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RAPTORS


 一方、鶸は隼の元へ向かっていた。
 日が昇るや否や、待ち兼ねて天幕に飛び込んだ。
 無論、隼は鶸を待っている筈は無い。
 それも急いで来た余り、水桶に足を突っ込んで諸ともにコケる登場の仕方。
 文字通り桶と共に中へ飛び込んだ…もとい飛んで来た鶸に、当然良い顔など出来よう筈が無い。
「…お、オハヨー…」
「殴られに来たか?お前」
 全く爽やかさの無い朝の第一声。
「いや!大丈夫!!その辺は間に合ってますっ!!」
 蛇ならぬ隼に睨まれる小鳥、鶸。
「…ったく」
 膝の上に顔を乗せる隼を見て、ふと気付く。
「寝てねぇの?」
 てっきり起こしたと思っていた。だが隼は寝台に座る格好。
 寝具も乱れが無い。
「目が冴えてな」
 短く答える声は気怠い。
「…そっか」
 背けられた顔。それ以上訊く事を拒んでいる。
「あ…そうだ。昨日は悪かった」
「何が」
「…え?えーと…」
 謝らなければならないとは思っていたが、何故謝るのか思い出せない。
「何だよ」
「え、えと…隼が何とも思ってないなら良いや。はは…」
「…意味分かんねぇ…」
 隼も大方予想は付くが、謝られる方が居心地悪いので黙っておく。
 “冷たい”自覚は有るのだから、鶸の言葉は悪口でも何でもなく、ただの事実と受け止めている。
 ただ、今は、その事実が痛い。
「あっ、それでな隼!俺達天に進軍しようと思うんだ!」
 突如振られた話題に、隼は横目を向けた。
「それ決定事項か?」
「いや、今から決定させる」
 はぁーと大仰な溜息。
「そんな事で朝から騒ぐな…。決定してから言いに来いよ…多分無理だから」
「なんでだよ?俺は行く気だぜ?それよりお前に言いたくてさ」
「別に傍観しか出来ねぇ奴にわざわざ報告しなくても…」
「でもお前が一番勝ちてぇだろ?この戦。だから言いに来たんだよ」
 隼は口を閉ざす。
 反論しようがない。勝ちたい――勝って欲しいのは、本心だから。
「…一番か…」
「他に居ないだろ。だってお前が」
 鶸は言葉を途切れさせた。
 隼が耳を塞いだからだ。
 ――お前が始めた戦だから。
 俺が始めた“殺し合い”だから――
「隼?」
 鶸の声。
 重い。何もかも、重い。
「俺…さ」
 こんな事喋っても無意味なのに。そう思いながら。
 言わずには居られなかった。
「この戦が始まった頃…他に方法は無かったかって…思った。地の人々を助ける為に始めたつもりが、地だけじゃなく…沢山の人を、俺が苦しめてる…」
 憎しみ合い、殺し合い。
 そこから幸せは生まれない。残るのは屍と悲しみの連鎖。
 それを、嫌と言う程、知った。
「お前は正しかったと思うか?この戦が。俺のした事が…」
 問われた鶸は、ぱちくりと瞬きしている。
 正直、よく分からない。
 答えが、ではなく、隼が何故こんな事を言うのか。
「…なあ、隼。お前の友達なら、きっと大丈夫だよ」
 “緑葉”という名前は分からなくとも、それが隼の貴重な友達で、今その人の事を案じているから、こんな事を言い出すのだと。
 鶸は彼なりに解釈して、励ました。
 隼は微かに頷いたが、俯いたまま。
「アイツを失うかも知れない――そう思って、怖くなって、初めて…これは俺だけじゃないんだって気付いた。戦ってる人の家族や友人全てが、皆同じ思い抱えているんだって…皆、恐怖を抱えて待っているんだ、って…。そんな人がこの世界にどれだけ居るかなんて、考えてすら無かった。憎いから戦えばいい、戦って勝てばいいなんて…単純にも程があるよな…」
「だから…自分のした事が…戦を始めた事が、怖くなったのか?」
「…悪い」
 肯定する代わりに謝って、隼は瞼を伏せた。
 もう止められはしない。分かっている。十分に、分かっている。
 それなのに、今から皆を率いて戦う鶸に、全てぶちまけてしまって。
 でも“コイツは揺れない”それが分かっているから、言える。
 全て間違っているかも知れない事。
「お前…」
 鶸の声に、瞼を更に固く閉じた。
 罵られても仕方ない、それだけの事は言った。
 しかし鶸の口から出たのは、当然そんな言葉ではない。
「やっぱ、優しいヤツだな。俺さっき、お前の事冷たいって言ったの、アレを謝ったんだよ」
「…今思い出したのか?」
 満面の笑みで頷かれては、小突く事も出来ない。
「お前はいつもちゃんと皆の事考えてる。だから、エライ」
「お前に褒められてもな」
 ボヤキに鶸は反論しようとしたが、隼が微かに笑っているのを見て、言おうとした言葉が引っ込んだ。
「…何だよ」
 ポカンと見てくる間抜け面。
「いや…うん。お前が元気になったなら良かった」
「…全然元気じゃねぇけど」
「俺頑張んなきゃな!早い所この戦終わらせねぇと!」
「…無視か」
「王様業頑張るっ!!隼も皆元気にするっ!!」
「…聞け」
 いい加減辟易する隼の肩をいきなり掴んで、鶸は言った。
「戦の終わった世界で皆を幸せにするのが俺の役目だよな!過ぎちまったモンはどうしようもないけど、お前は未来を作ってくれた」
「――」
「後悔する事無いよ!少なくとも、お前一人で悩むなよ。俺達も戦ってんだから」
 俺達三人は親友だろ、と。
 鶸が付け足した。
「…ああ」
 忘れていた。その言葉。
 一人ではないこと。
 いつだって救い上げてくれる存在があること――
「鶸」
「ん?」
 何より、共に戦う仲間であること。
 今までも、今からも。
「天へ――行ってこい。俺の事は構うな」
「隼…」
「お前の刀は、俺の刀でもあるんだ。皆を救う為に振るってきてくれ。頼む」
 奪ってきたもの。その償いは出来ないだろう。
 それでもせめて、その裏返しに誰かを救えるとしたら。
 その可能性を信じたい。
「分かった。大丈夫だよ、お前が本当はどうしたいのか、俺よく分かってるから」
 鶸が屈託無く言った。
 隼は頷く――己の意志を託した。
 同時に、自分の手ではもう二度と刀を振るえない事を覚悟した。
 己を支えてきたものを棄てる、覚悟。そして押し寄せる、不安。
 ――俺にはもう何も出来ない。
 背後で扉が開き、天幕に光の筋が通った。
 振り向くと、縷紅が居た。
「そろそろ時間ですよ、鶸」
「あ…分かった」
「気分はいかがですか?」
 椅子を立つ鶸の横に視線をずらして問う。
「…昨日の今日だろ。言わせるな」
 光を嫌う様に、枕に顔を埋める。
 くぐもった返答。
「そうですか…良ければ軍議にお誘いしようと思ったのですが」
 意外そうに、隼は枕から顔を上げた。
 しかし急に頭を上げた事で眩暈を起こし、脱力して元通り。
 唸って、絞り出すように告げた。
「…出れたら…途中で顔出す…」
「分かりました。無理なさらぬ様に」
「悪いな…せっかくなのに」
 本当は心底行きたい。
 “己の戦”に、責任を取る為に。
「いえ…。本当に、無理は禁物ですよ?」
 無理したくても出来ねぇんだ――そう言い返したかったが、それすら厳しかった。
「じゃあ隼、俺達行くからな」
 暗い視界の中、鶸の言葉を最後に静けさが戻る。
 遠ざかる足音。
 この戦を勝たせようと必死だった日々。それら全てが遠くなる。
 その静寂を、独り、聴いている。
 ただ、為す術も無く。
「――っ…」
 闇ばかり見詰めていると気がおかしくなりそうで、仰向けになって瞼を押し上げた。
 だが分かっている。
 視界が開けた所で、何も変わらない事。
 静寂の向こうに、人々の悲痛な叫びを感じて。
 否、その声は、自分の声だ。
 鶸の言った未来は、己には来ない。
 皆が幸せに、平和の中で暮らせる未来を信じている。
 だが代わりに、その時を見れなかった多くの人々も居るのだ。
 それは、自分のせいで。
 だから、独りで背負わなければならない。
 “親友”達に、苦しみを分ける訳にはいかない。
 彼らには、未来を作る大役があるのだから。
 ただ。
 ただ、それでも。
「…クロ」
 言葉には出来ない感情が溢れる。
「早く…帰って来い…」
 静寂が、己を蝕む。
 孤独を伴って。





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