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Honey Flower(本編+SS)
1
 ただ、そばにいてほしかった。
 それだけ。

 それだけの、壮大な望み。






 ひんやりとした冬の風が、汗粒を浮かべた額を撫でていく。
 それが名前を呼ばれたような気がして、ふと顔を上げた。
 そこには、いつもの職場の風景が広がっているだけだ。

「芥(カイ)、ごくろうさま。お茶でも飲んでいかない?」

 背後から声をかけられて、その主をじっと見返してしまう。
 彼女はきょとんと目を見開いて「どうかした?」と、自分の背後を振り返った。

「いや、別に。何もない」

 返事を受けて、彼女はにこっと笑んで、俺の腕に抱えられた段ボール箱の中の白菜を、土に汚れた軍手で触れた。

「この白菜ってば見事でしょ。村に帰っても喜ばれること間違いなしよ。私の作品の中でも、傑作と呼べるわね!」

「確かに」

 彼女が言う通り、村の八百屋の親父が喜ぶ顔が、目に浮かぶようだ。
 そうでしょう、と胸を張ってから、彼女はコンクリートの床の上に置いたポットから、あちこちぼこぼこした個性的な形のカップに茶を注いでくれた。

 彼女が趣味で焼いたと言うカップは、何も入っていなくても土のぬくもりがつたわってくる気がして。
 勧められるとカップを手のうちに包んでみたくて、茶を入れてもらってしまう。
 両手でカップを包んで、たちのぼる湯気を吹く。
 白い蒸気は薄い水色の空に溶けて、淡く消えていく。
 ほんのりと甘そうな匂いがする。

 彼女も似たような形の、しかし唯一無二の形をしたカップを手に、白い息を吐いた。
 汚れた軍手を外した下の手は白く、薄い粉を吹いていた。

「このお湯わり、おいしいでしょ。うちでできたカリンで作ったの」

「カリン……?」

 これも知らないの? と彼女はころころ笑った。

 村に住みついて以来、こうして彼女のような農家を軽トラックで回っては、野菜を運んでいる。

 だが、こんな仕事をしているくせに、俺は野菜のやの字も知らない。
 野菜を食べたこともないのかと、八百屋の親父にはあきれられていたが、それには食べたことがある、と答えておいた。
 調理されたものを食べたことがあっても、原型を見たことも名前を聞いたこともなかったのだ。

 彼女はいつものように笑ったあと、俺の疑問に答えてくれた。

「可愛いピンクの花が咲いて、黄色い大きな実がなるの。早く飲んでみて」

 急かされて、口にする。
 匂いの通り、甘い。

「気に入りそう?」

「うん。甘い」

 甘いだけ!? と不満そうに唇を尖らせながら、彼女はポットのすぐそばから、片手におさまるガラス瓶を取り出した。
 スライスされた黄色の身が、何か粘度のありそうな液に浸されている。

「これは?」

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あきゅろす。
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