小説 3
漆黒王と幻の伴侶・16
「邪魔をしおって、忌々しい」
老婆が、しわがれ声で言った。もう、さっきまでの耳障りな甲高さはねぇ。
げっげっげ、と歯のところどころ抜けた口で、低く笑う。
「まあいいさ。紙切れに署名なんぞ、いつでもできる。すぐに殺されずにすんで、よかったのぉ?」
「はっ! ふざけんな」
オレはおぞましさに耐えながら、目の前の老魔女を睨みつけた。
顔も姿も醜いが、何より心根が醜い。
あいつとは大違いだ。
ミハシ――。
魔女が、しわだらけの顔を笑みに歪め、オレに言った。
「傀儡になるがよい」
右手の朱い痣が、じわっと熱を持った。
そこから伸びる線が、肌を這う速さをさらに早める。
いや、肌を走るだけじゃねぇ。そこから中へと、じわじわ浸食してくのが分かる。
呪い――。
『アベ君、キミは呪われた』
『呪われてしまったんだ、ごめんなさい』
ミハシの言葉がよみがえる。
ミハシは自分のせいだと言ったけど――違う、と思った。
肖像画なんて、触らなきゃすんだ話なんだ。
断ること前提だ、つったって。
女の絵なんて、最初から受け取らなきゃよかったんだ。
いや、その前に。お前を信じて、ブレスレットを試してみりゃ良かったんだ。
ミハシ――。
ぴきききき、と肌の上を赤が走る。左腕も両足も。そして、首からあご、頬にかけて。
老魔女が玉座の段を上り、テーブルになってた侍従の背中に杖を当てて、軽く振った。
侍従は悲鳴も上げられず、四つん這いのままで床に転がる。
何の邪魔もなく、オレの前に立った魔女は……ねじくれた杖を突き出し、そこにハマった汚らしい石を、オレの額に当てて言った。
「隷属せい!」
冷たかった石が、ぬるく熱を持った。そのぬるさが、逆に気持ち悪かった。
情けねぇけど、「ひっ」と喉が鳴った。
汚泥色の濁った石が、朱くぬるく光る。
それに呼応して、魔女の濁った黄色い目も朱く光った。
時が止まったかのような、沈黙の中で――。
視界の端に、白いモノが動いた気がした。
ひっ、と老婆がそっちを見た。
歯の抜けた口が、バカみてぇにぱかっと開く。
中腰で間抜けに固まってたハズの魔法使いが、すっと背筋を伸ばして杖を構えていた。
全部が、一瞬のことだった。
ピシッ!
空間を裂くような、高い音。
すぐ目上にあった朱い石にヒビが入って、白く色あせた。
同時に……同じく朱く光ってた魔女の目も、白くヒビ割れて色あせた。
ギャアアアアアアア!
恐ろしいくらい野太い悲鳴。杖を取り落し、魔女が両手で顔を押さえる。
玉座の段から足を踏み外し、床に腰から崩れ落ちた魔女は、そのまま苦しげにのた打ち回って、そして、力尽きたように動かなくなった。
ぽすん、と小さな音を立てて、灰色の煙が立った。
ふぁさっと枯葉が舞った、と思った時には、老魔女の体は消えていて……朽ちた枯葉と、池底のような泥と、そしてベビーピンクのドレスだけが、抜け殻のように残されてた。
床に転がされてた侍従や財務大臣が、うめきながら立ち上がる。
それを見て、ようやく、オレの呪いが消えてるのを知った。
痣がない。線も。手が動く。脚も。首も。
ミハシ――。
笑顔で斜め後ろを向いたオレは、白いローブの魔法使いが、まだ杖を構えたままなのを見た。
えっ、と思って、はっと振り返ると、強くにおう異臭。
「コロス」
知性の欠けたような声。
悲鳴を上げる暇もなく、叔父がオレの目の前に迫っていた。その手には、さっき内大臣が落とした懐剣。
向けられた銀の刃から目が逸らせねぇ。
敵の武器から目を離すな、と――剣術の教えがオレを縛る。
「陛下!」
「陛下!」
「危ない!」
次々と叫ぶ声を聞いた。
けど、いくら訓練を積んでても、この剣は避け切れなかっただろう。
いや、一度はかわせても、二度目の攻撃はかわせなかった。
白魔導師がいなければ。
ボン!
白い煙とともに、懐剣を振り上げた叔父は、オレの目の前で石になった。
「ひ、ひぃ、ひゃあああ」
料理長はおかしな叫び声をあげながら、錯乱したようにジグザグに走って広間から逃げ出そうとした。
そして、束縛から解放されてた衛兵に、長い槍で拘束された。
「もっかい地下牢へぶち込んどけ」
衛兵がオレの指示に従い、料理長を連れて出て行った。
「戻りたくない、あそこには戻りたくない!」
料理長は叫んでたけど、とても赦してやる気にはなれそうもねぇ。
近く、処刑すべきだろうか。
誰も命を失ってねーのに?
けど……ああ、そうか……これが、甘さ、か。
石になった叔父を見る。
クーデターを起こし、父王や先代の城の魔法使いを殺した犯人を、オレは何で処刑しなかった?
ガキだったからか。
地下牢に入れとけば、反省して改心するとでも思ったか。
いや……やっぱ、甘かったからだ。
反逆者は反逆者だ。きっと、それなりの覚悟をもって反逆してる。
だったら、オレも覚悟を決めねぇと。
「全部、オレの甘さが招いた事だ、ミハシ」
オレは玉座から立ち上がり、フードを深く被ったままの、白魔導師の前に立った。
(続く)
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