短編置き場
煙草と夢と 9
――背後で、ドアの開く音はしなかった。
あのひとは、待っている。ただひたすら。最高にずるいひと。そう……自信があったから。――否、自信があるから、今も!
私は決して健雄の胸を痛めつけることなんてできない。可視光線にもなれなければ、瞳をひきつけることも、決して、できない。
追ってなんて――来ない。
四年間も、健雄は時間通りに来続けたのだから。私が絶対に十五分前から待っているのを、知っていたのに……。
どうして気付かずにいたんだろう。
どうして。
――滅茶苦茶に泣きたかった。大声をあげて。囚われてた、健雄に。健雄に好かれる人間になることに、今の今まで、無意識に。――こんなに、変わってしまうまで!
「……直感も夢も、正しかったのね」
(今の私)
(ミキさんに、似ている?)
「あの日見た夢、正しかったんだ……」
――そうよ、夢の通りに色をつけた私は……代わりでしかないのに。あのひとは私を好きじゃない。愛さ、ない。
(私、ミキさんに似ている?)
見開かれた瞳、追ってこない健雄。
私の名前を熱っぽく呼んでみても、駄目。
――滅茶苦茶に泣きたかった。大声上げて、今すぐにでも、この場にしゃがみこんで、一歩も前に進めなくなっても、泣きたいのに。
だけどできない。できずにいる。二十二歳から創り上げた私が、それを許すことができないから。――できない、なんて!
こんなに変わってしまって、もう戻れない。
なかったことになんてできない。
ミキコの代わりでしか、ないのに――。
馬鹿みたい。馬鹿みたいだ!
私は立ち止まって、煙草に火をつけた。ゆっくりと煙を吸い込む。メンソールの心地よい刺激が舌に広がり、肺に沁みこむ。そして、喉の、微かな痛み。
白い煙が、風に飛ばされ、千切れる。
(あの時の匂いだ)
二十一歳の冬、幸せを砕いた匂い。
二十五歳の冬、後悔を招いた匂い。
――健雄との、別れの匂いだ……。
[*前へ][次へ#]
[戻る]
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!