小説 3
教師のいる風景・後編
担任は昼間うちに来た、カッターシャツにネクタイの姿で、大きな鞄を持っていた。
もう帰るところなのか。
「ああ、やっぱり阿部君、だ。どうしたの、何か、あった?」
「え、いえ、別に………」
オレは言い淀んだ。
親の入院なんて、一々学校に報告する事じゃない。
小学生ならともかく。中学や高校の担任なんて、希薄な関係だ。
しかも三橋、頼りねーし。
「そう?」
三橋は首をかしげて、それからオレに手招きした。
「用が無い、なら、送っていく、よ。オレ、車だから」
ちょっと迷ったけど、誘われるまま職員駐車場に向かう。
三橋の車は、黄緑色のハッチバック車だった。
らしいような、らしくないような?
あまりの奇抜な色の車に、オレは思わず、ふっと笑った。
「土足OKだ、けど、禁煙です、よー」
助手席を開けながら、三橋が言った。
「はは。何スか、それ?」
「あ、ホントにいるんだ、よ。土足ダメって人」
車に土足ダメって、どんなんだ?
「じゃー、靴脱ぐんスか?」
「そう。降りるまで、手に持ったまま」
「ははっ」
くだらねー話だけど、何か笑えた。
くだらねー話を真面目な顔で言うからかな。三橋の喋り方が、おかしいんかな。
しばらくして、三橋が口を開いた。
「病院、どうだった?」
オレはギクッと体を強張らせた。
「オレは色々、頼りない、けど。できるだけ力になる、から。オレにできること、なら、何でも言って」
ハンドルを握り、前を見て、穏やかに語る三橋の様子は……色々頼りなさそうに見えても、やっぱり大人なんだなと感じた。
信号で停まった時、三橋はオレの方を向いて、にへっと笑った。
肩の力が抜けていくような、何だかそんな笑顔だった。
オレは簡単に、これまでの事を話した。
盲腸で入院して、手術したけどまだ退院できなくて、さっきは容態急変で、今緊急手術中で……って。
「え、じゃあ……病院、いなくてもいい、の?」
いなきゃいけないんだろうか。やっぱり。
親父に言われて、素直に出てきた自分は、薄情なんだろうか。
弟みてーに、泣き喚いてた方がいいんだろうか。
でも、泣くのは早いと思うし、心配なだけで悲しい事になってもねーのに泣くなんて、縁起が悪いような気がするし。
けど泣いてる弟の気持ちも理解できるから、「泣くんじゃねー」なんて怒鳴ったりしたくねーし。
あそこに一緒にいたくなかったんだ、けど。
それは「逃げ」なんかな……?
ふと、ひざに温かいものを感じた。
はっと見ると、三橋の左手があった。
その左手は、オレの足を力付けるようにグッと握り、それからポン、と叩いた。
三橋は前を向いたままだ。
いつの間にか、自宅の前に着いていた。
夕闇の道を、車のライトが照らしている。
「う……」
礼を言って、降りなければ。
そう思うのに、動けなかった。何も喋れなかった。
ただ、ひざに乗せられた手だけが温かかった。
突然、マナーモードにしたままだったケータイが、ブーンと唸った。
飛び上がる程びっくりした。
ひざに置かれた手に、ちょっと力が込められた。
「……はい」
親父からだった。
手術どうだったのか。緊張するオレに、親父は言った。
『大丈夫だ』
「え……」
『もう、大丈夫だから。シュンも帰らせる』
何がどうなったのか、全然説明はなかったけど。でも親父の明るい大きな声が、ホントに大丈夫なんだって、証明してるみてーだった。
思えば、親父のそんな風な声聞くの、一ヶ月ぶりだ。
そうか、親父もずっと沈み込んでて、だからそんな親父を見るのも、オレはずっとイヤだったんだ。
「は、は」
なんだそれ、もっと詳しく説明しろよ。そう思ったけど、でも多分、今何を聞いたって頭に入らねーと思う。
ケータイをパタンと閉じて隣を見たら、三橋はじっとオレの顔を見て、「良かったね」と言った。
そして、にかっと笑った。
「先生」
オレは三橋に言った。
「何でもしてくれるって、言いましたよね?」
「う、うん。何でも言って」
「カレー作って貰えませんか?」
だって、安心したら、腹が減った。
もうじき弟も帰ってくる。
「いいよ」
三橋は気安く言って、もう一度、オレのひざをポンと叩いた。
メシの炊ける匂いが、リビングダイニングを満たす。
カッターシャツに、ネクタイだけ外して、台所に立ってるのは三橋だ。
二人でスーパーに行って、二人で買い物して。
オレは材料すらまともに選べなかったけど、パイナップルの缶詰は、忘れずにカゴに入れた。
「ふふ、子供みたいだ、な」
三橋に笑われて、何でパイナップルだと思ったのか、思い出した。
弟が生まれる前まで、よく食べてたんだ。刻みパイナップルのカレー。
オレだけの母親だった頃の、思い出だった。
つまり、母親が恋しかったんだ。
恥ぃ。
けど、今、台所に立ってるのは、母親じゃなくて担任教師で。
他人なんだけど、何か安らげて不思議だ。
それは、三橋のふわっふわした外見のせいか、穏やかな雰囲気のせいか、こいつが大人だからなのか……やっぱ安心したせいなのか。
よく分からねぇけど、いいなぁと思った。
(終)
※all様:フリリクの御参加、ありがとうございました。生徒×教師になってないんですけど、まあ出会い編みたいなものだと受け取って頂ければ……。ご要望があれば、また書き直します。
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