* * * * * *
「おはよー」
「はよーっす」
夏服に身を包んだ奴らが、校舎へと歩いていく。ゆったりとした歩調でぼおっと歩く俺を、追い越していく。
グラウンドの朝練を終えたばかりの野球部の号令を聞いて、なぜだか少し、泣きたくなった。
「あっ、松本先輩おはよーございます!」
「おはようございます!」
その時、後方から俺を追い越していった後輩二人が、挨拶をしてきた。
サッカー部の1年だった。
「おう、おはよ」
それまで情けない顔をしてた俺は、なんだか慌ててしまって、とってつけた笑顔で応える。
いつもなら、笑顔なんか浮かべないのに。
その二人は、一瞬驚いたような表情を浮かべてから、何やら嬉しそうに頭を下げて、走り去っていった。
なんだ?と首をかしげるが、
「やっべーよ、松本先輩に笑って挨拶してもらえた!」
「田中たちに自慢しよーぜ!」
という奴らの声が聞こえて、自然眉が寄る。
なんて失礼な奴らなんだ。
俺だってたまにはこういうことだってあるっつの。
今日の練習ではキツいパスを出しまくってやろう。
そう考えて、そして、不意に思い出す。
森下が、あれから一回も部活に来ていないことを。
「……くそ」
最近は、本当に何をしてても、森下のことに思考がいっちまう。
苛立って、舌打ちをした。
あれから森下は、一度も部活に顔を出していない。
今は大事な大会前だ。
なのに部活に来ないなんて、周りからの反感を買うだろう。
以前なら、あいつの教室に怒鳴り込んで、無理矢理でも部活に連れていった。
だけど、あいつが部活に来てないのは、俺を避けてるからだってのはわかってる。
俺自身、逢っても気まずい。
だから、逢いになんか、いけない。
「……ほんと……バカ下……」
どうにもならねえ歯痒さに、俺は一人、唇を噛み締めた。
あの日、森下が縋るような、自嘲するような、泣きそうな笑顔を見せたあの日。
積み重なる胸の軋みに堪えきれなくなって、俺はあの日、初めて森下の前で、泣いた。
俺はずっとずっと森下が好きで、あの馬鹿以外ありえなくて、どうしようもなく好きで。
なのに。
『俺以外に、何人の男に抱かれてんの?』
何も知らねえ森下は、そう言って笑った。
悔しかった。悲しかった。
なんでわかんねーんだよ、そんな理不尽なことを思って、余計辛くなって。
(お前だから、だから抱かれてんだよ)
(他の奴になんか抱かれるわけねーじゃねえかよ)
(、お前が好きだから、だから、)
言えもしない言葉ばかりが頭を回った。
だけど結局、口に出すことなんかありえなくて。
辛くて悔しくて、俺は気付けば森下を殴っていた。
呆然としながら、俺は殴った森下の頬の熱さを、ただ感じていた。
『……痛いじゃん』
そう言って俺を見た森下の目は、ただ、冷たかった。
怒りもなかった、後悔もなかった、ただそこには、暗い歪みだけがあった。
ああ、こいつをこんな風にしちまったのは俺なんだ。
そう思ったら、もう、堪えきれなくて。
涙が、零れた。
森下の表情が、少しだけ強張った。
俺はそれを黙って見ていた。
ただ、そこかしこが、今までにないくらいに、痛んだ。
(好きだった、のに)
ただ、好きだったのに。
(傷付けたく、なかった、だけなのに)
お前のことも、お前が大切に想いを寄せる彼女のことも、何を犠牲にしても、傷付けたくなかったのに。
(なんで、こんな、)
もう、疲れたよ。
傷付けて傷付いて、また傷付けて、また傷付いて。
そんなことを繰り返して、一体俺たちはどこに行けるっていうんだ?
どこにも行けない、何も手に入らない、そんな日々を、どこまで。
『きら、いだ、』
そう思ったら、一つの言葉が口をついて出た。
それは、俺のただ一つの願望だった。
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