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聖王の御手のうち(本編+SS/完結)
1
 夢を見ていた。
 もっと小さかった時は、毎晩見ていた夢。
 目が覚めると、いつだって汗みずくになっていた。

“あの晩”の夢。

 僕はいつもの部屋で、絨毯に顔を押しつけられて、誰かの熱に体を貫かれていた。
 静かで、冷たい夜。
 でもこの部屋だけはいつも熱が高くて、何も着ていないのに暑さで視界が回っていた。

 あの晩の後、ほどなくして母が亡くなった。
 屋敷のバルコニーから、落ちたのだ。

 下はマーブル模様の床と同じ大理石でできていて、母の華奢な体が打ち付けられて無事でいられるはずもなかった。

「足を滑らせた」のだと父は説明をしてくれたけど。
 バルコニーには腰の高さまでの囲いもあって、どうやって“足を滑らせて”“落ちた”のか、僕には見当もつかなかった。

 だけど僕は、それ以上考えるのをやめた。
 優しくて美しい母を失ったことは、身を切られる辛さだったけど。

 同時に、明石も失踪してしまった時期でもあった。
 父は「血は争えない」と、また明石のお父さんを悪し様に罵っていた。

 父が、母は「足を滑らせたのだ」と言うのなら、それ以上の真実はない。
 同時に、僕には何かものを考えるという余裕がまったくなかった。

 荒い息の音と、自分の悲鳴じみた短い声と、それから水音。
 だんだん体が慣れてくると、どこをどう動かせば自分の悦い場所に当たるのかわかってきて、水音を耳にするだけで、体がぶるりと震えて熱くなるようになった。

 昼間、薄い水色の空に白くて端がちぎれたみたいな月が、ぽかんと浮かんでいるのを見ながら、震える腰を落ち着かせようと黒いウサギのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめて、時間が過ぎるのをただ待っていた。

 僕の体は、どんどんだめになっていった。
 藍色の空が来るまで、昼間をどう過ごしたら良いのかわからなくなっていた。

 明石が消えた“あの晩”屋敷に来た“みんな”は、明石がいなくなった後も毎晩やって来た。

 自分の部屋で眠っている僕を揺り起こすのは、決まって『アオイ』だった。
 誰かは知らない。
 アオイは若くて綺麗な女性で、いつもすんなりと伸びた細い脚が腿まで見えるような短いスカートを履いていた。

「坊ちゃん。お迎えに来たわよ。行くわよね? だって、明石の言いつけですもの。貴方もまた明石に会いたいでしょう? 言うことを聞いていたら、また会えるわ、きっと」

 こくんと頷いて、アオイの手を取って長い廊下を歩いた。
 屋敷の警備をどうやって解いているの、と尋ねたら、「対価を支払っているのよ」とあっさりした答えをくれた。

「坊ちゃんは、お父さまに言いつけたりしないわよね?」

 いつもの部屋で、“みんな”が僕を待っている。
 言いつけるなんて、考え付いてもいなかった。

 だって、言いつけたら“みんな”来なくなるでしょう?
 “みんな”来なくなったら、この体をどうしたらいいの?
 明石も帰ってきてくれなくなるでしょう?

 僕も待っている。
 明石が帰ってきて、このわけのわからない地獄から助け上げてくれるのを、じっと待っている。

 明石が帰ってきてくれさえすれば、すべて元通りになると信じていた。

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あきゅろす。
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