小説 3
阿部君の10年計画・7
大学が春休みになったからって、暇になる訳じゃない。
だって、大学野球は春から秋が本番だし。毎日試合がある訳じゃないけど、毎日練習はしなきゃいけないし。練習を休めない訳じゃないけど、休みたくないし。
エース狙う為には、1日だっておろそかにできないし。
だから、春休みに群馬に顔を出すようにって言われた時も、オレは即答で断った。
「オレ、行かない」
お母さんは困ったわねぇ、って苦笑いしてたけど、お父さんには文句を言われた。
「そう言うなよー、お前、正月だって日帰りしちゃったじゃないか」
オレは一瞬考え込んじゃったけど、何も言わずに首を振った。
「行か、ない」
お父さんはまだ「えー?」とか言ってたけど、こればっかりは仕方ない。
群馬は遠いし。
女の子は怖いし。
大体、どうしてオレが群馬から日帰りしちゃったのか、お父さんは分かってくれてないと思う。
じーちゃんちには、そもそも新年早々来客が多い。仕事関係の人やあれやこれやの人が、年始のあいさつに来るからだ。
一人で来る人もいれば、家族連れで来る人もいる。玄関先で挨拶だけして帰る人もいれば、招かれて上に上がってく人もいる。
オレや瑠里や琉も、たまに座敷に呼ばれて挨拶させられたりもする。
子供の頃はお年玉貰えたりするから、そうやって呼ばれるのもイヤじゃなかった。
でも……。
瑠里や琉もいるのに、オレだけ「ちょっと」って呼ばれて、そんで呼ばれた先のお座敷に、晴れ着の娘さんとか座ってたら……回れ右して逃げるしかない。
実際は、逃げられなかったけど。
「廉、庭を案内してあげなさい」
「廉君、よろしく頼むよ」
じーちゃんとお客さん両方に頼まれたら「イヤだ」とか言う訳にもいかなくて、オレは仕方なく、その子と庭を散歩した。
お座敷を出る前に、じーちゃんの笑い声が聞こえた。
「とんだ朴念仁でしてな、この年になるまで浮いた噂の一つもないんですよ」
「いやいや、今時真面目な好青年じゃないですか」
2人とも機嫌良さそうだ。多分、お酒も入ってる。お座敷の2人とは対照的に、オレの気持ちはどよんとしてた。
女の子は苦手だ。
大体、トンダボクネンジンって何なん、だ?
庭をぐるっと回ってる間、オレは一言もしゃべらなかった。
その子も、一言もしゃべらなかった。
気まずかったけど、べらべら話しかけられても困るし、ちょっとだけ安心した。
でも、その子にはちょっと悪かったかな、とは思った。だって、退屈だったよね。
きっと彼女も断り切れなかったんだろうな、って、その時はそう思った。
お正月の時は、相手の子も乗り気じゃなさそうだったから、助かったけど。
けど、春休みにまた群馬に来いって? で、また女の子連れて、じーちゃんちの庭を散歩しろって?
冗談じゃない、よね。
「オレ、行かないって、断った」
寮に帰ってから、阿部君に抱き付いて報告すると、「偉かったな」って頭を撫でてくれた。
「お前のじーさんは、強敵だよな。でも、卒業して就職するまでは我慢だぞ。群馬にはなるべく行くな。親の誘いも全部断れ。女には、率先して嫌われろ」
「そ……」
率先して嫌われるって、どうすればいいの、かな?
オレが不安げに尋ねると、阿部君はニヤッと笑って言った。
「化粧が濃いですね、とか。その香水クサイですね、とか。昨日ギョーザでも食べましたか、とか。髪、自分で切ったんですか、とか。……今朝、ちゃんと鏡を見ましたか、とか、な」
ああ、そのセリフには全部聞き覚えがあった。阿部君が今まで、女の子にぶつけまくってたセリフだ。
そうか、オレ、今ようやく気が付いた。阿部君、無意味に無神経だった訳じゃないんだね。冷たいセリフも態度も、全部計算だったんだ。
オレと別れなくてすむために……率先して嫌われようとしてくれてたんだ。
目先の涙に罪悪感を感じない、批判も悪口も甘んじて受ける。心が強くないとできないよ。オレ、自信ない。
やっぱり阿部君はスゴイなぁ。
「でも、春休みは断ったし。心配しなくても大丈夫だ、よね?」
オレの言葉に、阿部君は意地悪く「さーな」と言ったけど……もう、気にしないことにした。
オレには阿部君が付いててくれるし。うん、大丈夫。
イヤなことは早く忘れて、もうすぐ始まる春季リーグで、一つでも多く投げたかった。
だけど。
そうして始まった、春季リーグ。まだまだエースって訳じゃないけど、先発の一人に数えられてて、張り切って迎えた登板試合で……オレは、ヒドイ裏切りを受けたんだ。
1回表、打者3人を凡打で打ち取ってベンチに帰ろうとした時に、その声は響いて来た。
「レェェェェーン! レェェェェ―ン!」
甲高く響く、聞き覚えのある声。
「お、母さん?」
声につられて観客席を振り仰ぐと、やっぱり、フェンスにしがみついて手を大きく振るお母さんの姿が見えた。
「どうした、の? 仕事、は?」
オレは無防備に、笑顔を浮かべてお母さんの真下に駆け寄った。
そして……ようやく気付いたんだ。お母さんの横に女の子が立ってるって。
「今日は休んだわー、だって、お客さんが見えたんだもん」
お母さんは無邪気に笑う。その横に立ってる女の子は、ニコッとも笑わない。退屈そうな顔で、下を向いてる。
お正月の時の子だって、すぐにはちょっと気付かなかった。
だって、和服と洋服じゃ印象が違うし。髪型も違うし。退屈そうな顔は一緒だけど……なんか、口元が不気味に笑ってるし。
「う、な、何しに来た、の?」
思わず問いかけたら、お母さんが怒った。
「まあ、廉ったら、そんな言い方しちゃダメでしょ!」
けど、女の子は……オレの顔をちらっとも見ないで、うつむいて黙ってるだけだった。
(続く)
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