存在と無存在のハザマ シュークリーム 秀麿の部屋から、声がしている。開け放ったままのドアの間から覗いてみると、数人の制服姿があった。何やら真剣に話し込んでいる。 そういえば、来週、バスケ部の練習試合だったっけ。作戦でも練っているのかな。そっとドアを閉じようとしたとき、中から、声が届いてきた。 「あ、敏さん、お邪魔してます」 人懐っこい笑顔を向けているのは、確か、多田だ。お邪魔します、と言われても、僕は、この家の主でもなんでもないんだけどな。 「入ってこいよ。シュークリームがあるぜ」 秀麿も、こちらに目を向けた。テレビのリモコンを独占して、過去の試合のビデオをコマ送りで見ている。 僕は、ただの居候だし、部活の仲間でもないのに、どういうわけか、秀麿も、彼の仲間も、僕の居場所をいつも自然に空けてくれる。最近は、僕も、彼らの一員になることに、慣れてきた。 「だからさ、瞬発力よりも、持久力じゃね?」 「まー、相手にもよるよな。相性というかさ」 彼らの会話を耳にしながら、絨毯の端っこに腰を下ろす。早速、テーブルに手を伸ばして、誰かの差し入れらしいシュークリームを頂くことにした。 これがシュークリームか……。うまそうだな。 初めて手に取るそれは、拳ほどの大きさで、見かけよりもずっと重い。中にぎっしりクリームが詰まっているらしい。 僕は、この屋敷に来るまで、洋菓子など、食べたことがなかった。そんなものとは無縁の暮らしだった。 いい匂い……。 フォークはない。手で直接、食べていいのかな。 かぶりつくと、サクッとした皮の触感があって、とろみのあるクリームが口のなかに溢れ出てきた。甘さが口に広がる。 うまい……。 これ、すげーうまい……。 「だからさ、絶対、デカいほうが、攻めやすいって」 「そうかな。あんまデカすぎると、困らね?」 夢中になって食べている僕の耳にそんな会話が届いてくる。敵の身長?まあ、身長でも、ケーキでも、シュークリームでも、何でもデカイほうがいいような気がするけど。 自分が甘党であることに気付いたのは、秀麿の屋敷に住み始めてから。以前は、どんな物でも、食べられるだけでありがたく、味なんてどうでもよかった。常に腹が減っていたから、何でもうまかった。 おいしいものは、お腹だけじゃなくて、心も満たしてくれる。食べることを楽しめるなんて、本当に幸せなことだ。秀麿は、僕に食べる喜びまで与えてくれたのだ。 ホント、おいしいなあ、これがシュークリームかあ。こんな素敵なお菓子が世の中にはあったんだなあ。 甘さと幸せの両方を噛みしめながら、シュークリームを味わう。 そのうちに、指も、唇の周りも、クリームでべとべとだ。僕は、食べるのが下手くそだ。 指先についたクリームを意地汚く舐めていると、秀麿と目が合った。 会話には加わっていない彼は、いつの間にか、僕に向けて視線を寄こしていた。 どきっとする。嬉しさがこみ上げる。僕も、大した乙女だ。 首をかしげて視線の訳を尋ねるが、秀麿は、何かを告げてくるでもない。 何だろう?ヒデの奴、何で、そんなに見てくるんだ? 秀麿は、笑んだままの下唇の端を小さく噛んだ。意図せずに、僕たちの関係を、知らせてくる。こんなところで。 誰も知らないところで、絡んでくる視線。誰にも知られないように、密やかに絡ませ合う視線。 彼の目元には、ニヤニヤした笑みが浮かんでいた。 何か、ヤな目つき……。 僕は、舐めていた指先を、そろりと下ろした。 あいつ……、絶対、また、何か変なこと考えてる……。 「敏さんは、どっちッスか?やっぱ、デカイほうがいいっスよね」 いきなり、多田が振り返って、こちらに向いた。 はっ!? え、何が? 身長?シュークリーム? 慌てて、多田の顔を見る。 目の前に、飛んでくるものがある。びっくりして受け止めると、お手拭きだった。 「敏、拭けよ」 秀麿が、投げ寄こしてきたのだ。彼は、すでに、いつもの真面目な横顔に戻り、ビデオを見ている。慌てて、口元を拭う。 「敏さん、何で顔、赤くなってるんスか?敏さんって、もしかして、顔に似合わず、ドスケベとか……」 はあ!? 多田は、手にしたものをひらひらと翳す。見ると、グラビア誌。胸の大きな女の子の水着姿が目に飛び込んでくる。 うわおッ。 こいつら、何の話してるんだ? バスケットの話じゃなかったのォ? 「もちろん、巨乳派ですよね?」 多田は、真面目な顔で訊いてくる。 さっきから、真剣に、そんな話をしてたのか。さすが高校生。 「えっと、あっと、その、ナイよりはいいけど、別にどっちでも……。要は中身だし」 「またまた、ヒデと同じようなこと言って。ヒデのやつ、興味なさそうな面して、根は、すげースケベですからね」 そこは、僕もかなり賛同するところだ。大きく頷く。 「そーそー、ヒデは、エロい。超ド級のスケベ野郎。エロ星人の大統領……」 そう言いかけて、秀麿が睨みつけてくるのに気付いて、慌てて黙り込んだ。 みんなが帰る頃になり、僕も部屋を出ようとすると、秀麿が引きとめてきた。 「俺の部屋で待ってろ」 そう言い残して、みんなを見送りに玄関に向かう。 すごく嫌な予感がするんですけど……。 仕方なく、部屋に居残り、空いた皿を集める。箱の中には、まだ、シュークリームがいくつか残っている。 部屋に戻ってきた秀麿は、ドアを閉めると、いきなり、箱に手を伸ばした。シュークリームを一つ手に取る。 ヒデも、甘いもの、好きだからな。 食べるのだろうと思っていたら、そのまま、僕に近づいてくる。 どういうわけか、秀麿は、無言でにじり寄ってくる。僕は、壁際に追い詰められる。 え、え、僕、何かやらかしたっけ……? 「俺がエロいって?」 口元にイヤな笑みが浮かんでいる。 秀麿は、目の前で、シュークリームを握り込んで、潰した。シューが破けてクリームがあふれ出す。 わ、わ、何? クリームが垂れ落ちそうだ。秀麿の指先は、クリームに埋まっている。 何?何なの? 「お前、甘いもの、好きなんだろ?もう一個、食っていいぜ」 びっくりしている僕に、潰れたシュークリームを、差し出してくる。 何だよ、これ。どういう意味? これを僕が食べるの……? 冗談だろ? 僕が非難がましい視線を向けても、秀麿は、イヤな笑みを張りつかせたまま、シュークリームを口元に差し出してくる。 「遠慮なく、食えよ」 イヤだ、こんなの。 でも、秀麿は、本気でこれを食べさせるつもりらしい。空いた片手を、壁について、僕を逃がさないように囲っている。 仕方なく、シューから破れ出たクリームに舌を伸ばした。クリームを落とさないように、慎重に舐める。 秀麿の手を両手で持って、下から上へと、ソフトクリームを舐める要領で舐め始めた。 「うまいだろ?」 シュークリームは甘くておいしい。だけど、こんな食べさせ方、あんまりだ。 ねめつけるような視線で見られながら、彼の手のひらのなかのシュークリームを食べらされる。泣きそうになってくる。何考えてんだ、こいつ。 シューを全部食べ終えたところで、僕は、彼の手を離した。 もう終わっていいだろ? しかし、秀麿は、もっと舐めろと言わんばかりに、指を突き出してくる。 「まだ、残ってる。ちゃんときれいにしろよ」 仕方なく、クリームのついた彼の指を舐め始める。 普段は、バスケットボールと仲良しの大きな手のひらが、今は、こうやって、クリームにまみれ、それを僕が舐めらされている。 バニラの甘い匂い。 甘くて、そして……。 僕に耳元に、屈みこんでくる秀麿の熱い息。 気がつけば、僕は、彼の指を舐めるのに夢中になっていた。 彼の指にひたすら舌をまとわりつかせている。自分のしていることが、はしたないことだとわかっているのに、止められない。 指を口にくわえ込んで唇と舌とで存分に舐めてしまう。 秀麿が意地悪く耳元で囁いてくる。 「……シュークリーム食べるだけで、どうして、そんなにエロいんだ?」 ヒデのせいだろ……。 非難のかわりに、息が漏れてしまう。 指では足らない。 涙が眼に滲んでくる。 秀麿に、目線を送る。 ねだっているように見えるとわかっているけど、そんなの、もうどうでもいい。 秀麿は、僕の目を、満足げに見返すくせに、それ以上のことをしてこない。 わかっているくせに……。 たまらなくなって、彼の胸ボタンをはずしていく。 ボタンをはずす手は、覚束ない。うまくボタンをはずせない。 秀麿の目つきは、一段とイヤなものになっている。 「……俺より、お前のほうが数万倍エロいよな?それでいいよな?」 そんなはずないだろ……。 内心では抵抗するが、もう、歯向かう余裕などない。 ひたすら、頷く。 秀麿は、その手を、僕の口元から引き離した。かわりに、顔が覆いかぶさってきた。 やっと与えられる……。 前触れもなく、熱い舌は侵入してくる。 彼も既に余裕をなくしている。 エロいのは、どっちだよ……。 僕がエロいとしたら、ヒデのせいだろ……。 ささやかな歯向かいは、麻痺していく思考とともに溶けていった。 20100313 [*前へ][次へ#] [戻る] |