短編置き場
煙草と夢と 10
茶色のコートは、やっぱり私を守ってはくれなかった。もうすぐ日付を超えて、土曜日になろうとしている。案の定、タクシーは一台もつかまらなかった。
車のライトで明るい道路ではなく、私は自分の唇の煙草にぼんやりと灯る火を見つめていた。涙腺をおさえるためだけに。
いつまで待てばいいのだろう。待つことなんてしたくないのに。今は。たとえ、十五分でも。
白いスカイラインが、目の前に滑らかにすべりこんだ。助手席側の窓が、機械音をともなって開く。よくあるお誘いだ、と相手にしないよう心に決めた時、声が聞こえた。
「祥子?」
胸が、大きくなる。静かな、優しい声。
「――宏大さん……」
「乗って」
運転席から懸命に手を伸ばし、助手席のドアを開ける宏大さんを、私はきっと今までになかったくらい、強い視線でみつめていた。
開かれたドアからながれる、暖かい空気。
私はゆっくりと車に乗り込み、宏大さんを見つめていた。きっと、縋るような瞳で。宏大さんは、私に微笑した。
「ごめんな、迎えは要らないって言ってたのに、勝手なことして。いなければそれでよかったけど、心配だしね」
私は小さく首を振った。
「……あり、がとう」
泣き出しそうな自分に気付いた。
健雄のせいじゃなく。
「ありがとう、宏大さん」
宏大さんは、嬉しそうに笑った。
その顔が消えてしまわないうちに、私は宏大さんに抱きついた。痩せているけど、それでも私よりも広い胸に、背中に、私は力を込めて抱きついた。
必死の力で、抱きしめた。
だから、
お願い。
(――抱きしめて、つよく)
「……祥子?」
宏大さんの驚いた声を、無視した。
(このままでもいいと、代わりじゃないと)
(認めて……!)
壊れそうな私を、崩れ落ちてぼろぼろになりそうな私を、どうか、救って。
愛するから。
――あなたを、心から、愛するから……!
(強く、抱きしめて)
望んだ通りに、宏大さんはつよく、つよく、私を抱きしめた。
望んだ通りに。
――夢見た、通りに。
20090904再録
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