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小説 3
教師のいる風景・前編 (生徒阿部・教師三橋)
 母が入院した。
 ただの盲腸のハズだったのに、もう一ヶ月。手術の予後が悪くて、ずっと寝たきりになっている。
 血液検査がどうとか、肝数値がこうとか。主治医の話をしっかり理解してーのに、全然頭に入って来ねぇ。
 専業主婦が入院すると、まず家事が滞る。
 親父と弟とオレの、男3人。洗濯機すらろくに動かした事がなくて、洗剤の量も分からねぇ。
 
 掃除だって行き届かねーで、ホコリを見付けてはケンカになる。
「隆也。掃除機ぐれー、かけらんねーのか!」
「はぁ!? いつそんな暇があんだよ!?」
 やめなさい! なんて間に入るハズの声がねーから、胸倉の掴みあいになっちまう事もしょっちゅうで、さすがに殴り合いにはなんねーけど、ずっとピリピリしっぱなしだ。

 でも、一番困ったのは、食事だった。
 米だって研いだ事ねーのに、おかずなんて作るのは無理だ。
 コンビニ弁当と、スーパーの弁当と、ホカホカ弁当と、寿司。たまにラーメン食いに行ったり?
 物珍しさもあって、「結構イケルじゃん」とか言ってられたのも最初の内で、さすがに一ヶ月も経つと飽きた。
 今はスゲーカレーが食いてぇ。
 レトルトのじゃなくてお店のでもなくて、手作りのカレー。ルーは市販のでもいいから、ちゃんと鍋で煮て。
 福神漬けもらっきょうもいいけど、たまには刻みパイナップルとかで。
 無性にカレーが食いたかった――。



「阿部君、ちょっと」
 SHRの後、担任に呼ばれた。
「家庭環境調査票が、出てないんだ、けど」
 家庭環境調査票とは、文字通り、家庭の様子を学校に伝えておく為のものだ。家族構成、親の勤め先、緊急連絡先や自宅までの地図……そういうものを毎年書いて、学校で保管する。
 ああ、そういえば先週だっけか、そんな用紙を貰ったっけ?
 いつもなら、ダイニングに出しておけば母親が書いてくれてたから……自分が書くとなると面倒臭くて、後でいいかって思ってそのままだ。
「すみません、すっかり忘れてました」
「う、そ、そうか」
 担任はそう言って、困ったように眉を下げた。

 担任の三橋は、4月からの新任の社会科教師で、政治・経済を教えてる。
 背はそう低くないけど、色白で細身で、何となくふわっふわしてて、頼りない。
「家庭訪問もある、から、早めにお願い、します」
 一番頼りなく見せてんのは、この喋り方だ。どもりながら、とつとつと喋る。でも、教科書読み上げたりするのは、普通なんだけどな。
 家庭訪問……どうすっかな。
 親父は自営業だし、経営する会社は自宅と同じ敷地にあるから、時間さえきっちりしておけば、多分対応できると思うけど。
 机に戻り、1時間目の準備をしながら、オレは一つため息をついた。



 ピンポーン、とチャイムが鳴るのと、家電がうるさく鳴るのと、ほぼ同時だった。
 電話の方は親父に任せて、オレは担任を迎えるべく、玄関の戸を開けた。
「こんにち、は」
 カッターシャツにネクタイを締めた担任が、そわそわした様子で門の外にいた。
 何か見慣れないな、と思ったら、そうか、学校ではジャージの上とか着てたっけ?
「どうぞ」
 担任を玄関に迎え入れた時、親父の大声が響いた。

「隆也!」

 親父は大きな体を揺らしながら、玄関の方にやってくる。
「先生すみません、ちょっと都合が悪くなって」
 担任に一言謝り、親父は階段の下から弟を呼んだ。
「シュン! シュン、降りて来い! 病院行くぞ!」
 病院? 突然どうしたんだ?
 呆然としてると、ポン、と肩を叩かれた。担任が思いっ切りキョドりながら、弱々しい声で言った。
「阿、部君。じゃあ、今日は帰ります、ね」
「あ、はい。すんません」
 見送りもしないまま、担任が玄関から出て行った。
 パタン、とドアが閉じてから、親父が言った。
「お母さんの容態が急変した」
 オレも弟も何も言えず、顔を見合わせるしかできなかった。

 緊急手術って、何なんだ?
 盲腸は、悪ぃとこはもう取っちまって無いハズなのに、何を手術しようってんだ?

 シュンはずっと泣いてるし、親父はずっと黙ってる。
「ここで三人揃っててもしょうがねぇ。終わったら連絡するから、お前らは帰ってろ」
 親父に言われて、オレは一旦病院を出た。
 勿論心配だったけど、でも、何かもう色々限界だった。
 弟は帰らなかった。泣きじゃくって「イヤだ」っつーんで、仕方なく病院に残らせた。


 病院を出ると、空一面が朱かった。
 家に帰るのも何か怖くて、何でか自分でも分からねぇけど、足が自然と学校に向いた。
 でも、試験前だから部活もやってなくて、校内はガランとしてた。
 そりゃそうだ。
 ……オレ一人だ。
 夕暮れの誰もいない校庭。無性に淋しくなって、胸が苦しくなった。
 その時………。

「阿部君?」

 名前を呼ばれた。
 振り向くと、担任の三橋が立っていた。

(続く)


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