三周年記念
13
***
「聖一様、面接希望者から履歴書が送られて来ましたが、ご覧になりますか?」
「いいよ。いつもみたいに小林がやっといて」
「かしこまりました」
一礼してから下がろうとすると、「ちょっと待って」と呼び止められ、どうしたのかと足を止めれば、少し考える素振りをしてから「どう思った?」と、聞いて来た。
「何の事でしょうか?」
「貴司とホテルに泊まった日に、会社の話したって言ったよね。小林は、また俺が無理矢理言う事聞かせようとしたって思ってる?」
「いえ、そのような事は……」
プライベートな話をされた記憶は正直殆ど無いから、内心少し戸惑いながらも小林はそう言葉を返す。
「いいよ、思った事言って」
「では……多少は思いました」
次の日迎えに呼ばれて行くと、立っているのも覚束ない程フラフラしている貴司の手首にクッキリ痕が残っていた。
胸がキシリと痛んだけれど、笑みを浮かべる貴司の姿にもしかしたら合意なのかもしれないと思う事にした。
「そう」
あれから三週間が過ぎ……貴司の姿は全く見ないが、聖一自体に特段変わった所は無いと思っていたから、上手く続いているのだろうと思っていたが違うのだろうか?
―――首を突っ込む物じゃ無い。それに……。
「あまり……手酷くされない方が良いと私は思います」
思案の途中でスルリと口から零れてしまったその言葉に、目の前に座る聖一が、目を丸くしてこちらを見た。
あと三日で退職だから、最後まで気を引き締めなければならないと思っていたのに、つい口にしてしまった苦言に内心酷く動揺する。
「失言でした。忘れて下さい」
深々と頭を下げ、退席しようと後ろを向くと、ククッと喉で笑う音がしてまた「待って」と呼び止められた。
「いいよ、気にしないで。小林がそんな事言うと思わなかったから、驚いただけで怒って無い。本当の事だしね。空気みたいに自然だったから、あんまり思わなかったけど……一番長く一緒にいたんだ。小林がそう言うなら、酷くしないようにするよ。それで小林……最後に俺から頼みがあるんだけど」
「何でしょうか?」
そんな言葉を掛けられるとは夢にも思っていなかったから、年甲斐もなく鼓動が高鳴るが、最後に来て失態ばかりは演じられないと思い直し、身体を主の方に向けるといつものように問いかける。
「兄の会社を退職したら、俺の会社で働いて欲しい」
「は?」
「まだ退役するには早いだろう?正直、お前が居ないと困る。分かった?」
「は、はい」
口の片端を器用に上げ、愉しそうに浮かべた笑みが悪戯っ子のように見え……呆気に取られて思わず言葉を返してしまった小林だが、我に返って再度問おうと口を開きかけたその途端、
「二言はないね」
と言って来るから、何も言え無くなってしまった。
「……微力を、尽くします」
こうなれば、何を言っても無駄な事は長い付き合いで分かっているし、何よりこんな年寄りが……まだ必要とされている事が、正直とても有難かった。
「俺が小林の事、人間みたいになったって言ったら、貴司もそう思ったって……小林が悲しそうな顔してたって言うから、何かの間違いだろうって思ったんだけど、居なくなっていいのかって聞かれて色々と考えた。貴司以外の人間の事、こんなに考えたの初めてだよ」
―――やはり、聖一様は変わられた。
「ここまで俺に言わせたんだから、死ぬまで働く覚悟しなよ」
「はい、出来る限り、お供します」
これ以上話していたら年甲斐も無く泣きそうだから、「行って良いよ」と聖一に言われ小林はホッと息を吐いた。
「失礼しました」
社長室を後にする。現状一つのフロアしかなく、少人数の会社だが……主が本気を出しさえすれば、すぐに大きくなるだろう。
―――まだまだ……想い出に浸るには早い。あと、もう少し。
手に持っている履歴書に貼られた写真を見ながら薄く微笑み、背筋をピンと伸ばした小林は、表情を変える事無く、いつものように歩きだした。
おしまい
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