対決した今、俺はそれを悟った。
「…っぶね」

ひゅ、と音を立てて俺の目の前を横切った輪刀。
本来ならばそれは空を切ってあいつの間合いの中に戻ってくる。
はずだった。

「元就様!」

焦ったようなあいつの部下の声が聞こえる。
その先にそいつが何を言おうとしていたか、俺たちが聞くことは、無かった。


ざくり。


目の前で鮮血が噴出すのは、まるでスローモーションでその情景を見ているかのようにゆっくりとしたものだった。

最後の言葉を叫んだ表情のまま、首が、落ちた。

「邪魔だ」
輪刀に付いた血を払いながらあいつが吐き捨てる。
味方の返り血を浴びてもその顔は何一つ変化しない。
まるで虫か何かを潰した時のように平然としている。
輪刀から払い落とされた血が、首の無い死体から溢れ出る血が、びちゃり、と嫌な音を立てた。
顔から血の気が引いたのを、頭の片隅で感じた。

「お、前、仲間、を…」

頭がうまく回らない。
今目の当たりにした出来事を、脳が理解するのを拒否していた。

ぎゃん、と金属が不協和音を奏でる。
俺目掛けて振り下ろされた一撃をかろうじて槍で弾く。
ふとあいつと目が合う。
何の色も浮かべていない目だ。

自分の部下など最初から居なかったかのように俺を殺す算段を立てているあいつを見て初めて、沸々と怒りが湧いてきた。

「てめえ、何で仲間を殺した!なんで止めなかった!
 あいつを殺す必要がどこにあったんだよ!?」

叫んでみて初めて、自分の想いを形にすることが出来た。
怒りに任せて槍を振るう。
それを軽くかわしながら、あいつは口を開いた。

「簡単なことだ。そやつが我の間合いに入り込んでいただけの話よ。
奴はこの作戦にも失敗した。戦から戻れども刑罰は免れぬ。
なれば何処で死のうと変わりは無かろう?」

その表情はさっきと寸分違わぬまま。
まるで人形と会話しているようだった。
実際、俺は本当は人形と会話していたのかもしれなかった。
俺がどんなに想いや願いを込め、それをどのように相手に伝えたとしても、あいつはきっと今のように表情一つ変えなかっただろうから。

「…っ、お前が殺したのは、お前の部下以前に人間だろうが!」

それでも俺は叫ばずにはいられなかった。
だってそうだろう?
あんな風に変わってしまった幼馴染を、今までとは別人だと言って切り捨ててしまえるほど俺は強くない。

「それも毛利家反映の為には仕方の無い事。
 奴とて無駄に死した訳ではない。そして今までわが軍の内無駄死にした者など居らぬ」

氷のような声と共に、俺の槍がまた弾き返された。
鋭い反動を掌に感じながら俺は考える。
無駄な命はない、その言葉に嘘はないだろうが何かが違う気がした。
俺はそんな次元の話をしているのでは無かったはずだ。
あいつにとって奴は自分の部下の内の一人に過ぎなくても、奴を必要としている人間は確かに存在するのだ。
槍をもう一度ぐ、と握り締めてあいつの懐を突く。
あいつは虚を突かれた顔をしたが、間一髪の所で串刺しになるのは回避した。

「そんなにお家が大事か?部下の命も守れねえような大将が何言ってやがる!」

お互い手の内は知れている。
隙を見せた方が負けだ。
こいつ相手なら体力勝負に持ち込んだ方が得策だろう、そう考えて力押しに戦法を切り替えながら、俺はあいつに再度言葉をぶつけてみた。
あいつも俺の作戦を読んだのか、必要最小限の動きで攻撃をかわし、あるいは弾きながら言葉を紡いだ。

「貴様に、何が分かる」

…あの時と同じ台詞。
けれど、あの時苦しそうに歪んだ顔は、今ゆっくりと唇の端を持ち上げた奇妙な表情を浮かべていた。
それは笑みに似た表情ではあったが、細められたあいつの両の目はまったく笑っていなかった。
ああ、家の繁栄なんて一体なんの役に立つというのだろう!
あいつはそんな小さなことに囚われて、二度と笑顔を見せることはなくなってしまったというのに。

「変わったな、お前」

あの時と同じように自然と言葉が口をついて出た。
その言葉に込められたのは、哀れみでも失望でも諦めでも同情でもない感情だった。
この感情を表す言葉を俺は知らない。
ただ、漠然と表しようのない想いが俺を支配していた。
あいつは俺の言葉に、また例の無表情で「当然よ」と返した。

「我も貴様も昔のままいるわけにはいかぬ。
 貴様もそうであろう、長曽我部元親」

ゆっくりと名前を呼ばれて、確かにそれは間違いではない、と思う。
けれど過去を何もかも捨ててしまっては何にもならない、とも思う。

「それはそうかもしれねえよ。けど、今まで変わってねえもんもあるだろ?毛利元就」

初めて呼んだあいつの名前。
毛利なんて。心の中で静かに呟く。
毛利なんて、何の役にも立ちやしないのに。


「戯言はそれで終わりか?どちらにせよ、貴様はここで果てるが定め。
 遺言ならば、聞いてやらぬことも無い」

居丈高にあいつが言い放った。
その言葉があいつの本心かどうかは分からない。
けれどそれを確かめるだなんて悠長なことは言っていられない。
仕方がない。俺は腹を決めた。
あいつは俺の幼馴染だが敵でもあるのだ。
今あいつを仕留め損なえば、後々が面倒になるのは目に見えている。
今、此処で、俺はあいつを殺さなければならない。
不思議と負けるかもしれないとは思わなかった。
ただ、あいつが今此処で死んでしまうことが悲しかった。

ごめんな。

自分自身にしか聞こえないほどの大きさの声でそっと一言呟いてみる。
そして、単調な切り返しばかりの切りあいから俺は一転して攻めに出た。


「っらあ!」

出来るだけすばやく槍を引き、相手が打ってくる間を与えずに体重を掛けて打ち下ろす。
あいつは避ける間がないと判断し、輪刀を2つに分けてそのまま受け止めようとした。
耳障りな金属音が幾重にも響く。

あいつも今や名のある大武将だ。
こんな一撃が決定打になるはずのないことは分かっている。
けれど俺が渾身の力を込めて打ち下ろした槍は、如何にあいつといえども簡単に受け止められるものでもない。
この槍の重量だけでも結構な衝撃となるのだ。
あいつの細腕なら衝撃を殺すのに一瞬動きが止まる。
そして、俺にはその一瞬さえあればいい。

「くっ!」

あいつの踵が、地面を逃すまいとするかのように踏みしめられたのが、見えた。
…受け流せば、良かったのに。
けれど戦なんてそんなものだ。
一瞬の判断の誤りが信じられないような結果を呼び寄せる。
今の展開は正にそれだった。

「ごめんな、元就」

そして俺は、大きく右足を振り上げた。
「!!」

あいつは瞬時に自分の失敗を悟った。
切れ長の瞳が大きく開かれ、信じられない、とでも言うような表情をする。
そして、それがすぐに苦悶の表情へと変わった。
ただの蹴りとは言え、力に自信のある俺がやれば甲冑の上からでも肋骨の2,3本は折ることが出来る。
ましてあいつは今俺の槍を受け止めている最中なのだ。
受身を取ろうとすれば、槍の直撃をもろに受ける。

「ぐ、ぅ」

バランスを失ったからだが後方へと大きく倒れた。
火事場の馬鹿力は侮れないもので、あいつの顔が苦痛に大きく歪む。
そして、体勢を立て直そうとしたあいつの動きが、止まった。


赤。紅。垢。
「氷の面」と恐れられたあいつも、やはり血は赤かったのだと思った。
それだって、あいつがまだ人間であったことの証明になったかもしれない、のに。

「な、に…」

ごぼり。あいつの口から零れ落ちた血は、最初にあいつに切り捨てられた部下と同じ色をしていた。
あいつの左胸から生えたのは血塗れの槍の柄。
それを握っていたのは他ならぬ俺の右手だった。

あいつが俺の槍を受け止めるかどうかは、大きな賭けではあった。
あいつの動きを止める術が他に思いつかなかったのだ。
可能性の低い賭けではあったが、可能性で戦はできない。
賭けは見事に俺が勝利し、今槍はあいつの肺、そして心臓の辺りを奇麗に貫通していた。
「終わり、だな」

俺は吐き捨てる。
勝負に勝ったという嬉しさや充実感は一つも無い。
ただ俺は自分を守ることに精一杯で、あいつのこともこんな終わり方しか出来なかったのだ、と自責の念のようなものを感じていた。

「まさ、か、貴様に、謀ら、れようと、は…。ふふ、毛利。元就も落ちた、も、のよ」

溢れ出る血をものともせず、あいつは喋っていた。
それは肺が潰れたひゅーひゅーという音に遮られ酷く聞き取りにくいはずだったが、何故か俺の耳にはっきりと届いた。

「…お前、今でも笑えねえのか?」

ふと気にかかったことを聞いてみる。
奴は目を閉じたまま小さく息を吐いた。

「戯、言を…。然様なも、のは、我に、は、必要なかっ」

ごほごほと血の混じった咳をしているあいつは嘘みたいに細く脆そうで、ああ、こいつは今までどれ程のものをこの体に溜め込んできたのだろうなどと無駄なことを考えてしまう。
今更そんなことを考えても何も変わりはしないし、良くも悪くも俺がその全てを終わらせてしまったということも分かってはいるのだ、けれど。

「そんなに毛利家に拘らなくても良かったんじゃねえのか」

俺は家だとかそういうものにあまり拘らない性質だからあいつの気持ちは分からないが、それはずっと(そう、それこそあいつが変わってしまってからずっと)俺が思ってきたことだ。

「何、を言う…。毛、利家の繁栄、こそが父、上、と兄上、の、望み…」

ぼんやりと霞がかっていたあいつの瞳が、驚愕に見開かれたように、見えた。
その瞳いっぱいに映し出されていたのは、恐怖に似た感情。

「そう、だ。毛利家、を、守れずし、て兄上にみ、見せる顔など、ありはしない…」
「元就…?」
「ああ、兄上、元就をお許し、下さ…」

それが、あいつの最期の言葉だった。
あいつは最期まで毛利家に取り憑かれた人形だったわけだ。
あの戦の後、対象を倒された毛利軍は全て逃げ出し、俺達はついに瀬戸内の支配者の称号を今は勝ち取ることが出来た。
野郎共の喜びようは凄まじく、その夜は宴会が夜遅くまで続き、城下中の人間が浮かれていた。

けれど俺はどうしてもそれに馴染むことが出来ずに、一人静かに酒をあおっていた。
部屋の外では笑い声や叫び声が絶えず和やかな雰囲気になっているらしい。
俺は独り酒を味わいながら、ゆっくりと目を閉じ、昔の幸せだったひびに思いを馳せた。




(俺たちが勝利した日はそのまま、俺の大切な幼馴染の命日になってしまったのだ)




面倒臭くなったんだよねこれ…今考えるとすごくはずかしい…
ラスト本当面倒くさくなってるよね…
でも当時すっごい頑張ったのでもったいないからうp!



あきゅろす。
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