愛玩乙女
第11話 剥離
一月も半ばを過ぎ、そろそろ正月気分が抜け、通常の日々に戻り始めたある日。

「じゃ、行って来るね?」

敬夜はチャコールグレーのスーツに黒いコートを身に纏い、玄関先で見送る蜜に話す。

「はい、いってらっしゃい敬夜。お仕事頑張ってね?」

笑顔を見せて蜜は小さく手を振り見送るのを、敬夜は何時も、何かいいたげな表情を顔に浮かべ、それでも何かを吹っ切る様に2、3度微かに頭を振ると、いつもの柔らかな微笑みで

「行ってきます」

そう告げ家を出て行く。
蜜はそんな敬夜を不思議がりながらも、どうしても尋ねる事はしなかった。いや、出来なかった。

「…だって、私は敬夜に拾われた『お人形』なんだから…。そんな事聞いて嫌われたくないもの…」

悲しげに顔を曇らせ、今しがた敬夜が出て行った玄関のドアを見詰め呟いた。





「…また今日も言えなかったな…」

仕事先に向かう車の中、敬夜は独りごちる。

−いってらっしゃい。お仕事頑張ってね?

何時も小さく手を振り見送る蜜に、伝えたい言葉があるのに、どうしてか喉でつかえて上手く出て来ない。

たった一言。
それだけが言えずに焦燥感に囚われる。

『好きだよ』とその一言がずっと言えずに、それでも毎夜躯を重ねては交わった。
だからかも知れない。
順序が逆な今、蜜に上手く伝える術を知らないのだ。
自分から愛を伝えた事のない敬夜に取っては最大の難関であった。





敬夜は仕事場所から近い月極駐車場に車を停めると、シートに凭れ息をつく。

此処最近、毎日敬夜の出勤時間に合わせ現れる客が居るのだが、どうしても敬夜は、その客に何か怖いものを感じ、余り好意を持てないのだ。
それでも、金払いの良い彼女は、店に取っても敬夜に取っても、邪険にするには惜しい客なのであった。

「……ふぅ、…仕方ない…か」

重い息を吐き出し、覚悟を決めると、車から降り歩き出す。
殆ど目と鼻の先にある「velvet eden」という名前のホストクラブ。
そこが敬夜の勤務先であった。

「『上質な楽園』…か」

店に掲げられた看板を見上げ呟く。

敬夜がこの店に入った頃、自分をスカウトしたオーナーであり、不動のNO.1を貫いている東條 朔(トウジョウ サク)が熱の篭った語り口調で話していたのを思い出した。

「『velvet eden』って何でつけたかって?」

「はい」

「ん〜、アレだよ。ホストクラブってバンドと一緒で、別世界だろ?」

「…まぁそうですね」

「だから、お客さんに贅沢な楽園を提供する事によって、お客さんの心が潤えば良いなってつけた名前なんだよ」

「…はぁ…」

「だから『velvet』は上質で柔らかなって意味で、『eden』はまんま楽園って訳だ」

何か羨ましいとさえ思った。
そんなに情熱が注げるという事に。

僕はそれまでずっと呼吸をしているだけの『人形』だったから……。

だけど今は僕には蜜が居る。
それが永遠に続けば良いと願い続けている。

だから、それには『言葉』が必要なのだ。
たった一言。

「好きだよ、蜜」と……。



「敬夜さん、御指名入りました」

バックヤードで荷物を置き、フロアに出た途端そう耳元で囁かれ、ちらりとそちらに眼だけを動かす。
やはり彼女だった。
敬夜の視線に気付いたのか、笑いながら小さく手を振っている。

渋々といった感で、敬夜は足取り重く彼女の方へと歩き出した。

「いらっしゃいませ。遅くなり申し訳ありません」

敬夜は跪つき恭しく頭を下げると、

「そうよ。遅いわよ敬夜ってば。一体何してたの?」

唇を尖らせ拗ねた表情をした彼女、名前はミクと言ったか、敬夜に隣に座る様に促してくる。

「すみません。支度に手間取りまして」

隣に腰掛けながら再度謝ると、

「ホントに?支度で?」

ミクは明るい栗色の緩やかに巻いた髪を弄りながら、含みある顔で敬夜を見ていた。

―どういう…意味…だ?

思わず怪訝な表情を覗かせた敬夜に、ミクは甘える様な仕種で寄り添い、耳元で囁く。

「…敬夜、あの『お人形さん』可愛いわね?」

「!!!」

その言葉に驚き眼を見張る。
そんな敬夜に気付きながらもミクは話し続けた。

「あの『お人形』。敬夜のなぁに?」

「……」

「答えないの?じゃあ、あの『お人形』、私が貰っても差し支えないわよね?」

「……っ!!」

ミクのその言葉に、敬夜は思わず立ち上がる。

そこに居る全ての人間の視線が、一斉に敬夜とミクに向けられた。
クスクスと甘く笑うミクは舒に携帯を手にすると、どこかに架け出す。

「もしもし?そこから、その『人形』連れ出して」

冷たい声が敬夜の鼓膜に響く。

―『人形を連れ出す』…?

「…どういう…意味ですか?」

顔面蒼白になった敬夜に、依然笑顔を絶やさないミクが答える。

「敬夜にはあんな『お人形』必要ないでしょ?だから私が貰ってあげる。貴方には私が居るじゃない」

ミクを睨む敬夜をものともせず、「それにね」と話す。

「私、見ちゃったの。敬夜があの『人形』とキスしているトコロ」

その言葉に、敬夜の眼は大きく見張り、驚きの表情を見せる。

ミクはさも少動物をいたぶる様な冷たい視線で、

「だから、私があの『人形』を始末するの。貴方を私だけのモノにする為に」

敬夜を見詰め告げると、敬夜は次の瞬間には店を飛び出していた。

後ろから同僚達の声が追い掛けていたが、為り振り構わず愛車に乗り込むと、自宅に向かい走り出した。

「…み…つ、…蜜…無事でいてくれ」

祈る様に呟かれた言葉。

焦る敬夜を余所に、「velvet eden」に居たミクは、声をたてて、笑い続けていたのだった――――。


続く。

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