RAPTORS
4
一方、鶸は隼の元へ向かっていた。
日が昇るや否や、待ち兼ねて天幕に飛び込んだ。
無論、隼は鶸を待っている筈は無い。
それも急いで来た余り、水桶に足を突っ込んで諸ともにコケる登場の仕方。
文字通り桶と共に中へ飛び込んだ…もとい飛んで来た鶸に、当然良い顔など出来よう筈が無い。
「…お、オハヨー…」
「殴られに来たか?お前」
全く爽やかさの無い朝の第一声。
「いや!大丈夫!!その辺は間に合ってますっ!!」
蛇ならぬ隼に睨まれる小鳥、鶸。
「…ったく」
膝の上に顔を乗せる隼を見て、ふと気付く。
「寝てねぇの?」
てっきり起こしたと思っていた。だが隼は寝台に座る格好。
寝具も乱れが無い。
「目が冴えてな」
短く答える声は気怠い。
「…そっか」
背けられた顔。それ以上訊く事を拒んでいる。
「あ…そうだ。昨日は悪かった」
「何が」
「…え?えーと…」
謝らなければならないとは思っていたが、何故謝るのか思い出せない。
「何だよ」
「え、えと…隼が何とも思ってないなら良いや。はは…」
「…意味分かんねぇ…」
隼も大方予想は付くが、謝られる方が居心地悪いので黙っておく。
“冷たい”自覚は有るのだから、鶸の言葉は悪口でも何でもなく、ただの事実と受け止めている。
ただ、今は、その事実が痛い。
「あっ、それでな隼!俺達天に進軍しようと思うんだ!」
突如振られた話題に、隼は横目を向けた。
「それ決定事項か?」
「いや、今から決定させる」
はぁーと大仰な溜息。
「そんな事で朝から騒ぐな…。決定してから言いに来いよ…多分無理だから」
「なんでだよ?俺は行く気だぜ?それよりお前に言いたくてさ」
「別に傍観しか出来ねぇ奴にわざわざ報告しなくても…」
「でもお前が一番勝ちてぇだろ?この戦。だから言いに来たんだよ」
隼は口を閉ざす。
反論しようがない。勝ちたい――勝って欲しいのは、本心だから。
「…一番か…」
「他に居ないだろ。だってお前が」
鶸は言葉を途切れさせた。
隼が耳を塞いだからだ。
――お前が始めた戦だから。
俺が始めた“殺し合い”だから――
「隼?」
鶸の声。
重い。何もかも、重い。
「俺…さ」
こんな事喋っても無意味なのに。そう思いながら。
言わずには居られなかった。
「この戦が始まった頃…他に方法は無かったかって…思った。地の人々を助ける為に始めたつもりが、地だけじゃなく…沢山の人を、俺が苦しめてる…」
憎しみ合い、殺し合い。
そこから幸せは生まれない。残るのは屍と悲しみの連鎖。
それを、嫌と言う程、知った。
「お前は正しかったと思うか?この戦が。俺のした事が…」
問われた鶸は、ぱちくりと瞬きしている。
正直、よく分からない。
答えが、ではなく、隼が何故こんな事を言うのか。
「…なあ、隼。お前の友達なら、きっと大丈夫だよ」
“緑葉”という名前は分からなくとも、それが隼の貴重な友達で、今その人の事を案じているから、こんな事を言い出すのだと。
鶸は彼なりに解釈して、励ました。
隼は微かに頷いたが、俯いたまま。
「アイツを失うかも知れない――そう思って、怖くなって、初めて…これは俺だけじゃないんだって気付いた。戦ってる人の家族や友人全てが、皆同じ思い抱えているんだって…皆、恐怖を抱えて待っているんだ、って…。そんな人がこの世界にどれだけ居るかなんて、考えてすら無かった。憎いから戦えばいい、戦って勝てばいいなんて…単純にも程があるよな…」
「だから…自分のした事が…戦を始めた事が、怖くなったのか?」
「…悪い」
肯定する代わりに謝って、隼は瞼を伏せた。
もう止められはしない。分かっている。十分に、分かっている。
それなのに、今から皆を率いて戦う鶸に、全てぶちまけてしまって。
でも“コイツは揺れない”それが分かっているから、言える。
全て間違っているかも知れない事。
「お前…」
鶸の声に、瞼を更に固く閉じた。
罵られても仕方ない、それだけの事は言った。
しかし鶸の口から出たのは、当然そんな言葉ではない。
「やっぱ、優しいヤツだな。俺さっき、お前の事冷たいって言ったの、アレを謝ったんだよ」
「…今思い出したのか?」
満面の笑みで頷かれては、小突く事も出来ない。
「お前はいつもちゃんと皆の事考えてる。だから、エライ」
「お前に褒められてもな」
ボヤキに鶸は反論しようとしたが、隼が微かに笑っているのを見て、言おうとした言葉が引っ込んだ。
「…何だよ」
ポカンと見てくる間抜け面。
「いや…うん。お前が元気になったなら良かった」
「…全然元気じゃねぇけど」
「俺頑張んなきゃな!早い所この戦終わらせねぇと!」
「…無視か」
「王様業頑張るっ!!隼も皆元気にするっ!!」
「…聞け」
いい加減辟易する隼の肩をいきなり掴んで、鶸は言った。
「戦の終わった世界で皆を幸せにするのが俺の役目だよな!過ぎちまったモンはどうしようもないけど、お前は未来を作ってくれた」
「――」
「後悔する事無いよ!少なくとも、お前一人で悩むなよ。俺達も戦ってんだから」
俺達三人は親友だろ、と。
鶸が付け足した。
「…ああ」
忘れていた。その言葉。
一人ではないこと。
いつだって救い上げてくれる存在があること――
「鶸」
「ん?」
何より、共に戦う仲間であること。
今までも、今からも。
「天へ――行ってこい。俺の事は構うな」
「隼…」
「お前の刀は、俺の刀でもあるんだ。皆を救う為に振るってきてくれ。頼む」
奪ってきたもの。その償いは出来ないだろう。
それでもせめて、その裏返しに誰かを救えるとしたら。
その可能性を信じたい。
「分かった。大丈夫だよ、お前が本当はどうしたいのか、俺よく分かってるから」
鶸が屈託無く言った。
隼は頷く――己の意志を託した。
同時に、自分の手ではもう二度と刀を振るえない事を覚悟した。
己を支えてきたものを棄てる、覚悟。そして押し寄せる、不安。
――俺にはもう何も出来ない。
背後で扉が開き、天幕に光の筋が通った。
振り向くと、縷紅が居た。
「そろそろ時間ですよ、鶸」
「あ…分かった」
「気分はいかがですか?」
椅子を立つ鶸の横に視線をずらして問う。
「…昨日の今日だろ。言わせるな」
光を嫌う様に、枕に顔を埋める。
くぐもった返答。
「そうですか…良ければ軍議にお誘いしようと思ったのですが」
意外そうに、隼は枕から顔を上げた。
しかし急に頭を上げた事で眩暈を起こし、脱力して元通り。
唸って、絞り出すように告げた。
「…出れたら…途中で顔出す…」
「分かりました。無理なさらぬ様に」
「悪いな…せっかくなのに」
本当は心底行きたい。
“己の戦”に、責任を取る為に。
「いえ…。本当に、無理は禁物ですよ?」
無理したくても出来ねぇんだ――そう言い返したかったが、それすら厳しかった。
「じゃあ隼、俺達行くからな」
暗い視界の中、鶸の言葉を最後に静けさが戻る。
遠ざかる足音。
この戦を勝たせようと必死だった日々。それら全てが遠くなる。
その静寂を、独り、聴いている。
ただ、為す術も無く。
「――っ…」
闇ばかり見詰めていると気がおかしくなりそうで、仰向けになって瞼を押し上げた。
だが分かっている。
視界が開けた所で、何も変わらない事。
静寂の向こうに、人々の悲痛な叫びを感じて。
否、その声は、自分の声だ。
鶸の言った未来は、己には来ない。
皆が幸せに、平和の中で暮らせる未来を信じている。
だが代わりに、その時を見れなかった多くの人々も居るのだ。
それは、自分のせいで。
だから、独りで背負わなければならない。
“親友”達に、苦しみを分ける訳にはいかない。
彼らには、未来を作る大役があるのだから。
ただ。
ただ、それでも。
「…クロ」
言葉には出来ない感情が溢れる。
「早く…帰って来い…」
静寂が、己を蝕む。
孤独を伴って。
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