RAPTORS
1
相変わらず馬車はゆっくりと動いていた。
「日が暮れてきたな」
誰にともなく隼が言う。
夕日は、黒々とした山の向こうに熔けようとしていた。
東から闇が追う。
少し前に、馬車は街に入っていた。それがどこのどういう街かは、黒鷹にも隼にも判らなかったが。
その街は閑散とし、物音一つ無い。
馬車の音だけが、カツカツ、ゴトゴトと響く。
それでも暗くなれば、いくつかの家に灯が燈った。
「あー…腹へったぁ…」
黒鷹が呻く。
今日一日、食事らしい食事が無かった。
途中の森で茘枝が見つけた木の実と、非常食の干し飯、そして沢の水しか口に入らなかった。
いくら動かないとは言え、空腹も無理は無い。
「もうちょっと待ってね。確か、この辺だから」
茘枝は何気なく言う。
「え?」
彼女の言葉を聞いて、黒鷹の表情が嬉色に満ちた。
「今日、どっか泊まれるの!?」
「あれ?野宿するつもりだったの?」
「却下。…でも、何処に泊まるつもりなんだ?この街で宿なんか一度も見なかった」
隼が言う。
「ん、まぁ知り合いが居てね…ああ、止めて阿鹿」
後ろの二人の疑問を余所に、馬車は止まった。
見れば、少し大きいが普通の家。
「…ここ?」
「そうよ。ちょっと待ってて」
茘枝は馬車を降り、家の扉を叩く。
程なく、扉が開いた。どんな人物が開けたのか、黒鷹達には見えなかった。
その人物と何か言葉を交わし、彼女は馬車に向かって手招きをする。
後ろに座っていた二人は、一度顔を見合わせ、素直にそれに従った。
隼の肩に黒鷹が右腕を回し立ち上がる。
それでも黒鷹は痛そうに顔をしかめた。
「…大丈夫か」
馬車を降りただけで顔色の悪い黒鷹。
それを気遣った隼に、黒鷹は頷いただけだった。
玄関脇の椅子に黒鷹を座らせ、改めて隼は茘枝と話していた人物を見る。
優しそうな、中年の女性だった。
誰だ?という目を茘枝に向けると。
「ああ、紹介するわ。鶸のお母様よ」
…呆気にとられた妙な間が空く。
そして黒鷹がぽつりと。
「…また?」
隼参照の事。
ダシにされている女性は、困った様な笑いを浮かべている。
「茘枝様、ご冗談はそのくらいにして頂けませんか…」
「ああ、ゴメン。こちらは華南(かなん)。本当は鶸の親代わりをしていた人よ」
「あのう…」
更に困った様に彼女は声を出す。
“親代わりなど恐れ多い”と言いたげだ。
正確には、鶸の身辺の世話をしていた人だ。
「――それで、こっちは王子の黒鷹。黒ちゃんって呼んであげてね」
「おーい、テメェじゃねぇんだから。初対面でそんなの呼べるかっつーの」
「…で、このうるさい色付け前の人形は隼。王子の側近よ。いちおう」
最後の四文字の強調に、隼は言葉を失う。
華南はやんわりとした笑みで二人に礼をした。
「お目にかかれて光栄です」
「いやぁ…そんな大層な人間じゃねぇよ…」
「いえいえ、王子は雲の上の方ですから」
「でも鶸は…」
「ええ、鶸様もそうでした。まさか私の様な者がお世話出来るとは…。…こんな所でお話するのも何ですから、どうぞ中へ。お食事が出来ていますよ。――羅沙(らさ)!」
彼女は奥に向かって誰かを呼んだ。
現れたのは、長身の青年だった。
「息子の羅沙です」
軽く礼をする彼に、二人も同じ様な礼を返す。
「無礼かとは存じますが、どうぞお許し下さい」
様子を見ていた母は、息子を諌める様に言う。
「さ、黒鷹様を中へ」
「…へ?」
華南の言う意味が理解出来ず、キョトンとする黒鷹。
それに構わず、羅沙は黒鷹の前にしゃがむ。
…それを理解するのにも彼はしばらくかかった。
「乗らねぇんスか?」
肩越しに振り返って彼が訊く。
「…負ぶわれんの?俺」
「だって、折れてんでしょう?足」
そこまで言われて、渋々彼に覆いかぶさる。
ひょいと彼は立ち、歩き始めた。
「重くねぇ?」
「全然。…軽すぎて心配だな。ちゃんと食べてんスか?」
「いやー…今日は特に酷くて」
「王子なのに」
「王子も今は大変なんだって」
「ふうん」と、彼はさして興味も無さそうに言った。
そんな事を言っているうちに、廊下の突き当たりに着いた。
華やかな扉があり、羅沙がそれを開ける。
中は、一連の家具が揃った部屋。
「ここがアンタの部屋」
素っ気なく言って、黒鷹を寝台に降ろした。
机を寝台に引き寄せ、部屋を去ろうとする。
「置いて行くのか?」
「寂しいのか?」
「…別に」
少しムッとして黒鷹が応じる。
呆れた様な視線を隠しもせず、羅沙が言った。
「食事取って来ます」
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