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RAPTORS


「隼…お、起きてんな」
 天幕を開けて中を窺い見た黒鷹は、嬉しそうに言って中に入った。
「一人か?緑葉は?」
「さっき出て行った。水汲みだって言ってたが…遅いな」
「途中で一服してんじゃねぇの?四六時中お前の相手じゃ疲れるだろうし」
「どういう意味だそれは。お前の相手のがよっぽど疲れるっつの」
「えー?お前だけだよそれは」
 言い合いながらも笑い声が響く。
 こんなたわいも無い会話さえ、嬉しい。
「なぁ、クロ」
「ん?」
「俺の為に縷紅を困らせるような事…言ってないだろうな?」
 図星を突かれた。
「なんで」
「お前の単細胞なら有り得るかと思って」
 ちらりと、緑の瞳が黒鷹を捕える。
 見透かされようだ。
「な…無ぇよ、そんな事!!俺単細胞じゃねぇもん!!大体、お前の為に国を左右するような事言うかよ…」
 言葉を並べて本心への壁を作る。
 その反応に隼は「ふぅん」とだけ言って、
「それなら良いけど」
と、口を閉じた。
 沈黙が流れる。
 隼は遠くに目を遣っている。勿論、何歩も行かぬ先に天幕の布が有るのだが。
 黒鷹はそんな隼を眺めていた。
 何処を、何を、何時を――見ているのだろう。
 先は、見たくない。
「このまま、今が続けば良いのに…」
 小さく、黒鷹は呟いていた。
 聞こえなかったのか、隼は何も返さなかった。
 代わりに、暫く経ってから口を開いた。
「…ガキの頃、お前も病にかかった事があったよな」
「あった…な。何日も寝込んだ事が」
 育ててくれた母――后が亡くなった後の事だ。
「お前にも心労ってヤツが有るのかと驚いたよ」
「失礼な。鶸の親父の事件から悩みっ放しだったんだぞ。そりゃまぁ、子供なりの考えしか無かったけど」
「知ってるって…冗談だよ」
「半分は本気だった」
 軽く笑って隼は否定しない。
 だが、笑い飛ばしてしまうにはあの時期は――重過ぎた。
「でもさ」
 黒鷹が口元に笑いを残しながら続ける。
「あの時、お前ずっと世話看てくれて、嬉しかった」
「…そうだっけ」
「すげぇ嬉しかった…今更だけど、ありがとな」
 初めて、ずっと側に居てくれる人。
 その温もりが嬉しくて。
「だから、お返ししたくてさ。お前が病気悪くして孤児院に返された時、俺訪ねて行きたかったんだけど…ダメだった。許して貰えなくてさ」
「そりゃそうだろ」
「だから嫌だったんだ…王子なんて」
 呟いて隼を見ると、呆れた顔をしている。
「…何だよ?」
「…いや?」
 はぐらかされた。
「今絶対、何か言おうとしてたろ!?言いたい事あるならハッキリ言えよ!」
「指図してんじゃねぇよ!主従ですら無くなったのに!」
「そんなモン昔っから有って無かったようなモンだったじゃねぇか!!」
 言い合いは、例によって隼の溜息で打ち消される。
 尤も彼は、大声を出すのも辛い体なのだ。
「…お前が王子だったから、俺は」
 静かな声で、隼は言った。
「お前と、この国の元に居れたんだ…。そうでなきゃ、恨みと憎しみに堕ちてこの国で生きなきゃならなかった」
 傷付けられ、苦しめられ、虐げられて。
 それでも、運命を嘆く事なく生きて来られた。
「地に連れて来られた過去を変えたいとは思わない」
「…ごめん。ありがと」
「王権を手放す事に反対はしない。苦しいのも辛いのも分かってるし、背負うのはお前だからな。俺がとやかく言う事じゃない。…ただ」
 黒鷹は内容の読めない話の先を待つ。
 隼は難しい顔をして――何かを迷っている。
「お前が成すべき事…成さなければならない事は…あるだろ」
「…何のこと…?」
 分からないと見返した黒鷹に、隼は書状を差し出した。
「これは?」
 受け取りながら訊く。
「光爛への書状だ」
「…え…!?」
「届けて欲しい。頼む」
 この目は――戦を指揮する事を頼まれた、あの時と同じだ。
 黒鷹は妙に鼓動が早くなるのを感じた。
「お前が書いたのか…?」
「ああ。援軍にもう一度来て貰えないかと思ってな。勝つ為にはどうしても必要だ」
「中見てもいい!?」
「開けたら斬るぞ」
「……」
 冗談だと分かってはいるが、睨みに固まる。
「根と地の関係を取り持ったのはお前だ。お前が行くべきだろ」
 隼は真面目に言って、付け加えた。
「この書で、俺が地の為に働ける事は…最後になるだろう」
 何か言おうと口を開きかけて、言葉が浮かばない。
 黒鷹が望んだ事なのだ。
 隼と光爛――親子の関係を、取り戻そうと。
 この書状の内容はきっと、それが叶えられている。
 そう、分かっているのに。
「…どうした?」
 あまりに浮かない顔をしている黒鷹を不審に思い、隼はその顔を覗き込む。
 黒鷹は黙っている。
「クロ?」
「…くだらねぇ事、言っていい?」
「駄目っつっても言うんだろ」
 複雑な笑顔で頷いて、黒鷹は言った。
「こんな時にお前と離れるのは…嫌だ」
「…何言うかと思えば…」
「だって!俺が居ない間にお前に何かあったら…」
「……」
「二度と会えないかも知れない…」
 泣き声のようなか細い声を、隼は黙って聞いた。
 しばらく何か考えていたが、やがて決意した顔に変わり、口を開いた。
「お前が行きたくないのなら、俺は無理に押し付けられない。…だが、お前は地を見捨てられるのか?」
「……!」
「それで国王陛下や后様に顔向け出来るのか?」
 次王として自分を育てた義理の両親に。
「隼…」
「俺の事なら心配するな。根に行って帰るくらいの期間で死んだりしない」
「いや…“くらい”って…」
「五日間だ」
「は?」
「五日で行って来い」
 平然と隼は告げた。
「なっ…どんな強行軍させる気だよ!?」
「根なんざ二日あれば着くだろ」
 昼夜問わず歩けと言っている。
「てめ…他人事だと思って…」
 憎々し気な黒鷹の言葉を、隼は鼻で笑った。
「いいから、早く準備して行ってこい」
 まだ黒鷹は渋々と言った様子で立ち上がった。
 扉まで歩み、立ち止まる。
「隼――」
 まだ、 何か言わなければならない気がした。
 だが言葉が見付からない。
 そんな黒鷹に、隼が一言、言った。
「頼んだぞ」
 黒鷹は頷く。
――そうだ、言葉なんて、必要無い。
 大切な事は、二人が共有している事なのだから。
 軽く手を振って、黒鷹は天幕から出た。
 入れ違いに入ってきた人物が居た。
 緑葉だった。
「遅かったな」
 一言、隼が声を掛けた。
 緑葉は曖昧に頷いただけで、理由は言わない。
 隼は追求しなかった。出来なかったのだ。
 もう喋るのも辛い。
「無理、するなよ」
 そんな隼に気付いて、緑葉が言う。
 隼は頷きながら横になった。
 呼吸が荒くなる。
「あの娘には辛いところを見せない気か?」
 黒鷹が出ていった方を見やりながら、緑葉が訊いた。
 隼は応えなかった。
 なるべくならそうしたい――が、無理だろう。
 意識の無い時に既に見せてしまったかも知れない。
 そうでなければ、あんなに心配される筈が無い。
「見栄っ張りめ」
 緑葉の笑いながらの言葉に、「違ぇよ」と口の形だけで反論する。
 本当は。
 五日後でさえ、どうなっているか分からない。
 生きているにしても、意識があるとは限らない。
 だからせめて、話が出来る間だけは、自分として居たいのだ。
 黒鷹の為に。
「まぁ、気持ちは分からなくもないけどさ…」
 言いながら緑葉は、寝台に目を向ける。
 瞼が閉じられている。
「…そんなに疲れていたのか」
 呟いて、作業する手を止めた。
 普通に会話する事さえ、体力を多く消耗するのだ。
 そこまでして、黒鷹に隠したいのか。否――
「何を、守ってんだろうな…」
 それは隼自身のものか、黒鷹の持つものか、二人の間に在るものか。
 そこまでして“隠す”のは、“守る”為に見える。
 緑葉は深く深く息を吐いた。
 ――己にも、ある。
「隼、俺は」
 直接言おうか迷っていたが、この際聞こえていなくても吐き出す事にした。
「自分と、お前達に報いる為に」
 帰りが遅くなったのは、聞いてしまったからだ。
「天に、行く…」
 縷紅と旦毘の会話を。
「…許して、くれるよな」
 天幕の中は、寝息だけで、あまりにも静かだった。



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あきゅろす。
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