天使の羽跡
14
僕の視線に気付いたのか、雪は眼球だけをこちらに回した。
「きっと、聡は気付いてないよね。」
「……何に…?」
雪は革靴の先で、水面を蹴ってみせた。そして手の平を僕に向けた。
「手、こうして?」
その行為が何を意味するのかわからないが、とりあえず従った。
自分の手と重ねるように指示され、ゆっくりと近づける。
触れた、と思ったがまだ触れていない。
「え…?」
状況が理解できず、それ以上手を進めることができない。
雪は両手で僕の手を包みこんだが、やはり触れている感覚がない。
雪の白い指が、僕の手を通り抜けた。
「うわあっ!!」
「びっくりした?…って、当然か。」
反射的に引っ込めた手は、飛び込み台から落ちそうになった体を支えた。
僕の反応を見た雪は、悲しげに微笑んで、また空を見つめた。
「…彼の家飛び出して、周りも見えずに走ってたらね…車が迫ってきて、すごい音がして…そこからは覚えてない。」
僕は呆然と、雪を見つめていた。
そこに存在していると思っていた雪は、本当は存在していなくて、僕の目に映っている雪は本当は視えていないはずの…。
雪は勢いよく立ち上がり、明るい声で一気に言葉を紡いだ。
「やっぱり気持ち悪いよね!ばらさないで、昨日あのまま成仏してればよかった。彼を見た時、空に吸い込まれる感じがしたの。あの場所にいたのは何でだかわかんないけど、たぶん聡にお別れとお礼言ってないからだと思って、それで…っ」
ぼろぼろと、明るく努めていた雪の瞳から、大粒の涙が零れ落ちる。
「なんでっ…昨日よりも今日のほうが苦しいの!?彼のことより、聡に拒まれたことのほうが、何倍も、何十倍も苦しいよ…なんで…。」
ああ、僕はなんて愚かなんだろう。雪が生きていようがいまいが、彼女を好きだという気持ちに偽りはない。
確かに驚いたが、雪の存在自体を拒んだわけではない。僕が拒みたかったのは、絶対的な別れだ。
しゃくり上げながら顔を両手で隠す雪の体が、徐々に薄くなっていく。
こんな最悪な状態のまま、雪は消えてしまうのか?
嫌だ。
雪をこの世に引き止めて置きたいが、どうすればそれが実現するかもわからない。でも、何もせずにはいられない。
とっさに雪の身体を抱きしめようとした手が、空を切った。
「あ…。」
あまりにも現実離れした現実を突き付けられる。
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