小説 3
暗黒の穴・4
「阿部のバカ! マジサイテー!」
栄口に報告したら、思いっきり罵られ、すねを蹴られた。
けど、反論できなかった。ホント、最低だ。
あの後、三橋は素早く服を着て、あの部屋を出て行ってしまった。
代わりに、階段のとこにいた男が、部屋の清掃に入って来た。
裸のまま泣いてるオレを見て、「あーあー」とため息をつき、慣れた口調で言った。
「兄さん。悪ぃが、すぐ部屋使えるようにしなきゃなんねーからさ、泣くのは外でやってくれ」
「ああ、悪ぃ」
オレは促されるまま、服を整えた。もう面倒くせーから、ネクタイとピンはポケットにしまう。
「せかして悪ぃね」
「いや………」
靴を履き、部屋を出ようとした時に、ふと気が向いて、訊いてみた。
「あいつ、常連?」
「あー、泣き王子?」
「泣き王子……」
そんなあだ名がつくくらい、あいつはいつも泣いてるんだろうか?
「泣き王子はさ、誰に抱かれたって泣くらしいから。淋しいっつって泣くらしいから。あんたも、気にしない方がいいよ」
男はそう言って、歯の欠けた顔で、にやっと笑った。
淋しいのは、穴が開いてるせいだ。
心にも、体にも。暗黒のような深い穴が。
オレはどうしたらいいんだろう。
何をしてやれるんだろう。
それとも……このまま、あいつの前から消えた方がいいんだろうか?
「……べ君、阿部君!」
「あ、はい!」
はっと気付くと、デスクの横に課長が立っていた。
「週明けだからって、ぼうっとしてて貰っちゃ困るぞ」
「はい、すみません」
うわ、やっちまった。
頭を下げて顔をしかめてると、課長がオレに、白い封筒を差し出した。
「これ、受付から。キミにって言付けがあったって」
「え、オレにって……」
中を覗くと、万札が入ってる。多分3枚。三橋だ!
オレはガタン、と立ち上がった。
「ちょ、ちょっと失礼します!」
「あ、阿部君!?」
課長の呼び止める声も無視して走る。ぼーっとしてんの注意された直後にこれって、あー、評定悪くなっかも?
けど、そんな事は、どうでもいい。
三橋以外、どうでもいい。
近くにいた時は、大事さがよく分からなくなってた。
三橋より大事だと錯覚したものは、実は全然大事じゃなくて、今となっては、思い出すのも苦労する。
でも三橋は。
忘れようとしても、忘れられなかった。
忘れられなかったんだ………。
階段を飛ぶように駆け下りて、会社の玄関ホールに出る。
社のロゴを背に立ってる受付嬢に、さっきの白封筒を見せると、受付嬢は玄関の自動ドアを指差した。
もう行っちまったか。まだ間に合うか?
ビルを出て、目の前の大通りの左右を眺める。
人が多過ぎて、分からねぇ。
いや、その足で群馬に戻んなら、JR!
オレは咄嗟にあたりを付けて、右の方へと駆け出した。
人ゴミを小走りに擦り抜けながら、キョロキョロ周りを見回すと、駅の手前の交差点に、ふわふわ頭が立っていた。
「三橋っ!」
驚いて振り返る三橋の腕を、強引に掴み、ビルとビルの間の狭い隙間に引っ張り込む。
「あ、べ……」
三橋が何か言おうとしてんのにも構わず、抱き寄せて口接ける。
涙味じゃなくて、三橋の味。甘い。柔らかな唇も、甘い舌も、全部前と同じだ。
キスだけでほら、ちゃんと股間も反応してる。オレは唇を離さずに、三橋の手をそこへ導いた。多分それに気付いたんだろう、三橋が小さく「んっ」と呻いた。
三橋が目を開けて、唇を離した。ほんのり頬を染めている。
オレはその目の前に、白封筒をかざした。
「これ、何で?」
三橋は息を軽く弾ませながら、応えた。
「栄口、君が。昨日、群馬まで、来て。オレに土下座した、んだ。阿部を行かせたの、オレだ、って」
「栄口、が……?」
オレはちょっと驚いた。そりゃ、この間、怒ってたけど、あいつがそんな積極的だとは思わなかった。
「んで、ね。もっかいチャンス、与えてやってくれ、って。オレに免じて、頼む、って。友達に土下座され、たら、オレだって、拒めない、よ」
三橋はふと笑って、オレに言った。
「いい友達を、持った、ね」
「ああ………」
オレは目を閉じ、栄口に感謝した。
だってさっきまでこんな風に、三橋に会えるなんて思いもしてなかった。
愛おしい。好きだ。胸が震える。
オレはもう一度キスしようと、顔を近付けた。
けど、オレの唇を片手でぐいっと塞いで、三橋が拒んだ。
「栄口君、に免じて、もっかいチャンス、あげる。オレ、待ってる、から」
そう言って、三橋はオレの手を擦り抜け、大通りに出て行った。丁度信号が青になり、横断歩道を軽やかに駆けて行く。
オレはその後姿を見送りながら、白封筒を握り締めた。
そして、自分に誓った。――もう間違えねぇ。
(続く)
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