小説 3
潜入捜査は危機だらけ・7
さっきのように、廊下から堂々と、ノックして入れる格好ではなかった。
2階の窓から中を覗き、阿部しかいないのを確かめて、小さく窓ガラスを叩く。
阿部はすぐに気付き、ニヤニヤ笑いながら、「ようこそ」と窓を大きく開けて言った。
三橋は一瞬、ためらった。けれど意を決して、えいっと窓を乗り越える。
阿部は窓を閉め、鍵をかけてから、三橋の全身を舐めるように見た。
何なんだ、と思う。
友好的かというと、そうでもないくせに。何でこんな風に、自分に、興味ありげな態度をとるのか……?
そして。
何で自分は、こんな無遠慮な視線にさらされながら、カーッと頬を赤くしてるのか。
「思った通りだ。やっぱお前、キレイだな」
うっとりとしたような声で、阿部が言った。
「き……」
キレイ、だなんて。
男に使う褒め言葉じゃない。なのに何でこんな、胸の奥が熱いんだろう。
顔も熱い。胸も熱い。体はすっかり冷え切って、カタカタ震えてさえいるのに。
「か、お、オレのカバン、は?」
三橋が訊くと、阿部はふふっと笑って「オレの、ね」と言った。
「何? まずオレに訊くことって、カバンのことでいーのか?」
「き……」
訊きたいことは、たくさんあった。素直に喋ってくれるというなら。
けど、まずは寒かった。
「か、カバ、ン……着、替えある、から」
抱えて来た濡れた服を、ドシャッと床に落とす。
帰ったら、洗って干さないと……なんてことを、ちらっと頭の隅で考える。
「あー、着替え持ってんのか。用意周到だな。何かのプロ?」
忍者だ、なんてまさか言えるハズもなく。
「そっ、んなこと、カンケーない、だろ」
三橋がそう言って顔を逸らすと、阿部が「へーえ」と嫌味っぽく笑った。
「そのくせ、大事な着替え入りのカバン、シロートに盗まれたんか? 間抜けだな」
「まっ……」
とっさに言い返しそうになったが、三橋は逆に口をつぐんだ。この教師の言葉遊びには、付き合っていられない。
もう当てにしない、と言わんばかりに、キョロキョロ視線をめぐらせてカバンを探す。
すると、そんな三橋をからかうように、阿部が言った。
「何か探し物か? カバンなら、オレのロッカーの中にあるけど」
「ロッカー?」
阿部がちらりと、自分の背後を見た。確かにそこには、細長いロッカーが3つ並んでいる。
迷わずそれに駆け寄ろうとしたが、阿部の横をすり抜ける直前、ぐいっと抱き寄せられた。
シャツ越しの腕の中が、冷えた体に暖かくて、ひっと息を呑む。
「うわ、お前、震えてんじゃねーか、そんなに寒ぃのか?」
自分のせいだって事を棚に上げて、阿部が気遣わしげなセリフを言った。
「だっ」
誰のせいだ、と文句を言おうとした口が、塞がれる。
キス、だ……と気付く間もなく、阿部の舌が入ってくる。
「んむっ」
驚いて身を離そうとするが、いつの間にかしっかり抱きこまれていて、腕も上がらない。
けれど、足は自由だ。
蹴り倒して、逃げろ。
舌を噛め。
頭の奥で、理性が告げる。
今ならまだ、逃げられる。
いや、逃げるとか、そんなことよりも……今は、仕事中じゃないか。
なのに………。
阿部の腕の温もりと、初めての深いキスの心地よさに、夢中になりそうになるのをちょっと恐れて、三橋はわずかに身をよじった。
阿部は敏感にそれを悟り、抱き締めたままで唇を離す。
「何か、言いたいこと、あんの?」
言いたいことなら、勿論あった。訊きたいことは、もっとたくさん。でも、何もかも全部、深く澄んだ黒い瞳の中に、吸い込まれて消えた。
多分、寒いからだ。
ぶるぶる震える冷えた体が、温もりを欲しがってるだけなんだ。
「濡れた服、全部脱げよ。腹壊すぞ」
大きく暖かな手のひらが、冷えた腰をゆっくりと撫でる。スパッツのウェストから、その手がそっと忍び込む。
「脱いだら、余計、寒い」
三橋は応えながら、目を閉じた。だから……。
「暖めてやるよ」
阿部がどんな顔でそう言ったのか、三橋は見ることができなかった。
(続く)
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