愛玩乙女
第10話 不穏な影
12月31日 20:00
「蜜、そろそろ出るよ?」
敬夜が、寝室の戸口に凭れて腕を組み蜜を呼ぶ。
「う〜、もうちょっと…」
後ろに手を廻し、一生懸命、背中のファスナーを上げようと、格闘しながら返していると、
「くすっ、やってあげる」
敬夜はそう言いながら中へと入り、蜜の指をそっと避けて、ファスナーを上げる。
「あ、ありがと…ぁんッ」
すると敬夜は蜜の項に唇を寄せて強く吸い、赫い花弁を浮き上がらせた。
「蜜はホントに学習能力ないね?」
意地悪な笑みを浮かべ、そう言っているのが聞こえるが、蜜は恥ずかしくて弱々しく頭を横に振る事しか出来なかった。
「…よっ」
「ぅきゃっ」
膝の裏と背中に敬夜の大きな手が回されたと思った瞬間、軽々と抱え上げられ、素っ頓狂な声を上げてしまう。
「あははっ、やっぱり蜜は面白いよ」
声をたてて笑う敬夜に、蜜は頬を膨らませ拗ねる。
そんな蜜に気付いたのか、笑いを堪えながら、意地悪にこう言う。
「あんまり椋れると、置いて行こうかな?」
そんな事を言われ、咄嗟に敬夜の首に腕を廻してしがみ着く。
「嫌っ、置いていかないでぇ…」
くすん、と鼻を啜り涙を浮かべる蜜に、ドクドクと敬夜の心臓の脈拍数が上がる。
―時々、こうやって無意識にやるから怖いんだよね、蜜って。
敬夜は心の中で苦笑してみせた。
「敬夜こっち!こっち!」
藤が丘にあるライヴハウスに着いた途端、二人に気付いた蓮がこちらに向けて大きく手を振りながら呼び寄せる。
辺りは人が溢れかえり、それを避けながら蓮の元まで行くのも一苦労であった。
「今日って楽屋あるの?」
「いや、まぁ、一応…?」
言葉を濁す蓮に、怪訝な顔を覗かせる敬夜。その二人の後ろを付いて行く蜜。
蓮を先頭に、事務所のある階段を昇り、そこのドアを開くと、暖かな空気と共に中はアルコールの匂いが充満していた。
「…酒臭っ」
敬夜は蜜の鼻と口を押さえ、直ぐさま悪い空気を吸わない様に塞ぐ。
「蓮、ちょっと窓全開にして」
そう不機嫌に蓮に頼むと、蓮はそこに設置してある窓という窓を開けていく。
途端に、真冬の冷たい空気が流れ込み、温かだった室内の温度を下げてしまう。
「ちょっと寒いですよ!敬夜さん!」
蜜の見知らぬ、少年と呼んでもおかしくない、あどけなさの残る男性が敬夜に抗議するも、敬夜が一睨みした瞬間、口籠っていなくなってしまった。
「…ふぅ、毎年思うけど、何とかなんないの?この宴会ノリ」
溜息を零し愚痴る敬夜に、
「仕方ないだろ、バンドサイドに取っては、こっちがメインみたいな物だからね」
蓮は苦笑いしながらフォローを入れる。
後から聞いた敬夜の説明に因ると、今日は年越しライヴなのだそう。
色んなバンドや、セッション(?)が出ていて、賑やかなものらしい。と、教えてくれた。
「むぅ〜〜っっ」
「あ、忘れてた」
口と鼻を塞がれて苦しくなった蜜は、敬夜の腕の中で疱く。
敬夜が手を離すと、
「…ぷ…はっ。苦しかったぁ」
そう言って、大きく部屋を埋め尽くす冷たい空気を吸い込んだ。
「ごめん、蜜。大丈夫?」
敬夜は蜜の前でしゃがみ込み、下から見上げる様に見詰め問う。
その姿はまるで棄てられた仔犬みたいで、蜜は何故か可笑しくて笑ってしまった。
「み〜つ?聞いてんだからさ、答えなよ」
「…ふぐっ」
敬夜の伸ばした手が蜜の鼻を摘み、蜜は変な声を出す。
「くすっ、蜜、変だよ?」
くすくすと笑いながら指摘する敬夜に、鼻を摘まれたまま口を「へ」の字に曲げ、不機嫌な表情をしてみせる。
その時、
「おはようございまっす!」
そう元気な声を上げて事務所のドアを開きながら入って来たのは、唯斗で、その後ろには京也と綾香の2人が続いて入って来た。
唯斗は、眼の前で繰り広げられている状況を見て、
「何してんの?敬夜と蜜ちゃん」
蓮に小声で尋ねる。
「…さぁ、何だろうね?」
眉根を下げ、苦笑しながら蓮は返した。
敬夜は蜜の小ぶりな鼻から指を離すと立ち上がりながら、
「じゃ、準備しようか」
と、そこに居る4人に告げた。
今日は、敬夜のバンドのライヴてはなくて、敬夜、蓮、京也、綾香、唯斗の5人でセッションを演ると、今、敬夜から聞かされた蜜は、さっきの事などすっかり忘れてご機嫌になっていた。
「ね〜、敬夜ぁ。出番何時から?」
唯斗が読んでいたスコアから視線を上げる事なく尋ねる。
「多分、カウントダウン前だから11時半からだと思うけど、何とも言えないよね?この状況じゃ…」
敬夜は唯斗の質問に答えながら、周りを見渡す。
再び締め切った室内には、アルコール臭が充満し、それを避けようと、出口から1番近いミーティングスペースを陣取ったにも拘わらず、楽屋から漂う臭いはこちらにまで流れ込んでいた。
「まだ時間あるけど、どうする?飯でも食いに行くか?」
京也が唯斗が読んでいたスコアを取り上げながら提案する。
「う〜ん。そうしよっか。荷物は此処に置いておけば大丈夫だし…」
「じゃ、車取ってくる。綾香も来るか?」
「ううん、此処で待ってる」
綾香は蜜の髪を弄りながら京也に返事すると、それを見ていた蓮が、
「蜜ちゃんに取られたな?」
今にも吹き出しそうなのを堪えて話す。
そんな蓮を一瞥して、不機嫌なまま京也は出て行ってしまった。
「京也もまだまだ子供だよねぇ?」
敬夜が呆れた様に呟くと、
「確かに」
蓮は堪えきれなくなった笑い声を上げながら、敬夜の言葉に同意した。
5人は近くのファミレスに向かったのだが、そこは既に人で溢れ返り、諦めて戻る事にする。
「何処もかしこも、考えてる事は一緒って訳…だね」
「…敬夜…」
敬夜と蜜は京也の車には乗らずに、二人で夜道を歩く。
蜜は敬夜の零した愚痴に反応し、声を掛けた。
「何?もしかして疲れた、とか?」
「違うの。私を連れて来て、敬夜の迷惑になってないのかなって…」
しょんぼりとなった蜜の、夜でも明るい髪を撫でながら、
「平気。蜜はそんな事心配しなくても良いんだよ?」
「でも…」
「『でも』は無し。あんまり言ってると、此処で犯るよ?」
元気付ける為、わざと意地悪く言ってみる。
蜜はプルプルと首を振り、
「意地悪っ」
抱き付きながら拗ねてみせた。
敬夜は蜜を抱き上げて、耳元に唇を寄せると囁く。
「僕こそ、蜜に迷惑掛けてんじゃないかって、何時も気にしてるよ?この前もあんな事があったばかりだし…」
「平気!この間はちょっと吃驚したけど、皆優しいもんっ。だから大丈夫。でも、ありがとう、敬夜が気にかけてくれて嬉しいっ」
唐突に見せた蜜の笑顔に敬夜は思わず、蜜に唇を寄せ重ねた。
「…んっ…」
途端に眉根を下げ、苦しそうな表情に変わる。
そんな姿も愛おしくて、何度も角度を変え彼女の唇を求めた。
長い口付けを終えると、名残惜し気に最後まで二人を繋げていた細い糸がぷつりと切れる。
蜜は恍惚な色を顔に浮かべ、力無く敬夜に躯を預けた。
「…蜜、やっぱり可愛いね」
そんな蜜に微笑みながら言い、敬夜は再度蜜の唇を塞いだ。
そんな二人の姿を、建物の影から様子を窺う人物が、敬夜と蜜に、危険を齎そうとは考えも尽かず、今は二人甘いキスに酔いしれていたのだった―――――――。
続く。
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