RAPTORS
14
黒鷹はすぐに鶸に追い付いた。
鶸もそれに気付いてはいるのだろうが、進む足を止めなかった。
早足に、黙々と歩く。
それを追いながら、無口な鶸なんて懐かしいな、と黒鷹は思った。
出会った頃は、押しても引いても表情一つ変えない面白みの無いヤツだという印象だった。
今では信じられない程だが。
ただあの頃は――そう、あの事件のあった前後だ――仕方なかっただろう。
己の父親が捕まり、乱心者とされ、断罪されたその経緯を、鶸は見ていた。
その最中で黒鷹と出会った。
にこりとも笑えない、無愛想なヤツだと思われても、鶸にはそんな余裕など無かった。
刑場に、父親の首が転がった時の、鶸の顔が忘れられない。
泣きもしなかった。
驚いてすらなかった。
ただ、地を見詰める目と、僅かに開いた口。その奥に。
なにか、真っ暗なものを見た。
絶望――だろうか。
その後も、鶸は泣き顔など見せなかった。
代わりに、徐々にだが笑う様になった。何か吹っ切る様に。
それで、黒鷹が知る今の鶸になった。
だから――今、黙々と歩く鶸の顔は、あの刑場での鶸を思い起こさせる。
黒鷹は何も言えずに、ただ鶸に付いて歩いた。
背中に薄く、寒いものを感じながら。
城の跡地を越えて、元々城のあった裏側にまで来て、鶸は足を止めた。
大人の背より少し高い木が今も生えている。
それを手掛かりに――黒鷹はここがかつて何の場所だったかを思い出した。
十年ほど前、ここで人だかりに揉まれ歩むに歩めずに居た所で、自分と同じくらいの背格好をした少年と出会った。
子供が居る場所ではない。己を棚に上げて事情を聞けば、思い詰めた、暗い表情で彼は答えた。
今から殺される父親を、助けたいのだと。
手を貸してくれと言われた覚えは無い。
だが黒鷹はその少年――鶸を、手伝おうと心に決めた。
そもそも、同じ目的で黒鷹もその場に居たのだから。
人が集まり過ぎて騒ぎになり、結局その日、刑の執行は行われなかった。
改めての執行の日時は知らされず、二人がその機密事項を何とか探り当てた時には、
もう、手遅れだった。
その全てがあった場所。
鶸の絶望が渦巻く、この場所。
「…無力…だったな、俺達」
黒鷹は残された木を見詰めながら呟いた。
結局、全て消えた。国も、城も、刑場も。
記憶だけが、この場所に埋もれた哀しみを繋ぎ止める。
「あの時、助けられたら…何か変わってたかな」
「そんなの無理だった」
黒鷹の虚しい呟きを、鶸は考える余地も無く否定した。
厳しい目で前を――虚空を見ている。
斬首台があった場所だ。
鶸の目には、まだ、見えているのだろうか。
「…何にせよ、あんな馬鹿な事した親父が悪いんだ…。解ってるけど…」
言われて、黒鷹は漸く、鶸の笑顔の裏にあった想いを知った。
そうやって、無理矢理己を納得させていたのだ。
前を向いて歩くしかないと――生きていくしかない、と。
鶸は、よく知っているから。
「華南とかがな、俺は母親似なんだって教えてくれた。目とかそっくりなんだって」
急に話題を変えた鶸を驚いて見遣る。
彼はその場に屈んで地面に視線を落としていた。
「俺はその顔を知らない。俺が二つか三つの頃に死んだんだって。親父達は病気だって言ってた。でも、街に遊びに行くようになってから、噂、聞いたんだ」
憎い程にうららかな陽光が、鶸の影を丸く、小さく描いていた。
「本当は…根の人間に殺されたんだって」
黒鷹は目を見開き、黒く蟠るその影を見詰めた。
「親父が言う事聞かないから、見せしめに殺しちまったのかもな、もしかしたら」
「…でも、鶸…」
「噂だよ」
鶸は黒鷹を見上げて、目を細めた。
噂でしかない、事実かどうかなんて確かめようが無い、今更真相を知ろうとは思わない、だけど――
だけど、俺の中では真実だ。
真実にするだけの事実を、鶸は知った。
「まさか隼の母さんだったとはなぁ。手が出せねぇや」
はは、と力無く笑う。
「鶸…」
「どうしよう、クロ」
再び俯いて、しかし口元の笑いを残したまま、鶸は言った。
「どうしよう…。ここであった事、俺、忘れるの無理みたい」
「……」
「忘れようと頑張ってきてみたけどさ。はは、本当にボケちまわないと無理だよな、そんなの。…出来ねぇよ…」
疑惑が。憎しみが。やるせない感情が。
渦巻く。この場所に、影を落として蟠る。
それで、笑っていられるだろうか?
笑いながら憎悪と手を結ぶ事など。
「…でも、ここには何にも無くなっちまったんだよな」
屈んだまま、顔を起こして、茶色い土が広がる空き地を、苦しい顔で眺めた。
「過去なんか綺麗さっぱり洗い流さねぇと…ここに新しい国なんか作れねぇもんな」
黒鷹も、首を巡らせてその荒野を見、眉間に皺を寄せて目を細めた。
確かに何もかも燃えて、流されて、消えていった。
だけど、本当に何もかも消え去ったか?
黒鷹は、ここが城の裏口で、ここが俺の部屋で、ここがよく遊んだ場所で――と、脳裏に像を描く事が出来る。
消えてはいない。まだ。
消し去る事が出来ないのと同じで。
辛かった事も、楽しかった事も。
「俺達は、まだここに居るよ、鶸」
全て、心の内に残っている。
自分が自分で居る限り。
「まだここに居て…少しは何かを変えられる様になったんだ。あの時、誓った様に」
強くなる、と。
「でも俺達は俺達だ。根っこは何も変わってない、だろ?…お前がいつまでも許せない物を許せなんて、無理だろ。そんな事させない」
「クロ…」
「出来ない事を、無理にお前にやらせる気は無い。そんな事してたら、国作っても歪んじまうよ。…だったら」
俺が代わる、と。
黒鷹は言った。
そして笑った。
「代わるんじゃねぇな。預けてたモン返して貰うだけだ」
鶸は目を丸くして、黒鷹を見上げていた。
「それって…」
「大体、お前は王様ってオツムじゃねぇもんな」
「………」
鶸は口をあんぐり開けて。
「…………おいコラ」
「だって事実じゃん」
「違ぇよ!!俺は今まで頭に何も入れる機会が無かっただけで、今からバシバシ入るんだよ!!お前なんかの倍は偉くなるんだよ!!」
「んなの不可能だろうがっ!!お前の頭に訊いてみてから言えっそんな事は!!」
「俺の頭は入るっつってるよちゃんと!!俺様の頭を見くびるなよ!!」
「その物言いが頭悪いんだよ!!っつーかお前に勉強なんざ出来る訳無ぇだろ筋肉馬鹿が!!」
「おまっ!!この華奢でカッコ可愛い俺のどこが筋肉馬鹿だよ!?ちゃんと目ェ付いてんのかぁ!?」
「こっちの台詞だよそりゃ!!お前はただ背の低いチビガキだろーがっ!!」
「てめぇに言われたかねぇよ!俺より低い癖に!!」
「女の子と比べてんじゃねぇよ!!」
「お前は女の子に入らねぇんだよ!!チビ!!チビクロ!!」
「バカ鶸!!チビマヌケ薄らバカ鶸!!」
「おま…言ったなぁ!?」
どれが鶸の琴線に触れたかはともかく、とうとう取っ組み合いの喧嘩になり。
組み伏せられたのは、鶸の方だったりする。
「やっぱり俺の方が強いな!」
鶸の尻の上に座って、踏ん反り返る黒鷹。
その下で鶸の手足がもがいている。
「おま…見た目の割に重…」
「なんか言ったか?」
ぐえ、と鶸が呻く。
「わかっ…から、も…ゆるしてぇ…」
「しょーがねぇなあ。意気地無しめ」
勝てば官軍。言いたい放題。
黒鷹が弾みを付けて立ち上がれば、もう一度呻き声がした。
すぐには立ち上がれない様子で、ずるずると寝返りを打ち、やっとの事で仰向けになる。
とりあえずはそれが精一杯の様だ。
「情けねぇカッコ」
「誰の所為だよ…もお…」
「隼に当たるなよ」
「当たらねぇよぉ。返り討ちが目に見えてるし」
黒鷹は満足そうに笑って、鶸に手を貸した。
その手を握り返して鶸は立ち上がる。
鶸は膝の土埃を払い、黒鷹は背中を同様に払ってやった。
ついでに頭をはたくのも忘れない。
「ちょ、関係無ぇだろそこ!!」
「あぁごめん、手が滑った」
な訳無ぇだろとブツブツ言いながら、鶸は頭を起こす。
その動きが、止まった。
「…どした?」
黒鷹は鶸の背中の向こう――鶸の凝視する先を見て、口を開けた。
二人のよく知る人物が、そこに居た。
「…茘枝!!」
茘枝は一人、疲れた顔で、手を挙げて応じた。
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