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RAPTORS


 鋭い月が闇夜の天空を裂いている。
 同じくらい鋭い刀身に、細くも強い光を映した。
 月の光を邪魔する物は何も無い。
 静寂と、暮れ行く夕闇。
 磨き上げた剣。そこに映った己の眼と、不意に目が合った。
 時々、我ながら戦慄が走る、赤。
 正直、こんな瞬間でも無ければ、普段は忘れている。この色の事。
 自分でも思うのだ。気味が悪い、と。
 そして――種族の違いの事を。
 この色が無ければ有り得なかった、これまでの道程の事を。
 そして今は――
 蒼がかった闇は、徐々に漆黒へと変わってきた。
 鋭い光が、煌々と。
 縷紅は天を仰ぎ見る。
 今から行く場所。
 今まで居た場所。
 過去と未来。交差する今。
 それを見上げている。
 これからの為に手入れしている刃には、己の紅が映って、“あの時”を思い出させた。
――こんな世界、変えてね――
 この刀で、この手で斬った人の事。
 引き替えに与えられた、今。
 忘れられない誓い。
――出会わなければ良かったのに――
 奪わずに済んだだろうか?
 重くのしかかる、自問。
 過去の何かが今と違っていれば、命を奪わずに済んだ筈だ。
 この色さえ、無ければ。
 否、そんな考えは無駄だ。
 斬りたくない、どれだけそう願っていたとしても、それは宿命だったのだろう。
 そう思わねば、浮かばれない。
 これまでの罪、全てが。
――逃げだろうか。
 脳裏に焼き付いた赤斗の眼が、それを許さない。
 赤斗だけではない。軍を裏切り、処刑した者。五年前の戦で斬った無数の者。
 軍の指令で暗殺した者、この戦で斬った者――
 それらの、無数の眼が。
 死を目前にした絶望や、不当に命を奪われる怒りで染まった眼が。
 宿命という言い訳で逃げてしまう自分を、縛り付ける。
 ――ならば、どうすれば…
「…否…」
 すっ、と天に向ける刃。
 刹那、空気を切り裂いた。
 闇を断ち切るが如く。
「立ち向かうだけですね…。姶良、貴女の為に」
 皆の為に。
 小さく呟いて、細い光で弧を描き、刃を鞘に収める。
 高く昇った繊月だけが、闇夜を照らしていた。




 燭台の灯火が、心許ない光で天幕内をぼんやりと浮かび上がらせている。
 その光を、こちらもぼんやりとした心許ない眼で見るともなく見る。
 そして、小さな溜息。
 するりと、衣擦れの音。
 光の届かない闇が開いた、その音だ。
 一人で暇を持て余していた隼は、天幕を覗いた顔に、訝しげに目を細めた。
「灯りが付いていたからな。…眠れねぇか?」
 入ってきたのは、董凱。
「昼に十分、睡眠を取りましたので」
 目も合わせず、ぶっきらぼうに告げる。
 昼間、五人がこの天幕から去った後の記憶が無い。
 気絶する様に眠ってしまったのだろう。
「まあ、そう固くなるなよ。余計な文体作らなくても、いつもの調子で良いんだぜ?喋るのも身体に良くないんだろ」
 睨みつける眼。
 董凱は気にする事無く、傍らの椅子に腰掛けた。
「…それが解っているなら放っておいてくれれば良い物を…」
 何か諦めた様に呟いて、背を向けて寝転ぶ。
 体を起こしておく程、気を遣う気にはなれなかった。
「いや、全くそうなんだけどな。一度君とゆっくり話してみたいと思ってたんだ。娘から山登りの間、ずっと君の事を聞かされていたからな」
「今は俺より話すべき相手が居るでしょう?今夜にも縷紅は発つって言ってるんだ…今が最後になるかも知れない」
「一人にしてやりてぇ時も有るんだよ」
 肩越しの視線。
「今は…アイツにとって俺達の存在は重い様だから」
「…ふーん」
 隼には解らないでもない。
 修羅とならねばならぬ時、温かい存在は断ち切らねばならない。
 自身にも覚えがある――天と闘う為、黒鷹の元を去ろうと決めた時。
 無謀なだけだったと、今では思う。
 あれさえ無ければ、姶良を――
「眠れねぇか?」
 追憶を遮って、同じ問いが繰り返された。
 ――否、結果は同じだ――
 自らが生み出した下らない問いに答えを出し、現実の董凱を睨む。
 質問の意図が掴めない。
「怖いんじゃねぇのか?眠る事が」
「――」
「昼から、どうも拒んでいる様に見えてな。体力持たねぇぞ、それじゃ」
「…もう、無いも同然の体力だ」
 拳を握る――手が、震える。
 以前の様に、上手く力が入らない。
 朝は渾身の力で鶸を殴った。あれが精一杯だった。
「根に渡り合うんだろ?その前に衰弱してくれるなと言っている。その為に、今は出来るだけ体力を保っておくんだ。どれだけ不安でもな」
「…あんたに何が解る」
 にやりと笑う。
「そうそう、その生意気さだよ」
「出てってくれ」
 疲れたと言わんばかりに溜息を吐き出す。
「まだ言いたい事は有るんだがな。仕方ないか」
 椅子を立つ音。
 背中越しの、遠ざかる気配。
 数歩歩んで董凱は言った。
「明かり、消すぞ」
「――っ!!待っ…!」
 火を消す為の風を起こそうと掲げられた手は、灯の寸前で止まった。
 正確には、止められた。
 右腕の袖を掴む白い手は、小刻みに震えている。
 その向こうにある肩は、苦しそうに上下していた。
「…怖いか。闇が」
 一瞬にして寝台から飛び出した身体は、ずるりと沈んだ。
 しかし袖はしっかりと掴んだまま。
 座り込み、項垂れて、肩で息をしている。
「死が、怖いか」
「違…」
 細い声で否定する。
「そうじゃない…」
 それ以上は言えず、強い眩暈で頭を起こしてすら居られなくなった。
 一瞬遠くなった意識が、床に頭を打ち付けた痛みで少し戻ってくる。
 だがその痛みすら、どこか遠くて。
「おい…しっかりしろ」
 支える手。浮遊して寝台に戻される身体。
 狭く、ぼやけた視界に入る董凱の顔。
 重なる顔。
――クロ…
 今どうしているだろう。
 無理矢理行かせてしまったが、酷だっただろうか。
 何事も無く光爛に会えていれば良いが…
 そして、無事に帰って来た所を、早く見たい。
 自分で追い出した癖に、こんな事を願うのは都合が良すぎるだろうが。
 でも。
 待っていてやりたい。今度こそは。
 ただ、それが出来る自信も無い。
 だから、永遠に続く闇が、怖い。
 眠りから醒めず、夜が明けない事が。
「…もし」
 半ば夢中で隼は囁いた。
「俺が自分で言えなかったら…代わりに謝ってくれ」
 途切れがちの言葉。董凱は耳を寄せて聞く。
「いつも待てなくて…悪かった…って」
「何言ってんだよ、自分で言えよ…そんな事は」
 微かに口角を上げ、隼の手が、董凱の手を、握った。
「黒鷹の事…頼む」
 その一言に、残っていた全ての力を込めたかの様に。
 僅かに開いていた眼は、閉じられた。
「……」
 力の無い手を挟むように、もう片方の手をそっと置く。
 確かに温かな手。
 まだ、生きている。それなのに。
「頼まれる立場じゃねぇよ…俺は実の親だっつの…」
 どうしてこの温もりが消えると思えるだろう。
 目を背けたくとも、出来ない。
「寧ろ…礼を言いに来たのに…。人の話は聞かずに眠りこけやがって…」
――まだ、伝えなくとも良いか。
 隼が黒鷹の親友であり、相棒である事に、終わりなど来ないだろう。
 ずっとこのままであれば良い。
 礼を言おうだなんて、縁起でも無ぇ。
「おやすみ」
 両手の中にあった隼の手を、そっと布団の中に返して、董凱は立った。
 天幕を出る。
 数歩も行かないうちに、正面に立ち止まった影があった。
「行くか」
 短く声を掛ければ、影は無言のうちに頷く。
「…帰って来いよ?」
 本気とも冗談ともつかぬ言葉に、影――縷紅は少し笑んだ。
「董凱…今までの事、全て、感謝しています」
 深く頭を下げて、すっと踵を返す。
 父親は、闇に消える紅を、気配が消えるまで見ていた。




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