小説 3
漆黒王と幻の伴侶・8
女が去った後も、オレはしばらくベッドの上で呆然としてた。
何でこんな混乱すんのか分からなかった。
据え膳前にして、しかもベッドに押し倒しといて拒否るとか……何考えてんだって感じだし。
違うって? 何が何とどう違うのか、自分でもワケワカンネー。
ぞっとするとか。
まだ……左手が、その感触を覚えてる。掴んだ胸の柔らかさと、強烈な違和感と。
まるで、忘れちまってんのに忘れられねー、大切な誰かがいるみてーだ。
身体だけが覚えてる、幻の伴侶。
もしかしたら一生、オレは一生、その誰かしか愛することができねーのかも知れねぇ。顔も声も、何一つ思い出せやしねーってのに――。
もう何だか、そのまま横たわる気分にもなれねーで、寝室を抜け出して外に出た。風に当たろうと屋外の外回廊に向かったが、数歩も歩かねぇ内に立ち止まる。
回廊の真ん中、月明かりの下で、何か白いのがうずくまってんのが見えたからだ。
「誰だ!」
声を張り上げて尋ねると、そいつは驚いたようにピョンッと飛び跳ね、両手を後ろにして、回廊の壁に背を付けた。
「へ、陛下。ごきげんよう。いい月夜ですことね」
上擦った声でそう言ったのは、ミズタニが言うところのメス猫、だ。
もしかしたらピンクなのかも知れねぇ、何か白っぽいネグリジェを着て、頭には同じような白っぽいナイトキャップをかぶってる。
でかい目に月明かりが映って、猫のように光ってた。
「後ろに何、隠してる?」
ちょっと厳しい声で詰問すると、「何も」と言いながら横にずれる。スゲー怪しい。
「隠してんだろ!」
強引に腕を掴み上げてひねり上げると、メス猫娘は「きゃあっ」と言って、小さな手から何かを落とした。同時にぱしゃん、と水か何かが飛び散って、オレの足を濡らす。
濡れた回廊の床に、小さな紙がひらひらと落ちた。
屈みこんで拾って見ると……彼女が持ってたのは、水らしきものが入ってたゴブレットに手鏡、ペンと小さな紙切れ2枚だと分かった。
「何だ、これ?」
紙切れには、◎で囲まれた☆が描かれ、その星の中心に、赤い文字で誰かの名前が書いてある。濡れて滲んでるが、どうも女狐と魔女、2人の名前っぽい。
「か、返して! ただの、おまじないです」
「おまじない!?」
おまじないって……何だソレ、意味ワカンネー!
「そっちは?」
ゴブレットと手鏡を指差すと、それもおまじないに使うんだと言う。
おまじないって……素人用の魔法みてーなもんか? 魔法にゃ色々タブーとかあるつって――あるんだよ、つって――いや。――そんなコト言うのはミズタニか――ミズタニだろう――ミズタニが、言ってたような気がするけど。
「はっ」
おまじないにもタブーってのはあるんだろうか?
この、◎と☆の模様なんか、へっぽこミズタニがひぃひぃ言いながら勉強してる、魔法陣みてーに見えなくもねぇが……。
そんなことを考えながら、インクの滲んだ紙切れを月明かりに透かす。
それを取り返してーのか、それとも単に恥ずかしーのか、メス猫娘が「返して、返して」と手を伸ばし、オレの周りをピンピンと跳ねる。
ホント猫みてーだな、と思った時……。
突然、空気を読まねー奴が現れて、空気を読まねー発言をした。
「もう〜こんな時間にこんな場所で〜、何イチャついてんのさ、アベ王〜」
「はああっ? 誰がイチャついてっかよ!?」
バカなセリフに一瞬気が抜けて、その隙にメス猫娘が、オレの手から紙切れをパッと奪い返す。いや別に、欲しい訳じゃなかったしいーんだけどさ。
それよりミズタニだ。
誰が誰とイチャついてるって!?
「っとに、てめーはいつもいつも。そうやってふざけんのもいー加減にしろよ?」
思いっきりイヤな顔でそう言うと、白いローブの見習い魔法使いは、いつもの調子で肩を竦めた。
「え〜、オレはいつでも真面目だよ〜」
そんな、マジふざけたコトを言いながら、ゆっくりとこっちに近付いて来る。
それを見てメス猫娘は、自分がどんな格好なのか今頃になって気付いたみてーで、胸元に手を当ててしゃがみ込んだ。
そして、ミズタニには聞こえねぇような小声で、こう訊いた。
「もしやあの方が、噂に名高い白の……若き魔導師様、ですか?」
それを聞いて、つい「はっ」と笑っちまった。
若き魔導師様って、なんだそれ。
確かにミズタニは、白魔導師の唯一の弟子だけど――弟子だ、けど――若き、魔導師は――魔導師は、老人で? 老人、で――?
オレは頭を強く振り、余計な思考を打ち払って、メス猫娘に目をやった。
「そんないーもんじゃねーよ。ヘッポコだかんな」
オレのセリフはしっかり聞こえてたらしい。ミズタニがへらっと笑って、「ひどっ!」と言った。
メス猫娘が、あいさつもそこそこにして、逃げるように去った後。ミズタニが何でか、彼女の背中を見送りながら、深いため息をついた。
けど、気を取り直したように、軽い口調で話しかけてくる。
「あの子のやってたおまじない、中身訊いた? エグイよー。知りたい?」
「興味ねーし」
短くバッサリ切ってやると、ミズタニは情けねぇ声を出して、「え〜、訊きたいでしょ!? 聞いてよ〜」とオレに取り縋る。
ウゼェ。
けど……あからさまにブスッとされるよりは何倍もいい。
「おまじないなんて可愛い物じゃないよー。あれは、邪魔者を排除する呪いと、いつまでも若さを保つ呪い。女って怖いよね〜?」
ミズタニの言葉に、そりゃ確かにエグイな、と思った。
邪魔者って、自分以外の2人のコトか。排除って……一体どうしようってのか。
いや、おまじないなんてものに、手段の前提ってモノはねーのか。
「素人娘が見よう見まねでやるんなら可愛いもんだけど、魔女が魔力を込めてやったら、マジ、シャレなんない事になるからねー?」
ホントだよ、師匠だって手を焼くんだから……とか何とか、ミズタニは訊いてもねぇコトを、いつもの様子でベラベラと喋り続けた。
まあ、エグイのは別にいいとしても。
「若さを保つって。あいつ、まだ15〜6歳じゃねーか。まだそんな、気にする年でもねーだろ?」
オレがそう言うと。
ミズタニは呆れたように首を振って、薄く笑った。
「分かってないねぇ」
ムカついた。
(続く)
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