The last crime
4 BLANKET
元のアパート、つまり尭冶の住処に戻って、漸く気が休まる思いだった。
あんな場所は嫌だ。繁華街というらしいが、ギラギラした照明も、酒と煙草の匂いも、人の多さも、吐き気がしそうだ。
ソファーに座って、何となしにクッションを抱いて、長く息を吐いた。
「眠い?風呂入る?」
尭冶が訊いてきた。そんな事どうでも良いくらい疲れていた。
そのままソファーに横になる。
変な一日だった。変な、と言うか、異世界に来たかのような、そんな感覚。
見知らぬ場所で目覚めて、街を歩いて。
一日中、銃声も罵声も聞く事が無かった。殴られる事も。
こんな一日が、今まであっただろうか。
「…そこで寝る?」
困ったような尭冶の声。
視線だけ、上に向ける。
「良いけど…毛布、持って来ようか」
遠退く足音。
まだ、ここが現実だと、確信が持てない。
一人にされたら、夢から醒めそうな気がする。
夢が終われば、現実が待っていて。
また、始まる。あの日々が。
「尭冶」
「…なに?呼んだ?」
奥の部屋から返る声。
その声で、自分が名前を呼んだと気付いた。
無意識だった。
ややあって、毛布を持った尭冶が戻ってきた。
覗き込む顔が、用件を訊いている。
「…なんでもない」
答えるべき言葉を持たず、呟く。
毛布が、全身に覆い被さる。
彼はふっと笑って、その場に座った。
「なんか、思い出すな。君の元となった人にも、僕は毛布を運んだ」
「…」
「まだ小さかったから、引きずって歩いてさ。モタモタしながら掛けてあげて…。こんなにサッと掛けてあげられる日が来るとはね」
記憶を辿る様に、遠くを見る目。
「彼は…“俺はお前を殺そうとしてんのに、判ってるのか”って、僕に言った」
「アンタは殺されなかった」
尭冶は頷く。小さな笑みを湛えながら。
「彼は、困ったんだろうね。他人からそんなふうにされた事無かったから」
「…俺も困ってる」
言ってやれば、笑い声が返ってきた。
「やっぱり君は彼とは違うね。同じであって、違う」
「…当たり前だろ」
「言われると思った。彼も言いそうだから」
指摘されて、何だか癇に障る。
自分の知らない、誰か。自分の知らない、自分。
「どういう所だったの?今まで、見てきた世界は」
唐突に出された質問は、息を詰まらせた。
話したくない。どうして、こんな他人に。
思い出したくない。まだ、夢の中に居るのだから。
「…言いたくないなら良いけどさ」
早々に諦めてくれた。少し呼吸がまともになる。
「痣だらけだったね。着替えた時、見ちゃった」
「…だから?」
「別に、それだけ」
言って、立ち上がる。
「おやすみ。朝は僕まだ起きてないだろうから、気にしないで。有る物適当に食べて良いよ」
それだけ言い残して、気配は扉の向こうに消えた。
感情を持ってはいけない。
兵器である以上、命令には従順でないといけない。
己で必要以上の思考をする事は、許されない。
だから、何も知らなければ、良かった。
感情という雑音から、耳を塞いでおけば良かった。
でも、それは出来なかった。
俺が人間だから?
人間の手から作り出された機械と同じ――なのに、俺は人間の感情を持っていた。
それが、過ちだった。全てを狂わせた。
俺がニンゲンになるのを恐れて、人間共は、俺に感情を持たせまいと躍起だった。
笑う事、泣く事は勿論、命令以外で喋る事も禁じられた。
この数年は、声を発する事も、何かを意思的に見る事も、表情を動かす事も出来なかった。
禁を破ると殴られた。鞭打ちにされる事もあった。
人間の言う事を聞く、殺戮人形――それを、演じるより無い。
己の中に、復讐心を育てながら。
それでも、いつしか、自分が人形なのか、人間なのか、それ以外の存在なのか、自分でも判らなくなっていた。
それは正しく、奴らの望むモノだっただろう。皮肉もいいところだ。
だから、今が信じられない。
破壊されたと思っていた。
なのに、俺はまだ生きていたから――
この温い世界から、醒めたくない。
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