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小説 3
ガーディアン・7
 ボールを握り締めたまま立ち尽くしていると、阿部が少し笑って言った。
「投げねーのか?」
 三橋は応える代わりに、逆に尋ねた。
「阿部君は、あの子が誰なのか、知ってるの?」
「あー、まあ、名前は知らねーけどな」

 名前は知らないが、誰だか知ってる、とは……どういう意味なのか?
 三橋が黙ってじっと見つめると、阿部は「あー」と唸って、頭をガリガリかいた。
「お前のじーさん達は、お前にあんま知って欲しくなさそうだったぞ。それでも聞きてぇか?」

 阿部の言葉に、さすがに三橋もためらった。けれど、知らずにはいられなかった。
「まあオレだって、口止めされてるって訳でもねぇし?」
 阿部はため息混じりにそう言って、本当に簡単に、女子高生の素性を説明してくれた。

「お前の父親の元婚約者の、年の離れた妹なんだってさ、あいつ」

 父親の、元婚約者。
「ふ、え……?」
 三橋はまた、ぽかんと口を開けた。
 いくら婚約していたと言っても……16年前に、とっくに破棄された約束ではないか。
 それが何故今頃……?
「先方も結構なお家柄だったらしーんだが、事業の先細りとかで、今や、すっかり勢いがねーんだと」
「そ、れが、何……」
 三橋は呆然と呟いた。だって、理解できなかった。頭の中で、結び付かなかった。

 16年も前の元婚約者の、しかも本人じゃなくて、妹。
 その家業の先細り。
 投げつけられた言葉。
 落ちて来た植木鉢……。

「だからさ、逆恨みなんだって」

 阿部が、ポンと三橋の頭を撫でて言った。
「お前に責任は一個もねぇし、お前が気に病む必要もねぇ。堂々としてりゃいいんだ。オレが絶対に護ってやっし」

 な、と言われればうなずくしかなくて、それでこの話は終わってしまった。
 けれど、納得した訳ではなかった。
 誘われて再びキャッチボールを始めながら、三橋は、気分が浮上しない事をほろ苦く受け止めた。


 夕飯の席ででも、何か祖父から説明があるかと思っていたが、その期待は見事に裏切られた。
 祖父母も叔母夫婦もいつもと変わらず、穏やかに食事をとっている。
 ただ、イトコの瑠里は、何かもの問いたげに、大人達の顔をちらちら見ている。

 瑠里は……知ってるのかな、と三橋は思った。
 そして、両親は?
 埼玉に別れて住む、自分の両親は……このことを知っているんだろうか?


 風呂にまた、2人一緒に入りながら、三橋はそのことを阿部に訊いた。
「ああ、知ってるぜ」
 三橋の背中を、海綿で洗ってやりながら、阿部はあっさりとうなずいた。
「ってかさ、元々は埼玉の方に、脅迫状が来たんだぜ」
「えっ……」

 埼玉に、脅迫状。それは三橋の記憶にある限り、初耳だった。
 驚いて振り向いた三橋の顔を、阿部はぱしっと両手で挟み、また前に向かせた。そして今度は左腕を、優しく丁寧に洗い始めた。
「ど、んな内容だった、か、阿部君は知ってる、の? きょ、脅迫状」

 三橋はされるがままに洗われながら、振り向かず、鏡越しに阿部の顔を見た。
 曇り止めのされた鏡の奥で、阿部は三橋を洗いながら、機嫌良さそうに笑ってる。

「あー、確か、恨んでる、とか。自分ちの今の窮状は、三橋家の援助がないせいで、昔、婚約を破棄されなけりゃ、自分はこんな不幸じゃなかった……とか。で、恨んでるから、その原因になったお前を、どうにかしてやる……とか、だったかな」

 ほら、今度は反対な。
 阿部にそう促され、三橋は右腕を彼に預けた。それを丁寧に優しく洗いながら、阿部は三橋に言った。
「つまりさ、結局は融資が欲しいんだよ、あの女。お前のこと、報いを受けろとか言ってっけどさ、本気だって見せつける為のパフォーマンスだろ、多分」
「で、も……」 

 エスカレートしてる、と、昼間も話していたんだろうに。
 猫の死骸とか、トイレ洗剤とか、植木鉢とか……それこそ阿部の言った通り、「子供のイタズラ」じゃ済まなくなっているんだろうに。

 三橋は、鏡越しに阿部を見た。阿部はやっぱり、機嫌良さそうに笑ってる。
 日々の投球練習でタコだらけになった右手を……優しく大事そうに扱った阿部は。

「言っただろ。お前はオレが、絶対に護ってやる」

 そう言って、洗い終えた右手に口接けた。

(続く)

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