小説 3
暗黒の穴・2
二人でバーを出て、三橋に連れられるまま、夜道を歩いた。一分もしないところに、安そうなボロアパートが建っていて、階段に男が座っていた。
三橋の顔を見て、男はすんなり立ち上がり、黙って何かを手渡した。
アパートの部屋の鍵らしい。プラスチックのキーホルダーには、201と書かれてる。
三橋はオレを振り向きもしないで、アパートの階段をゆっくりと登った。錆びた鉄階段が、タン、タン、と靴音を立てる。
塗装の剥げた手すりは、ざらざらとして冷たかった。
部屋に入って、まず目に付いたのは、ワンルームの真ん中に敷かれた、でかい布団。
隅っこの小さなちゃぶ台には、紙コップとペットの水。ボックスティッシュとスキンの箱が、無造作に置かれている。
後は、小さなテレビが一つ。
ヤル為だけの部屋だ……そう悟った。
内鍵をガチャンと閉めて、振り向きざま、三橋が言った。
「5万」
「はぁ?」
手を差し出されて、血の気が引いた。
5万。
それがお前の値段なんか、三橋?
固まったままのオレを、三橋が不機嫌そうに睨んだ。
「何だ、よ。5万じゃ、高い? じゃあ、幾らなら出せる、の?」
オレは首を振った。
聞きたくなかった。
幾らってそんな。5万ってそんな。オレはただ………。
「話がしたかっただけ、なんだ」
すると三橋は、「話しになら、ない」と言って、顔を歪めた。
「買わないなら、店に戻る、よ」
そうしてホントに内鍵を開け、出て行こうとした。
「ま、待て!」
オレは、慌てて引き止めた。
懐から財布を出し、三橋に渡す。
三橋は、蔑んだ目でオレを見て……財布から3万、抜き取った。
「まけてあげる、よ。二年振り、に、わざわざオレに、会いに来て、くれた、みたい、だし?」
返された財布を、再び懐にしまってる間に、三橋は靴を脱いで部屋に上がった。
そして、ペットの水を紙コップに注ぎながら、静かな声で訊いた。
「彼女、元気?」
ズキン、と胸が痛んだ。
一番訊かれたくない事を、真っ先に訊かれるとは思わなかった。
けど、オレは正直に答えた。
「別れた」
三橋が、びくりと体を震わせた。
「何、それ?」
ああ、責められると思ってた。
「オレより、大事になったって、あの時、言った、よね?」
「ああ、言った」
「それなのに、もう別れた、の?」
そうだ、もう別れた。自分でも呆れる程、長続きしなかった。
「九州からこっちに戻る時には、もう付き合ってなかったな」
三橋がもう一度、「何、それ?」と言った。
そして、ふひ、と笑った。
「オレ、そんなのに負けたんだ?」
ふひ、ふへ、と肩を震わせて、三橋はしばらく笑い続けた。そして、オレに背を向けた。
ぐう、と喉を鳴らしてる。
泣いてる。
けど、オレは気付かないフリで、話しかけた。
「お前はどうしてた? 群馬、帰ったんじゃなかったんか?」
三橋はぐすん、と鼻をすすって、ちょっと濡れた声で応えた。
「帰った、よ。向こうに、住んでる。時々、こうやって、東京に出て、きて、遊び相手、探すんだ」
「遊びで売春、か?」
責める権利は、オレにはねーけど。
心配する権利も、ねーのかも知れねーけど。
でも切なくて、悲しかった。
そうさせたのはオレで、だからオレが悪いんだけど。
そんなオレを断罪するように、三橋が言った。
「もうレンアイはしない、んだ」
はっと息を呑んだオレに、続けて言った。
「体にも心、にも、真っ暗な穴、が、開いたままなん、だ。それを、束の間埋めて、くれる、なら、誰でもいいんだ、よ」
(続く)
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