RAPTORS
8
遠く。
隼の背中が見えた。
天の兵に両脇を固められて、引き連れられて行く背中が。
追い掛けても、追い付かない。
ただ、声だけが届いた。
“お前は生きろ”と。
嫌だと声の限りに叫び返したかった。
しかし声にならぬまま。
斬首台。
歓喜する人々。
俯く隼の白い髪が地面に垂れる。
その上に、銀色の鈍い光を放つ、刃。
やめて、待って。叫んでも人々の歓声に掻き消される。
そこに居るべきなのはアイツじゃない、俺だ――誰にも、届かない。
隼が、すっと面を上げて。
春の日差しの様な、柔らかな微笑を浮かべて。
黒鷹だけを見て、じゃあな、と。
声は聞こえなかった。でも確かにそう言った。
次の瞬間、頭上の刃が落ちてきて――
「やだああぁぁぁ!!!」
叫んで、身を起こす。
有りったけ吐いた息を吸って、気付く。
自分が寝台の上に居て、ここは天幕の中だと。
だが、どう見ても見慣れた地の天幕ではない。
「…そっか」
気を失う前の事を思い出して、漸く自分の状況が薄々解ってきた。
敵に囚われたのだ、と。
だが、そうなら。
恐怖に近い不安が胸を渦巻く。
先刻のあれは――現実?
「隼…!!」
黒鷹は寝台を飛び出し、誰も居ない天幕を出た。
出口に居た見張りらしき人物に飛び付く。
「隼はっ…!?どこだ!?どこに居る!?」
黒鷹の剣幕に驚いた兵は、隣の天幕を指差した。
考える暇も無く、黒鷹は天幕に飛び込んだ。
「隼!!」
鶸が驚いた顔でこちらを見ている。
今度は鶸に飛び掛かった。
「隼は!?」
「こっちだ、馬鹿」
鶸が答えるより先に、背後で声がした。
振り向くと、寝台の上に夢と同じ顔がある。
尤も、笑ってなど居ないがその代わり。
「く、首…くっついてるぅぅ!!!」
「当たり前だ阿呆!!」
大仰に感激する黒鷹に当然の罵倒。
ただ、大声を出した代償に咳込む事になる隼。
「わ、ごめん…!!」
慌てて黒鷹が駆け寄る。
苦しい息をしながら間抜けな顔を一睨みし、隼は体勢を仰向けに直した。
その肩に、重みがかかる。
黒鷹が額を押し当てている。
「…何だよ」
「死んじゃったかと思った」
「勝手に殺すな」
「だよな。…変な夢見てたんだ」
「お前の夢の事なんか知るか」
だって、と黒鷹は言葉を詰まらせる。
「…隼が、あんな事言うから」
何の事かは何となく察しがついた。
軽く溜息を吐いて、気怠く腕を持ち上げる。
黒鷹は、頭を覆ったものが隼の手だと気付き、漸くあれは夢だったんだと実感した。
嘘の様に不安が霧散する。
安心した上に、心地好くなって、更に懐に入ろうと頭を動かすと。
軽快な音を発てて頭を叩かれた。
しかも頭を置いた場所は骨張っていて、二重に痛い思いをした黒鷹。
「重いんだよ黒ブタ!!」
ついでに罵倒もついてくる。
「お前は骨出過ぎなんだよ…。いてぇ…」
調度、額に鎖骨かどこかが刺さったようだ。額を押さえて呻く。
「ガリとデブ?」
そしてまた鶸が要らん事を言い。
「…ぃでっ!!」
黒鷹に渾身の力で殴られる事になる。
先刻までの甘い空気もどこへやら。
「ったく…。ただなクロ、言っておくがその夢、もうすぐ正夢になるかも知れねぇぞ」
「…え」
隼の言葉に鶸の首を締める体勢のまま凍った。
…鶸はたまったものではない。
「ちょ…おま、ぐるじぃっ…!!」
ばしばしと黒鷹の腕を叩き、漸く解放して貰えた。
自業自得ではあるが。
一方、黒鷹はそれどころではない。
「お前が…処刑されるって…事か…!?なんで」
「まだ寝呆けてんのか。この状況、解ってんのか?」
「呆けてねぇよ!!…天に捕まったんだろ?俺達」
自分で言った言葉にはっとする。
「…処刑されるのか、俺達」
隼は黙ったまま天井を睨んでいる。
否定の声をあげたのは、鶸だった。
「んな事ねぇよ!縷紅がお前ら助ける為にここへ連れて来たんだぜ?どうして助けたのに処刑するんだよ」
「…そうなの?」
素直に信じかけたところへ。
「どうして処刑しないって言い切れんだよ?大体、あのヤロウ信じる方がどうかしてる。アイツは敵だろうが。それも天の王の右腕だ。助けなんかしない。お前を騙して連れて来ただけだ」
「…そう…だよなー」
感化され易い黒鷹。
「何だよその緊張感の無い相槌は」
間延びした「なー」を隼に突っ込まれる。
「なんか考えるの疲れた。どっちでも良いや」
「良かねぇだろ」
二人にビシリと言われるが、黒鷹は隼の枕元に顎を置いてヤル気の無い体勢。
「だぁって、いくら考えても決めるの俺達じゃないしぃ。なるよーにしかならないしぃ。処刑されてもしょーがないしぃ」
「いちいち間延びするな!…処刑されても仕方ないだと?」
叱ってから、肝心な言葉に気付く。
「違う、俺“しょーがない”って言った」
「どっちでも同じだボケ!!大体、仕方ないで済む話じゃねぇだろ!!お前達の処刑は絶対にさせない。俺が罪被るからお前は…」
「だからそれが出来ない話なんだよ」
「…あ?」
「お前一人犠牲にするくらいなら、俺も処刑された方がマシなんだ。…後で死ぬ程辛い思いするよりは、お前と同じ場所、同じ時間に死ぬ方が良い。身勝手でも無責任でも、俺はそうする。それだけの自由は有るだろ」
「……」
「お前が怒っても、俺を見限っても、無駄だからな?もう決めちまった」
言い切ってから黒鷹は、布団の上に頭を倒し、もぞもぞと心地好い態勢を探る。
片腕を腕枕にし、手の甲の上に頬を乗せる。下手をするとこのまま寝てしまいかねない。
それを至近距離で見させられている隼は、言葉を継げないまま黒鷹の頭を凝視していた。
尤も、頭を見ているのではなく、その中身で繰り広げられている事を見たいのだ。
どこまで、その言葉が本気なのか。
どうすれば撤回させられるのか。
受け取りたいように受け取って良いのか、それが本意なのか――
「鶸、お前はどうする?」
黒鷹が訊いた。
「どうするって――」
「俺達が処刑される事になったら。お前はどうなるか分からないけど…でも、逃げるなら今だ。警備も少ないし」
鶸は不満で顔全体を塗り替えて、二人の元に行き、黒鷹の隣に座った。
「俺だけ仲間外れかよ。こんな時に」
「遊びじゃねぇんだぞ」
「解ってるよ。何回目だよその台詞」
鶸は少し黙って、きっぱりと言った。
「逃げるなんて選択肢は俺には無いからな。お前らの天国までのランデブーを邪魔するようで悪いけど」
その時、鈍い音と共に鶸の世界が揺れた。
後頭部がじんじん痛い。
「いっ…てぇな隼!!何だよいきなり!!」
要は調度良い場所にあった鶸の頭を、隼が思い切り膝蹴りしたのだ。
「あぁ、何かお前の頭がヘンだから治してやろうかと思って」
しれっと隼。
「え、馬鹿なのは元から…」
「違う、悪い菌でも入り込んでんだろ」
「…おぉお前らなっ!!」
「そうか馬鹿は治らないもんね。でも、ま、俺はランデブーでもハネムーンでも良いぞ?」
「やめろ」
「…クロは殴らないんだ」
「殴ろうか?」
「ひ…鶸っ!!余計な事言うなよぉ!!」
拳を作った隼が、堪え切れず吹き出す。
黒鷹と鶸も笑いだした。
三人で笑って、笑いまくって。
「…っとに、馬鹿だな俺達」
隼が言った。
「こんな事してる場合かっての」
「ま、良いんじゃない?他にする事無いんだし」
「楽しけりゃ良いんだよ。今を楽しめー!!青春だぁーっ!!」
「お前が一番馬鹿」
叫ぶ鶸の後ろ頭を黒鷹が笑いながらこずく。
笑い声。笑顔。ぬくもり。
ここに仲間が居るという事。
場所なら何処でも良い。これが還るべき場所なのだ。
何にも換え難い、永遠の居場所。
「俺達、死んだらどうなるんだろうな」
口元に笑みを残したまま、黒鷹が問う。
「曝し首?いやーん恥ずかしいー」
「気持ち悪いんだよお前!死んだら恥ずかしいも何も無いだろ!!…そうじゃなくてさ、あの世とか有るのかな、って」
再び鶸の頭を叩き、黒鷹は言った。
「あの世が有れば、ずっと俺達一緒に居られるだろ?」
恥ずかしげも無く言ってのけて、隼を見る。
「…俺に振るのかよ」
「だってこの馬鹿頭に答え求められないじゃん」
「うわっ、ひっど!!」
馬鹿頭は確かに酷い。事実だけに。
「あの世なんざ、無ぇよ」
隼はそう言ってのけた。
「無いの?…だって、緑葉が待っててくれるんじゃねぇの?」
黒鷹の言葉を遮って、隼は乱暴に言った。
「死んだら意識が無くなるだけだ。光も時間も無い。何にも無くなる…当たり前だろ」
「…退屈そう」
「だから時間も無いっつってるだろ。退屈なんて考える事も出来ねぇよ」
「…つまんない」
「だから…」
言いかけて、これ以上の説明は諦めた。
黒鷹は唇を尖らせて続けた。
「お前達の事も、忘れちまうのかな」
「だろうな」
もう適当に相槌を打つ事にした隼。
「もう会えなくなるんだな」
「ああ」
「ずーっと、ずーっと、会えないんだな」
「……」
「本当にお別れなんだ…」
「…あのな」
痺れを切らした隼。
「俺だって本当に死んだ事有る訳じゃねぇから、知らねぇよ本当はどうなるかなんて!!」
黒鷹は、にぱっと笑った。
「あの世、あるかも?」
「かもな」
「緑葉が待ってるかも?」
「かもな」
「俺達、また会えるかも?」
「…かもな」
『かも』がゲシュタルト崩壊寸前である。
「なら、良し」
「なんだそれ」
隼が軽く笑ったところへ、横から食い気の塊が口を挟む。
「天国ってご馳走あるか?肉あるか?」
「知るか」
「有るよな!!」
「いや、知らないし」
「なら、良し」
「聞けや」
黒鷹の口真似をしてもサマにならない。
「ほんっと…」
寝台から呆れ声。
「お前ら馬鹿」
「あ、今度は自分棚上げしたな」
「そうだよ俺達仲間じゃん!!」
「馬鹿仲間は願い下げだ…ってか勝手にやってろ」
「まぁそんな事言わずにー」
下から二人においでおいでと手招きされる。
気持ち悪い事この上ない。
「ああーうぜぇっ!!お前らさっさと処刑されちまえ!!」
「何だよさっきは自分だけ処刑されれば良いっつってたのに!!」
「お前らなんかと仲良く死にたかねぇだけだよ!!」
「なんでー!?仲良く死のうよー!!」
突如、外から笑い声。
三人は一斉に視線を向け、口を『あ』の字にして固まる。
視線を集めたのは、かつての仲間である縷紅と――
「…緇宗…だな?あんたは…」
唯一、顔を知る黒鷹が問う。
愉快そうに彼は頷いた。
「いかにも俺が緇宗だ。以後よろしくな、お笑いトリオ君たち」
「誰がお笑いだ」
隼が顔を顰るが説得力がまるで無い。
「さて、俺は地の王とその取り巻きに話があるんだが?」
いかにも、そいつらを出せと言わんばかりの口ぶり。
「居るだろ、ここに」
「どう見てもそこに居るのは『黒い子犬と愉快な仲間達』って感じなんだが」
言われた子犬がきゃんきゃん吠える。
「犬でも無いし愉快でも無いし!!」
「ついでに仲間にもすんな」
愉快な仲間も釘を刺すのを忘れない。
しかし、裏切り者が。
「なんか芸名貰っちまったな!!やっ…痛っ」
やったー、とは当然言わせて貰えない。
「お楽しみのところ大変恐縮ですが」
縷紅がやんわりと口を挟む。
「我々はこの戦を終わらせねばなりません。それに当たって、停戦条約を結びたいと思うのですが、話し合いに応じて頂けますか?」
三人とも、一気に顔を引き締める。
黒鷹が立ち上がって、言った。
「勿論、応じない訳にはいかねぇだろ」
鶸、そして隼に視線を移し。
互いに頷いた。
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