RAPTORS 2 翌日、日が暮れる頃に縷紅率いる軍が帰ってきた。 「縷紅!」 隼は紅い髪を見つけるなり駆け寄った。 だらりと下げられた右腕を見て、額を手で押さえる。 「…やっぱりか…」 「隼?」 「奴らの言ってた事はあながち嘘じゃなかったんだな。奇襲に合ったんだろ」 「ええ…そうですけど」 「ったく、ザマぁねぇな。人を怪我人扱いしといて」 「怪我人ですから」 あっさりと現実を突き刺す一言に、一瞬口元が引き攣る…が、何とか流した。 「…で?大丈夫なのか?引いて来たのはソレのせいか?」 「冗談じゃないです。私の怪我なんかで引いたりしますか。…いえ、天の動きが怪しいので。下手に動けないんですよ」 「まぁな。こんな程度で終わるとは思えない。…緑葉のお守りは交代だな」 「ええ…不本意ながら」 「自分が嫌な事を人にやらすんじゃねぇよ」 ひとまず兵達が生還できた事で、基地の中は歓喜に満ちていた。 隼もそれに混じって明るく振る舞っていた。 しばらくしてそれも静まり、縷紅と隼は二人で天幕に戻る。 「…隼」 先に行く隼を縷紅が呼び止めた。 「少し、いいですか?」 振り向いた顔は、全く表情が無い。 「ああ」 気まぐれな雨が再び降り始めた。 縷紅の天幕に二人は入る。 「怪我は初めてじゃないんですけどね、今回ばかりは自分の不用意さが身に染みましたよ。腕も動かせなくて困ってるんです」 隼が鼻で笑う。 「油断したもんだな」 「ええ全く。ですから、やり残しの無い様に死にたいと思いまして」 「そんな怪我で?大袈裟な奴」 「これではいつ死ぬか分かったものじゃないと思ったんですよ」 成る程な、と隼は低く笑った。 縷紅もにこりと笑う。 「ですから、やり残した事をやっておきます。貴方への伝言を頼まれていたんです」 「…伝言?」 「姶良からの」 隼は黙っている。 縷紅はそれを、先を促す沈黙と捉えた。 「事切れる間際に…“剣の稽古は楽しかった”と」 尚も隼はしばらく黙っていた。そして。 「何で今頃、それを話す?」 「忘れてたんです」 あまりにもあっけらかんと言われてしまい、怒る気もしない。 「いやぁ、あの後はバタバタしてましたからねぇ。隼は昏倒してしまうし…」 「……」 突っ込みを入れる気すらしない。 頭を抱える隼を見て、縷紅は微笑む。 「怒ってました?姶良の事」 「いや…全然。ただ、どこまでが本心か知れなかったから…」 分かっているつもりだった。ただ証拠が無かった。 自分はただ利用されただけなのか、それとも―― それを今、漸く言葉にされて。 ふつふつと沸き上がるもの。 「…殺す事、無かったんじゃねぇのか?」 紅い髪を垂らした肩が揺れる。 「助けてくれたのは有難いと思ってる。…でも、他に方法があったんじゃ…」 「無いです」 きっぱりと言い切る。 「あの時は、ああするしか…。殺し合うべきだったんです、私達は」 「…そんな事無ぇだろ…」 「私がこの国を…地を選んでしまった以上、仕方無かったんです。もし天を選んだなら、貴方や旦毘…黒鷹に、同じ事をしなければならなかった」 分かっている。半端な甘いやり方では、生き残る事は出来ない。 ただ、それでも。 「…許せねぇモンは、許せねぇ…」 一つの事実だけが怒りを支配する。 冷ややかな空気が天幕の中を満たした。 外はすっかり闇に包まれている。 「…仇を」 重い口を開く。 「討ちたいと、思っているのですか?」 言われた隼の目に、剣呑さが増す。 「俺だって馬鹿じゃねぇんだ。そんな事しても無益だって解ってる。…黒鷹を裏切る事にもなる」 「ええ…そうでしょうね…」 その向こうの、本音が汲める。 身を切る様な冷たさを持った、感情が。 「…餓鬼の時の一件から、ずっと姶良を殺した奴が許せなかった。騙されてるとも知らずにな」 自嘲混じりに隼は言う。 「でも…あの時のアイツが全て演技じゃなかったって言うなら」 幼い頃、心に刻まれた笑顔が頭を過る。 それに当時、どれだけ救われてきたか。 隼の呟きをじっと聞く縷紅にも、それは明確に残像が浮かぶ。 そう、自分が殺めたのでなければ――彼と同じ感情を抱いていただろう。 「今も、姶良を殺した奴を許す事は出来ねぇ」 味方ゆえに、復讐は成されないのだ。 縷紅には、痛い程、解っている。 敵か、味方か。その一線で決まる運命。 燭台の灯が風に揺れた。 「穏やかじゃねぇなぁ、オイ」 旦毘の声。 二人は顔を上げる。 出入り口に、緑葉が居た。 後ろに旦毘が顔を出し、緑葉を中に促す。 「…いつから…!?」 縷紅が心底驚いて、今入ってきた二人を見る。 「姶良の事だからだろ、コイツがそこで熱心に聞いてたぜ?」 緑葉の肩に手を置き、もう片方の手で外を指す。 緑葉はバツの悪そうな顔をして、小さく詫びた。 いくら身内の姶良の話題とは言え、立ち聞きの後ろめたさからだ。 「全部聞いた。コイツ弟だってな?」 彼らしくニヤリと笑いながら、事情を知る二人に確認する。 自分の素性を打ち明けてしまった緑葉は、更に肩を竦めて言い訳する。 「特に隠す事でも無いかと思ったので…。それに…」 「絶対、訳アリだろうと思ってさ」 勝ち誇った様に、旦毘が緑葉の言葉を継いだ。 半分は既に悟られていたから、緑葉とて話さざるを得なかったのだ。 「まぁ…いつかは旦毘に話そうと思ってましたから…」 縷紅もあやふやな口調で言い訳する。 「取って付けて言ってないか?それ」 「隠し事は苦手なんですよ」 「知ってる」 旦毘に笑われて、縷紅は顔を赤くする。 笑ったついでに、旦毘は右手を翳した。 その手には、酒瓶。 「ところで本当の目的は、立ち聞きじゃなくてコレなんだよな」 帰還した祝いをやろうと言うのだ。 「でも聞いてたんじゃねぇかよ」 隼が毒づく。 「聞こえたんだよ。聞くつもり無かったし」 「まぁいいですよ。朋蔓は呼ばないんですか?」 「オジサンこういうの乗らねぇからなぁ。年寄りの夜は早いしよ」 「後で言っておきます」 「…ってオイ、チクリかい!」 さらっと無視して。 「しかし折角の宴なのにこのメンバーというのも、こじんまりし過ぎやしませんか?」 「おお、宴は人数の多いのに限るよなぁ。東軍の面子も呼ぶか。だがそれもむさ苦しいよな、隼?」 「…栄魅でも呼んで来るか」 振られた隼は口調は渋々と、しかし顔はまんざらでも無い様子。 「おや、隼が女性を誘いますか」 珍事に揶揄する縷紅。 「ばっか、ムサイからだろうが?後で誘わなかったって拗ねられても面倒だし」 「お仲がよろしい様で?」 旦毘も黙っては居られない。 「一応、同郷だからだろ!?仲がどうのって訳じゃ…」 「あらら照れちゃって」 そんなやり取りをしながら二人は天幕を出て行った。 「行ってらっしゃい」 にこやかに縷紅は二人を送り出した。無論、言い合う二人は聞いてないが。 二人の声が遠ざかって、緑葉が口を開く。 「姉貴の事は、忘れて下さい」 「…緑葉…?」 心外とばかりに縷紅は緑葉を見返す。 「隼と貴方を苦しめる事なんか、姉貴は望んでないだろうから」 「…苦しんでなんか…」 緑葉は首を横に振る。 「殺したくて殺したんじゃないって事は、よく分かりました。姉貴も同じ気持ちだったという事も。なら、貴方に罪は無い」 「そう…でしょうか」 先刻の隼の視線が痛かった。 目を背けたい事実を突き付けられて。 忘れる事もできない、目を背ける事もできない、罪の意識。 「忘れて下さい」 もう一度、緑葉が言う。 “何故殺したのか”――問いたいのは、自分自身かも知れない。 [*前へ][次へ#] [戻る] |